知 夏之空花
「──という訳だから、此処の数が判る事によって此方等の数を求める事が出来る様になるの、──」
「──華琳、其処までだ」
「──っ、……」
そう龍生に言われて、出し掛けた声を飲み込む。
けれど、表情や態度には一切出さない。
客観的に見ても怪しまれる事は無い……筈。
一応、龍生からは合格点を貰っているもの。
ええ、大丈夫だった筈よ。
「有難う御座います、曹操様
御陰で私にも理解が出来ました」
「いいのよ、気にしないで
貴女の、その学ぼうとする姿勢が有ればこそよ
だから、これからも大切にしてね」
「はい!」
そう笑顔で返事をするのは私塾での同門の女の子。
私よりも三つも歳上の相手に“女の子”と呼ぶのは微妙に悩む所では有るけれど。
まだ彼女も女の子と言える年齢だから気にしない。
ええ、気にしたって仕方が無いもの。
だったら、気にしない方が気楽で済むもの。
勿論、軽々しく口にはしない様に注意は必要。
その辺りは意識しているわ。
そして、長机の上に広げていた書や筆を片付けると改めて御礼を言われ、私は挨拶をして別れる。
一人になり、歩きながら、一つ息を吐く。
また、私の悪い癖が出掛かった。
それは他者に教えたり話をする時に、私が判るから続け様に先へ先へと進んでしまう事。
加えて、私自身が出来たから、出来ると思ったまま話してしまう、という事。
そう、これが以前の私の大きな失敗の原因。
つい、「私でも判るのだから」と、歳が上なだけの相手にも高い能力を求めてしまう。
……いいえ、それは正しくはないわね。
私自身が、“学ぶ”という事に理想を懐き過ぎて。
その結果、現実との解離──差に落胆していた。
言い換えれば、勝手に期待して勝手に失望した。
それだけの事だった。
そんな私の身勝手に巻き込まれた講師達。
客観的に考えれば、どうなるのかは容易く判る。
ええ、だから、腹を立てるのも御門違いよね。
でも、龍生は彼等には彼等の問題が有ると言った。
「教える側には押し付けではなく、考え、導く力を身に付けさせる努力が求められる」と。
「その努力を怠った以上、擁護も弁明も不可能」と当然の結果として一刀両断。
ただ、それは同時に私にも向けられた言葉で。
私も色々と考えさせられた。
考えた結果が──コレよ。
私が遣らかしそうな時には龍生が止めてくれる。
龍生の絶妙な声掛けの御陰で不自然さは無い。
声を出してしまっても、不自然には為らない様に、上手く誤魔化し、話を終えれば良いのだから。
その程度の事、大して苦労もしないわ。
「まだまだ、嬉しくて熱が入り易いな」
そう言う龍生に感謝しつつも、「悪かったわね」と軽い八つ当たりをする様に睨み付ける。
意味は無いし、私の方が奇異に見られてしまう為、一瞬だけの事だけれど。
私の胸中を見透かされているから腹が立つ。
……大部分は恥ずかしさかもしれないわね。
まあ、不満や愚痴や文句は他者が居ない場所で。
“激しい独り言を言っている変わった娘”だなんて悪評を立てられたくはないもの。
これでも、多少は風評も気にしているのよ。
私自身は兎も角、家には迷惑は掛けられないもの。
私塾の建物を出て、曹家の屋敷までは馬車の中。
自分の立場よりも、年齢がもどかしい。
先程の彼女は歩きで帰るというのに……。
もう少し自由が欲しいわ。
「良い所の子供“あるある”だな」
そう対面に浮いている龍生がニヤニヤして言う。
的を射ていると判るから言い返せない。
──とは言え、龍生の存在は私には重要。
今更、その程度の不満では手放せないわ。
まあ、除霊も出来そうにはないのだけれど。
あの春の出逢いから一年以上が経ち、今は夏。
私は九歳となり、背も伸びた。
……余裕の有る笑顔が憎らしいわね。
私にとって去年の龍生との出逢いは大きな転機。
私にとっての一番の収穫は、知れた事でしょう。
指摘したり、助言したりする事は間違いではない。
しかし、以前の私の遣り方では人を選ぶ。
それはそれで使い方次第では有るのだけれど。
それが出来る程、私に自覚は無かった。
誰しもが、私と同じではない。
だから、以前の遣り方では駄目なのだと知った。
大事なのは加減なのだと。
私が理解出来るからと言っても、他者──指摘した相手も理解が出来るとは限らない。
