第二十七戦「闘いと血」
訓練された人間が、全力で振り下ろした剣の、その切っ先を捉えるなんてことは、人間である限りまず無理だ。
よしんば捕捉できたとしても、行動に繋がるまでには数瞬ある。
つまり、攻撃を見てから避けようとすると死ぬ。
師匠の場合、攻撃の出を抑える。
攻撃が攻撃になる前に、対処を終えてしまう。
だから避けることができるし、相手の力を利用して、反撃をしかけることもできる。
投げられた手榴弾が爆発する前に、相手に投げ返すようなものだ。
理論がわかったところで、素人が真似して、怪我で済むはずはない。
僕にやれること、それは、剣を前に突き出すこと。
スクモから教わった剣術は、牽制と防御が基本だ。
鉄柵の囲いに、逃げ場はない。
七人の男たちは、皆、師匠を狙っていたが、僕が乱入したことによって、この場の流れが変わった。
それぞれがそれぞれの様子を窺い、次の一手を探っている。
男たちの装備に統一性はない。
革鎧を身に着けている者がいれば、上半身は裸の者もいる。
膠着状態が生まれたことによって、師匠以外にも注意を向ける必要が出てきたようだ。
彼らの視線が定まっていない。
僕と師匠の強みは、協力ができることだ。
他の奴らはどれだけ師匠を集中攻撃したって、所詮は敵同士。
いつ横から刺されるか分からない緊張を背負っている。
敵の一人が動いた。
毛皮を背負った格好の大男だ。
厚重の大刀を横薙ぎに払う。
無造作な身振りは、けれど俊敏で、近くにいた二人を紙のように切り裂いた。
大男の眼が暗く光った。
「おおおーーっ!!」
腹の底から震えるような、凄まじい雄叫び。
それと共に、右に左に大刀をぶん回しながら大男が突撃してきた。
一直線に迫る大男。
途中、誰かの腕や首が刎ね飛ばされた。
師匠は僕に振り返って、肩に手を添え、背後に回り込んだ。
僕の目の前に、大男が大刀を振りかざしている。
僕の体がぐいっと持ち上がり、間一髪で大刀は空を切った。
刃風で砂が舞う。
「がああッ!」
振り向き様に薙ぎ払おうと、大男は片手で、剣を体の外側に振った。
この瞬間、大男と師匠以外、まるで時が止まっていた。
地獄の蓋を開けたような、強者と弱者をはっきり隔てるような、そんな大男の雄叫びの所為だ。
師匠はやはり僕の前に出ていた。
大刀が、師匠の背中を抜け通るのを幻視する。
死の予感。
上半身がぼとりと地面に崩れ落ちる、嫌な光景。
白昼夢か走馬灯か、僕の見た幻は、激しい金属音に掻き消された。
はっとして見ると、師匠は片手に握った短刀で、大男の大刀を抑えていた。
そんな馬鹿な。
師匠はどれだけ怪力なんだ。
あの短刀はどれだけ頑丈なんだ。
摩訶不思議な光景は、よくよく見ると、師匠の技によるものだった。
短刀を持っていない方の手が、大男の肩に置かれている。
足が大男の膝を崩し、大男は地面に膝を付いている。
大刀は大男の肩より上に上がっていた。
この体勢で、剣を全力で振り抜くのは難しい。
勢いを大幅に失った所を、師匠は短刀で受けたのだ。
かくん、と僕の体が動いた。
恐怖で体が竦んでいた反動か、思ってもみないほど、すんなり体が動いた。
生き残っていた、他二人の敵もほぼ同時に動いていたから、本能のようなものだったのかもしれない。
弱った強者を殺すのが弱者の性らしい。
槍が大男の背中を突いた。
剣が大男の首に食い込んだ。
緋色の短剣が、大男の心臓を刺した。
短剣を引き抜くと、噴水のように血が吹き出た。
体が血に染まる。
ピリピリと、頭が痺れるような感じがする。
大男が崩れ落ちた後、視界に、筋肉質の太股が映った。
殺意に突き動かされて、僕の腕が弧を描いた。
太股に短剣が突き刺さる。
「師匠!」
叫んだのは、反撃される自分が脳裡によぎって、ぞっとしたから。
臆面もなく助けを求める、それを恥じる余裕はない。
短剣に体重を込めて、斬り下ろした。
身を伏せるためだ。
強引に引き斬られた太股の肉が、べろんと、動いて、大量の血を吐き出した。
