第一戦「元いた世界で」
道を歩けば赤信号に引っ掛かる。
信号待ちは夕間暮れ。
山吹色に世界が染まる。
前を往くトラックたちは、長い残像を生んでいく。
道の向こう側から、仔猫がよろよろ、道路へ出てくる。
過ぎる車に、視界が途切れ途切れになってしまう。
視界が隠され、開かれる度、仔猫はこちらに近付いている。
いつ轢かれるかわからない。
僕は駆け出していた。
トラックの重苦しいクラクションが鳴り渡る。
仔猫を抱えるには間に合わない。
横目にもトラックは迫る。
無理だ――。
僕の足に、鈍い感触が走った。
トラックの風圧が首筋を抜ける。
危機一髪、僕の真後ろを、トラックが行き過ぎた。
そして仔猫は
「ピキィ!」
という悲鳴を上げながら、綺麗な放物線を描いて、川沿いの土手に落ちていった。
仔猫を蹴り上げたのは、良かったのか悪かったのか……。
轢き殺されるのは回避したが、僕が蹴り殺したとあっては寝覚めが悪いなんてものじゃない。
祟られる。
仔猫の安否を確かめに、僕は土手を上った。
いざとなれば、動物病院だ。
川のせせらぎ。
川面が入り日を乱反射して、僕の目が眩む。
仔猫はいた。倒れる人の上にいた。
土手を滑り降りる。
僕が近付くと、仔猫は逃げた。
運が良かったのか、痩せ我慢か、少し心配だ。
僕は倒れている人に目を向けた。
「あの、大丈夫ですか?」
その人は、老婆だった。
顔は土気色で、息は絶え絶えだ。
そのことに気付いて、慌てて顔まで屈みこみ、頬をペチペチと叩いた。
「お婆さん、聞こえますか、意識はありますか!?」
老婆はゆっくりと頷いた。
「救急車を呼びます、待っていて――」
携帯電話を取り出そうとした僕の腕を、老婆ががっしと掴んだ。
枯れ枝のような指が腕に食い込む。
みきみきと、骨が軋むかと思う握力。
「なっ、あ……」
驚愕のあまり、まとも声を上げることすらかなわない。
老婆は言った。
「食事、住居、金銭、衣服、女……なに一つ不自由させない。その代わり、少年、君には命を、人生を賭けてもらいたい」
なにを言っているのか。
ただ、掴まれた腕の痛みに狼狽した僕は、明瞭に語られた老婆の言葉を、うわ言と理解した。
僕は頷いて言った。
「わかりました。とにかく、救急車を呼ぶので」
その瞬間、老婆のもう片方の腕が、僕の体に伸ばされた。
「……え?」
老婆は刃物を持っていた。
西日を紫色に反射して、それは僕の心臓を貫いていた。
僕の視界が灰色がかる。
「……あ、りが、とう、少、年」
老婆は微かな声でそう言い、がっくりと、頭を垂れた。
僕の視界はどんどん色を失い、そうして光すら見失って、最後には闇の中を落ちていった。