第十戦「不穏は勉強の後」
その日、マンナは来なかった。
それ自体は左程、珍しいことではなかった。
だから僕らはいつものように、家の裏手で魔導の練習をしていた。
「見て、スクモ姉」
シュラが揚々と砂剣を振る。
「……どうしたことだこれは」
スクモは目を見張って、シュラの前に立ち尽くした。
「褒めて」
シュラはスクモの前に、頭を差し出した。
「う、うむ……よくやったな、シュラよ」
「えへへ」
スクモはシュラを撫でながら、ちらちらと僕を見てくる。
その目にはありありと困惑が浮かんでいた。
「シュラは凄いな」
僕が自虐混じりに言うと、スクモは慌てた。
「あ、アサツキ、君が特別に劣っているとか、そういうことはないからな?」
慌てるスクモが可笑しくて、僕はくすりと笑った。
「気にしてないよ」
「そうか?」
「あんまりね」
僕は砂剣を作り出して握った。ぐらぐらと不安定で、振れば散り飛ぶだろう。
「シュラはどうやって砂剣を作ったの?」
「うんとねえ、シャキーンって、剣が伸びるようにしたんだ」
「どうやって?」
「シャキーンって!」
身振り手振りを交えて説明してくれるが、どうにも……。自分で考えるしかないようだ。
シュラにできて、僕にはできない。その差はどこにあるのだろう。
「生まれつきかな」
「そんなことはない。誰でも研鑽を積めばできるようになる。この調子なら、君だってあと一年もすれば、できる。標準の習熟具合だ」
他に考えられるのは練習量か。これは間違いなく差がある。
砂の魔導に関して言えば、僕は既に二年間、砂剣を作る練習をしている。
シュラは砂の魔導を使うようになって三か月だ。
その間、特別に砂剣の練習をしていた素振りはない。
練習量でどうにかなるものではないらしい。
「才能かな」
「……そうかもな」
練習の質に差があるのかもしれない。
例えば僕は、砂を操れるよう、魔力を小さな範囲に狭めて砂に注いでいた。
シュラは気の向くまま、広範囲に魔導を発生させていた。
そこでなにかが、決定的に違ってしまったのかもしれない。
「ねえ、スクモ、魔力って、使えば使うほど強くなるの? 筋肉みたいに」
「強くなるという言葉の意味が、魔力の量が増えるかという意味なら、答えは否と言った方が良いだろう。多少の上下動はするが、体内を巡る魔力の総和に顕著な変化は見られない。魔力は筋肉よりも、血液に近い」
「ということは、魔力の巡りが良くなったりはするのかな」
「そうだな、魔力は経路と呼ばれる、目に見えない管を通って、体内を循環している。魔力を使えば使うほど、この経路が増えるんだ。経路が増えれば、魔力の出し入れを素早くできる」
スクモは僕の手を取って、その掌をじっと見詰めた。
そうして、掌の中心に、人差し指を当てた。
「わかるか?」
真っ黒な瞳が、僕の目を向いた。僕は掌に意識を集中させた。
「なんか、流し込まれてる?」
「そうだ、私の魔力を、君に注いでいる」
スクモの魔力を感じようとすると、スクモの魔力が、掌から肘の辺りまで、一定の箇所を辿るように、僕に流れ込んでいるのがわかった。細い管をなぞっているようだ。
「この、管みたいな感覚が経路?」
「そうだ、経路管と言う。君もやってみるか?」
スクモは白い掌を僕に突き出した。顔を見ると、口角が上がっていた。
「なにか罠でも?」
「あるわけない」
むすっとしたスクモに、僕は心で詫びつつ、スクモの掌に人差し指を当てた。
「え、うわっ」
自分が流した魔力が、霧散したように感じた。
おそらくは普通にスクモへ魔力が流れたのだろうが、経路管とやらの量が僕とは桁違いだ。
その経路管に僕の魔力が、限りなく分散して流れたために、霧散したように感じたのだろう。
