番外戦「地下牢にて」
若干の湿り気を帯びた石に、素足がついている。
部屋全体に漂う冷気と相まって、苦しい寒さになる。
身を縮込めたいけれど、枷を嵌められた手首が吊られて、ぶるぶる震えることしかできない。
地下牢にいるのは私一人だ。
自分からこんな所へ入りに来るなんて、焼きが回ったとしか言えない。
それもこれも、あのアサツキとかいうガキが悪いのだ。
勝手に私につてきて、勝手に私を助けようとして、勝手に私を庇って……。
どうして、あの子はそうしたのだろう。私を師匠と呼んで慕って。
私はあの子になにもしていない。
それどころか、刃物で脅して連れ去ったのに。
いや、もしかすると、男の子にはそういう良く分からない部分があるのかもしれない。
危ないものに惹かれてしまったり、なんとなく格好良いと思っただけで、生まれたての鳥のようについていってしまうのだ。
弟もそうだった。
ああ、だからか。
あの子に弟の面影を見たのは。
あの子と弟はまるで似ていない。
弟は感情豊かで、よく笑っていた。
あの子みたいに無表情じゃない。
それと危なっかしくて、放っておいたら怪我でもしてしまいそうだった。
そして、私の目の届かなかった間に死んだ。
弟とあの子が重なって、凄く嫌な気分になる。
あの子はどうなっただろう。
血まで吐いていたのに、最後まで私を呼んでいた。けれど私は見向きさえしなかった。
だって、私との繋がりはあの子にとってきっとよくないものになる。
だからそれで良かった。間違ったことではないはずだ。
だというのに、あの声に応えなかったことを悔やんでいる。
今さら会いたいと思う私は馬鹿だろうか。
会いたい。そう思うと居てもたってもいられなくなった。
私がこうしている間に、あの子は死んでしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。
せめて、私が死んでから死んでほしい。
どうせこのままだと、計画を失敗させた私は処分されるのだから。
ああそうだ、会いに行こう。
会いに行ってまた連れ戻されてしまったとしても、あの子の無事さえ確かめられればそれでいい。
元気な姿を一目見るだけでいいのだ。
そうと決まれば。
親指の関節を外す。
手を枷から抜くのに少し手間取るが、どうということはない。
すぐに私の手は自由になる。
あとはこの地下牢から脱出するだけだ。
出入り口は一つ。
内側からは開けられない。
誰かが外側から扉を開けてくれるのを待つしかない。
そうして、どれほど待ったろう。
もしかして、私が餓死するのを待っているのだろうか。
それくらい長く待っている。
それか、私の時間の感覚が狂ってしまったのか。
そうかもしれない。
寒いし、暗いし、音もないし、不安だ。
早くあの子に会いたい。
ガチリ、と鍵を開ける音がした。
慌てて立ち上がる。
ドアが開いた。
そこにいたのはよりにもよって、奴隷市場を取り仕切るあの男、ナムヂだった。
やや大袈裟な身振りで歩く。
鎧の音が地下牢に反響する。
アホみたいな羽飾りがふわふわと揺れる。
「抜け出してるとは思ってやしたがね」
ナムヂはそう言って、佩いていた薄刃の剣を抜く。
「失敗した以上は、口封じさせてもらいやす」
「それで直々にお出まし? ハッ、暇人ね」
わざわざ煽るようなことを言ってしまう。
口の悪さは生まれつきだ。
あの子にも結構、ひどいことを言ってしまった気がする。
謝らなくては。
まだ死ねない、死にたくない理由が増えた。
ナムヂがゆっくりと前に出た。
怖ろしくて、腹に通した糸を背中から引っ張り上げられるような感覚に陥る。
剣を持った相手と対峙して、こんなに怖ろしいと思ったのは久しぶりだ。
単にナムヂが強いから、という理由だけではないだろう。
あの子に会いたい、死にたくない、生きていたい。
生きていたいという感情が、私に強く死を意識させてしまった。
ナムヂが剣を振る。見えない。
勘で避けると、腕を深く切った。
だがひとたび動き始めると、私の体は自動的に動いてくれた。
ナムヂの膝を踏み込む。
だけど威力はなかった。
鎧があるのはもちろんのこと、ナムヂが脚を微妙に動かし、膝を私の足に対して真っ直ぐ向けたのだ。
その方が斜めに力が加わるよりも関節に負荷が少ない。
私は出口へ駆け出した。
ナムヂを倒せないなら逃げるしかない。
すぐに扉に差し掛かる。
出られると思ったそのとき、私の横に火炎が走った。
炎が散り、反射的に飛び退いてしまう。その隙にナムヂが扉の前に立った。
「なによ今のイカサマ……」
「ああ、これですか? お気に入りの魔導具でしてね」
ナムヂが剣を地面に走らせると、擦れた地面から火花が散った。
火力は魔力で調節しているのだろう。
「さて、どうしやすか? あっしと戦って死ぬか、あっしから逃げようとして死ぬか」
泣いてしまいたくなる。
こういう状況を絶望と言うのだろう。
すがれるものがあるなら、なんにでもすがりたい。
あの子に会えさえすればそれでいいのに、それだけでいいと思うのに。
「ちなみに三つ目の選択肢を用意しておきやしたが、どうします?」
地下牢に、ナムヂの声が響いた。