耳を聾するほどの、絶叫が響いた。
うるさいな。
うるさい、耳が聞こえなくなった気がする。
いや、大丈夫、聞こえてる。
ただ、ちょっと、音を音と認識するのに時間が掛かるだけだ。
「――」
誰かの声がして。肩を叩かれた。
「あああ!」
叫んで突き刺そうとした短剣は、師匠の脇の下あたりを通った。
伸びきった腕をかいこまれる。
投げられるか、倒されるかでもして、短刀で止めを刺されてしまう。
背筋を戦慄が走った。
そして、背中に腕が回された。
強い力で、締められる。
「大丈夫、もう、平気だから、安心して」
「え? あ……」
既に、囲いの中には、僕と師匠以外は立っていなかった。
誰が敵で味方かも、僕は分からなくなっていたようだ。
強い力で、師匠は僕を抱き締めていた。
匂いはなんとなく、海風を思い起こさせた。
震えているのは、僕の体だろう。
温かさに縋って、抱き締め返すと、師匠の背中がぬめった。
「師匠、怪我ですか!?」
「いいえ、全部、掠り傷よ」
「でも、こんなに血が……」
ちがう、これは師匠の血じゃない。
この血は、あの大男の血だ。
なんでこんなに、付いているんだろう。
「もう出るわよ」
師匠が誰かに向けて言った。
「……致し方ないな、好きにろ」
ノギスの声がした。
「ほら、出ましょう」
師匠が僕を離して、手を握った。
師匠に引っ張られて、囲いを出た。
周りは何故かしんとして、僕のことを見ていた。
人集りを抜け、道の隅っこにいく。
ノギスが連いてきた。
ふんすと、口を閉じて溜め息を吐く。
それを見止めた師匠がノギスに向かって言った。
なんのためか、僕を撫ぜながら。
「知ってたの?」
「情報は得ていたが、半信半疑でな」
「確かめるついでに、私を始末したかったわけね」
「なんのことだ」
「あんたがあいつと繋がっていることぐらい気付いているわよ」
話しの詳細はわからないが、どうやらノギスは敵だったようだ。
半ば反射的に、短剣の切っ先をノギスに向けた。
「やめなさい」
師匠が短剣を僕の手から取り上げる。
僕の手から離れた途端に、短剣は単なる血に戻った。
その様子を、ノギスと師匠は思案気に見詰めた。
「師匠、これからどうするんです」
訊いてみても、師匠は黙ったままだ。
それからしばらくして、
「あんた、いつから魔法を使ってるの」
真剣な口調に、いささか面喰らった。
ちょっと妙な質問だ。
正確には魔導の範疇に入るかもしれないが、魔法なんてシュラだって使える。
いつから魔法を使えるかなんて、いつから立って歩けるようになったか訊いているようなものだろう。
「血魔法は、ちょっと前からです」
だから、ぼかして答えた。
「血魔法、そう、血魔法ね……」
「ナムヂに預けるのが無難だろ」
ノギスの言葉に、師匠が暗い顔をした。
いきなり出てきたナムヂの名より、そちらの方が気になった。
「師匠?」
師匠は僕を撫ぜ続けている。
「あんた、血魔法の他に、使える魔法はあるの」
「魔法ってほどではありませんけど、砂の魔導を扱えます。ほら」
そう言って、砂に魔力を流そうとした時、腹部に痛みを覚えた。
次いで、喉をなにかが逆流してきて、吐いた。
血だった。
地面に血が広がる。
服にも掛かった。
赤い服だから、血が目立たなくて良かったと思ったが、服が赤いのは返り血のためだった。
「うそ、あんた、さっき怪我したの!?」
師匠が慌てた声を出した。
僕は服の裾で、口の血を拭った。
「いえ、前から病気なんです。呪いとか言うらしくて、魔導的な外傷で、薬では治せない云々……」
腹の痛みが酷くなって、腹を抱えてしゃがみ込んだ。
内臓だけ切り裂かれたみたいだ。
「どうすんだ」
呆れを帯びて、ノギスが言った。
「……どうするもこうするも、魔導に関する治療なら、あいつを頼るしかないでしょ」
「戻ったら殺されるぞ」
「殺そうとしていた人間の台詞じゃないわよ。それにもとより……」
師匠が僕を背負った。
「この子に助けられた命よ」