「凄いだろ」
スクモは胸を張った。
「確かに、凄い」
「誉めて」
スクモは僕の前に、頭を差し出した。
「す、すごいね、スクモは」
「えへへ」
スクモの頭を撫でると、さらさらという感触がした。
「それはともかく」
僕がそう言って撫でるのを止めると、スクモはきりっとした表情に戻った。
「その経路管の量で、魔導の制御に差が生まれるんじゃないのかな」
スクモは口元に手を当てて、何事か考えたらしい。
シュラを一瞥してから、僕を見た。
「君の言うとおり、経路管が大いに越したことはない。魔導の制御にもいくらか影響するだろう」
「じゃあやっぱり――」
「ただし、経路管は、シュラよりも君の方が圧倒的に多い。当然だ、君は生まれてから数カ月で魔力を使うようになったのだからな、シュラとはおよそ六年、経験に差がある」
砂の魔導以外に、単純に魔力を出したり引っ込めたり、魔晶ランプという照明装置を点けたり消したり、そういう細かい練習を僕は積み重ねていた。
「なにもかもにおいて、僕はシュラより上なわけ?」
「そうだ」
「だけど、シュラにできることが、僕にできない?」
「そうだ」
「理不尽だなあ」
僕はやるせない気持ちになって、階段に座り込んだ。
シュラが「大丈夫? ごめんね」と言って慰めてくる。
僕は「シュラの所為じゃないよ」と返した。
「アサツキ、私もたった今、思い出したのだがな」
「うん?」
「チグサの八論文と呼ばれる、奇書があるのだ」
「論文?」
「うむ、魔導の理論について書かれた書物なのだが……それを書いたチグサという魔導師が変わり者でな。おまけに論文の内容も、実証不可能なものばかりで、誰にも相手にされなんだ」
「それがどうかしたの?」
「その論文の中に、魔力経路管の発達様相と魔導操作の適性、という項目があったのだ」
スクモは僕の隣に座った。
つられてか、シュラも僕の隣に座る。
スクモは続けた。
「内容を要約すると、魔力の使い方によって経路管の発達の仕方が変わり、それによって、魔導操作に得手不得手が生ずるというのだ」
「ううん、つまり、経路管の発達の仕方が、僕とシュラでは違うってこと?」
「その論文の内容を信じるならな。ただ、経路管がどういう風に体を通っているか、それを確かめる術がない。だからあくまで机上の空論だ」
「あれ、さっきやった方法じゃだめなの?」
「体に異質な魔力が流れ込めば、経路管の存在は確認できる。しかし魔力には流れがあって、その流れに逆らってまで強引に魔力を流し込むと、経路管が破裂してしまう。管が壊れれば、どういう風に管が体を通っていたかわからないだろう。しかも、経路管が発達すればするほど、流し込んだ魔力が分散されて、その動きを追えなくなる。どれだけ発達しているかを調べたいのに、発達した分だけ、どんな発達をしたか分からなくなるのだ」
「はあ」
「っと、話しが逸れたな。それで、その論文によれば、魔力の使い方で経路管の発達に変化が生ずるらしい。ここまではいいな?」
「まあ、なんとなくね」
「そこで君とシュラの魔力の使い方だが、君は狭小な範囲で、細かく魔力を流し込んでいる」
「ダメだった?」
「まあ聞け、そしてシュラは、範囲に拘らず、垂れ流すように魔力を使っている」
黙って聞いていられなくなったのか、シュラはおもむろに立ち上がり、魔導で砂を舞い上がらせ始めた。
それをちらりと見たスクモは、無視して僕に向き直り、話しを続けた。
「もしあの論文に書いてあったことが真実なら、君はシュラがやるように、魔力を際限なしに使ってみるといい。しばらくすれば、シュラのように砂剣が作れるはずだ」
「なるほど、ちなみに、直ぐに砂剣を作って見せたマンナのことは?」
