第三十五戦「問い掛けの導き手」
世界最悪の魔導師。
あまりにも大仰な二つ名に、まさか、と笑いそうになる。
ふと目に浮かんだのは、あの瞬間のスクモだ。
――殺れ。
そう言ったスクモは、なんの躊躇もなく殺戮した。
あの時の、真っ黒なスクモの瞳は、脳裏に焼き付いて離れない。
世界最悪、それが誇張された表現だったとしても、スクモが真っ白な善人だとは言い難い。
僕は椅子に座り直した。口元は、自然と引き締められた。
「アサツキ君」
チグサさんに声を掛けられる。
幼顔は青ざめており、八の字に下がった眉の下で、目に涙を溜めていた。
「ごめんなさい」
チグサさんは席を立ち、足早に去ってしまった。
慌て半分、心配半分、アザミ母さんが追いかける。
居間には、当惑するシュラと、にっこりとして、どこか表情の読めないスクモ、そしてシュウ父さんと僕が、ただ黙って居た。
シュウ父さんは、机に肘付け、前髪を掻き揚げている。
難しい顔をしていた。
「あの、シュウ父さん」
ちらりと眼を動かして、僕を見る。
睨まれているように感じて、氷の粒を飲み込んだ心地がした。
「スクモっていう魔導師は、どんな人なんです」
「俺の知る限りでは、誘拐魔だ」
「たくさん攫うんですか」
「それと、手に掛かった者は、無残な死体になることが多い」
人攫いに惨殺。
スクモがそんなことをするのか。
なにか事情があったのではないか。
「その話は、本当なんでしょうか」
「……火のない所に煙は立たない、とだけ言っておく」
「スクモが……」
つんつん、とわき腹を小突かれた。
横にいるスクモが、不服な顔で僕を見ていた。
「紛らわしい」
「え? なにが」
「名前」
「ああ」
自分の呼び名と同じだから、不快に思ったのだろう。
今のスクモは、前のスクモを嫌っているようだし。
「…………」
なにか引っ掛かるものあって、スクモの顔を眺めた。
大人っぽい、凛とした細い眉が、幼い顔をかえって強調していた。
最近は不機嫌な表情が多いからあまり意識しないが、目元だけは垂れ目がちで、優しげな形をしている。
初めて会った時の、スクモの面影がある。
僕が十六歳の姿で、スクモは実年齢こそ不明だが、見た目、二十代前半だった。
僕は動転して、わけもわからずスクモに噛みついたりした覚えがある。
だって、そう、スクモは強引に、僕をこの世界に連れてきたから。
それって、つまり……誘拐だ。
僕の視線に気づいたスクモは、始め、ぷいとそっぽを向いた。
が、すぐにちらちらとこちらを見る。
そしてくすぐったそうにはにかみ、視線を転ばせる。
「なに? 私なんかした?」
「いや、思うところあって……」
スクモは誘拐するし、惨殺もする。
それは僕が、身をもって知ったことだった。
スクモの悪評は真実かもしれない。
そう思うと、喉から長い針を刺されて、椅子に打ち据えられたような気分になった。
微塵も動く気になれない。
「兄さん」
服の裾を掴んだのは、シュラだった。
憐憫と、弱くない意思がこもった碧眼が、僕を真正面に見据えている。
「スクモ姉がなにかしたの?」
「するわけないでしょう」
スクモが低い声を出す。
シュラは構わず続けた。
「あの女の人、兄さんなら助けてあげられるよ」
「僕が、どうして」
「あの人はスクモ姉のことを怖がってた」
「私じゃない!」
「だから兄さんが、スクモ姉は怖くないって教えてあげれば、怖がらないで済むよ」
「だから私じゃない!」
シュラの柔らかな金髪を、くしゃくしゃと撫でた。
言っていることは間違っていないが、教えて済むものならそもそも問題にならない。
結局、僕にできることなど――
「アサツキ」
今度はシュウ父さんが、僕に声を掛けた。
両手は机の上に置かれて、目は真っ直ぐに、僕の目を捉えている。
「お前の師は、魔導師ダンネラで間違いないんだな」
魔導師ダンネラ……スクモのことか。
「はい、確かです」
「お前から見た師は、どんな人だ」
「それは……」
我儘で、強引で、強がりで、案外と傷付きやすい。
それが、六年間を一緒に過ごした、スクモの印象。
「お前の師は、怖ろしい人だったか? 」
シュウ父さんは、力強く、優しさを含んだ声音で言った。
「ソラネラ魔導師が逃げ出すほど、怖ろしい人だったのか」
ソラネラ魔導師……チグサさんのことか。
「俺はお前の師を知らない。だから、俺から言えることはない。ただ、師匠の名誉を守るのも、弟子の本分だと思う」
師匠の名誉、スクモの名誉、今まで思ってもみないことだった。
そもそもスクモは、この世界に居場所や立場があったはずだ。
それなのに、生誕からやり直して、ずっと僕と一緒にいた。
それがどんなに異常なことか、僕はまるで意識していなかった。
スクモの家族はどうしているのだろう。
スクモの友人はどこにいるのだろう。
スクモは僕と出会う前、どこでなにをしていたのか。
どうして僕をこの世界に連れてきたのか。
最初、欲しいものがあると言っていたけど、結局、なにが欲しいんだ?
「僕も、スクモのことをよく知りませんでした。わからない」
「アサツキ、人から聞いた話を信じるのも結構だが、自分で見て触れたものを疑うな」
「何故です?」
「それが最初で最後の基準になるからだ。世の中には、誰も教えてくれないようなことがたくさんある。知識が真実でないこともたくさんある。はっきりとしないことは、自分自身の判断で決着を付けなくちゃならないんだ」
シュウ父さんの言葉を、頭の中で反芻する。
僕自身の判断。
スクモが善良だとは、やっぱり僕にも思えない。
だけど、そんなに悪い奴でもない。
なんだかんだ、六年間も傍にいたんだ。
スクモが悪く言われれば、なんとなく僕も不愉快だ。
詰まる所、僕は結構、スクモのことが好きなのだ。
泣きそうな姿で立ち去った、チグサさんを想起する。
「……別に逃げてもいいと思います、スクモを怖れて。でも、一言くらい言っておきたいので、追い掛けます」
「そうか、一人で行くな。俺も付き添う」
満足そうに微笑んで、シュウ父さんは席を立った。
さてチグサさんを追い掛けて、家の表に出たらば、チグサさんとアザミ母さんが話し合っていた。
背丈の低いチグサさんに対し、深々と頭を下げるアザミ母さん。
子供に大人が必死に縋っているようで、不似合いな情景だった。
「お願いします。アサツキを助けてください」
「奥様、お気持ちはお察し致します。ですけれど、私には無理です。私なんか二流魔導師です。彼の三大魔導師の研究物に手を出すなど、畏れ多くてできません。ましてやスクモ様。死ぬより辛い報復が待っているに違いないのです。治療はどうかスクモ様にお願いしてください」
僕が視界に入ると、チグサさんは声を詰まらせた。
「二流魔導師ではなく、二級魔導師でしょう」
「ア、アサツキ君、ごめんなさい。私にはなにもできなくて」
「そんなことはない。構わないんですよ」
「なにがでしょうか?」
「僕の体を調べてもらって」
チグサさんは悲しそうに目を閉じ、首を振った。
「私はスクモ様にお会いしたことはありません。ですが、スクモ様の創った魔導具を拝見したことがあります。常軌を逸していました。魔導具一つの製作に、信じ難いほどの執念を費やしたのは明らかです。それに手を出せば……」
「スクモに過激な面があるのは否定しません。だけど、スクモはあれで、罪悪感を感じやすい性質なんです。全くの理不尽に、誰かを虐げるようなことはしません」
チグサさんは目を逸らした。
それは拒絶の意思か、迷いの現れか。
僕にはわからないが、それはもうどうでもいい。
言うべきことを言えたのだから。
「それでは、ご足労いただきありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい」
僕はそう言ってお辞儀した。
「アサツキ……」
理解できないものを見るような目で、アザミ母さんは僕を見た。
「ではこれで」
踵を返す。
真後ろにスクモがいて、仰け反った。
納得いかなさそうに、じっとりと僕を見ていた。
「なんだよ」
「なんにも」
首を傾げる。
今のスクモのことも、あんまりよくわからないな。
「アサツキ君」
震えたチグサさんの声。
振り向いた。
「その、あまり詳しく調べることはできないかもしれません。ですが、やります。やってみます。やらせてください。あなたを見捨てようとしたこと、許してください」
精一杯の勇気を振り絞っているのが、目に余るほどだ。
赤の他人のために、無理しなくてもいいのに。
元々は、責任感が強いのだろう。
「許すも許さないもありませんよ」
良い人だな、と思った。