「あれのことは知らん」
マンナのことを話題に出すと、昨日の嫌な予感が頭をもたげた。
しかし今は練習だと思い、僕は頭を振った。
僕は階段から立ち上がって、シュラのように砂を舞い上がらせた。
すると中々、シュラのようにぶわっと舞い上がらない。
精々がふわっ、ぐらいだ。
しばらく続けて、段々と不安が強くなってきた。マンナのことだ。
昨日の、間男と赤毛の女がしていた会話、あまりにも不審だ。
その後の様子も妙だった。
砂を舞い上がらせつつ、僕はいつものように、家と家の隙間に入り込み、木箱に乗った。
格子窓は閉じていた。
反対側に周るが、こちらの窓もダメだ。
意を決して、裏口の扉を叩いたが、反応はない。
そもそも人の気配が無い。留守のようだ。いつの間に出掛けたのだろうか。
胸が引っ掻かれるような不安に苛々していると、通りの奥から、間男と赤毛の女が歩いてくるのが見えた。
マンナはいない。
駆け寄って、僕は叫んだ。
「マンナは、マンナはどこにいるんです」
「さあな」
そう言って、間男は僕の横を通り過ぎた。
後ろからぱたぱたと、足音が聞こえる。
こちらの様子に気付いたスクモが追い掛けてきたらしい。
「おいアサツキ、なにをしているのだ」
「マンナはどこにいるんですか」
僕は赤毛の女に詰め寄った。
赤毛の女は、真っ直ぐに僕を見下ろす。
目に隈ができていた。
「あの子はね、攫われた。人攫いによ。もう戻ってこないわ」
「なんだって!?」
赤毛の女はそのまま通り過ぎようとした。僕は赤毛の女の袖を掴んだ。
「いつどこで攫われたんだ!」
赤毛の女は振り向いて、驚きとも怯えともつかない表情で僕を見た。
「ゆ、昨夜、家の裏手でよ……目を離した隙に」
「探さなかったのか!」
「探したわよ! それで、今帰ってきたところよ……」
尻すぼみになる女の言葉。
僕は我が家の裏手まで駆け戻って、シュラに言った。
「シュラ、今日の遊びはここまでだ。家に戻っていてくれ」
「ええー、兄さんも?」
「いや、僕は出掛ける」
「ちょっと待てアサツキ、どうするつもりだ」
追い掛けてきたスクモが、会話に割り込む。
「マンナを探す」
「どうやって」
「人攫いは、子供を攫ってどうするんだ?」
「奴隷として売り捌くか、解体して――」
「もういい、とにかく一刻の猶予もないことがわかった。人攫いの隠れ家とかに心当たりは?」
「ない……特別、治安の悪い地域ならあるが」
「そこに行こう、道を教えてくれ」
「ダメだ!」
行こうとする僕の手を、スクモが掴んだ。
「行ってどうするのだ、嬲り殺しにされるぞ!」
「行かないでどうするんだ、マンナのことを懐古するのか? ふざけるな!」
「き、君が行かないでもいいじゃないか」
「よし、だったらシュウ父さんとアザミ母さんにこのことを伝えておいてくれ、僕は行く」
「だから君が行かなくてもいいじゃないか!」
スクモの瞳に涙が滲んでいた。面差しは凛として、僕は言葉を返せなかった。
スクモの言うことはもっともなのだ。けれど僕は行きたかった。
単なる強迫観念なのかもしれない。僕に理はない。
僕はスクモの手を払った。
「僕は行く、その治安の悪い場所というのはどこにあるんだ?」
スクモは顔を真っ赤にして、なにか言おうとした。
しかし言葉にはならず、やがて萎むように項垂れた。
「ここから、北に真っ直ぐ行け。そのうち、一目でそれとわかる場所に着く」
「わかった、北だな」
僕が行こうと振り返ったところで、スクモが声を掛けた。
「待て、私も行く」
出来るだけ普段の態度を繕って、返事をした。
「そろそろ具合が悪くなる時分でしょ、休んでいなよ」
それだけ行って、僕は走り出した。