加えて、一から十を一度に話してしまう事も同様。
理解の追い付かないまま許容範囲を越えてしまうと逆に訳が判らなくなり、嫌気が差す、と。
その辺りを龍生は私に解らせてくれた。
「相手の事を考えて」と言っていても。
実際には自分の考えの押し付けでしかない。
本当に相手の事を考えての事ならば。
相手の立場になり、理解し、考えた上で。
その指摘もしなくてはならない。
そんな当たり前だと言える事を。
私は、あの講師達は、失念していた。
その結果が、アレだった。
だから、自分の失敗は反省しているわ。
ただ、講師達に謝罪する気は無い。
龍生も「その必要は無い」と言っていたしね。
勿論、その講師達と関係を修復したいと思うのなら歩み寄る事も必要では有るのでしょうけれど。
私にとっては、彼等は無価値。
不要な存在なのだから。
そうする必要も理由も無い。
「そう言えば、今日は居なかったな」
「?……ああ、袁紹ね
袁家は今、ゴタゴタの真っ最中だもの
彼女も暢気に私塾に顔を出してはいられないわよ」
「張り合いが無くて寂しいんじゃないのか?」
「冗談にしては面白くないわよ」
そう返すと龍生は肩を竦めてみせる。
……まあ、何が言いたいのかは判るわ。
私の通う私塾の中で、真っ向から私に意見したり、絡んでくるのは彼女だけ。
……だからまあ、真名も交換したのよね。
まだ龍生と出逢う前だったし、私も若かったわ。
「いやいや、まだまだ幼女だって」
煩いわね……判ってるわよ。
だから、「素直じゃねぇなぁ」って顔をしないで。
殴りたくなるじゃない。
殴りたくても殴れないけど。
ただまあ、自分が素直ではない事も判っている。
何だかんだと言っても、今も私塾に通っているのは彼女の存在が有ったから。
本っ…………っ当にっ!。
癪では有るのだけれど。
彼女に対する意地の張り合いが、私を留めた。
彼女が居なければ──いいえ、私に絡んでなければ私は疾うに私塾を離れていたでしょう。
………………それはそれで気楽だったかもね。
尤も、その場合には私は龍生と出逢えなかった。
私塾に通っていたから、龍生に出逢えた。
私達の出逢いを繋いだのは、彼女だと言える。
勿論、一因でしかないのだけれど。
まあ、少しは感謝もしているわ。
──で、その袁紹の所は当主が急死した事により、後継者争いが起きている。
漢王朝でも、指折りの名門とされる袁家。
それだけに激しい骨肉の争いになるのは必然。
──とは言え、その事を外部に知られてしまう程、愚かではないし、考え無しでもない。
私が知っているのは曹家が同等の力を持つ為。
情報収集力では負けてはいないわ。
まあ、知名度で言えば、袁家には劣るのだけれど。
其処は仕方が無いし、大して気にもしていない。
寧ろ、私が成せる偉業が増えるのだから歓迎ね。
何処まで名を轟かせられるのか。
とても楽しみで仕方が無いわ。
そんな事を考えている間に屋敷に到着。
馬車を降り、侍女達に出迎えられ、自室へ。
今、私が暮らしている洛陽の屋敷には私と祖父しか曹家の血縁者は居ない。
父は曹家の縁地で、私自身も生まれ育った、豫州の沛県にて官吏をしている。
私は色々と学ぶ為、祖父を頼って洛陽に。
第一線を退いたとは言え、まだまだ影響力は強い。
私自身も龍生の事を怪しまれない様に気を遣う。
……まあ、私が可笑しいと思われるだけだけれど。
「御祖父様は?」
「本日は董太后様から御誘いが有り、遅くなると」
「そう、有難う」
答えてくれた侍女に御礼を言う。
実は、これも一緒に暮らす様になってから、龍生に注意されて改めた事だったりする。
侍女や使用人達、兵士達等は、それが仕事。
だから、出来て当たり前、して当然。
それは間違いではない。
ただ、それはそれ、彼女達も人である。
だからこそ、然り気無い感謝や労いの言葉一つでも遣り甲斐や評価される満足感を得られる、と。
それが更に意欲を高め、充実感にも繋がる。
結果的に、私自身や曹家への忠誠心をも育む。
「そんな事で?」と思ってしまったけれど。
実際に私自身が似た状況に置かれた時、その有無で自分の考え方や感じ方を想像すると──納得。
以後、大した事ではなくても、そういう事を言える自分であろうと意識した。
その成果が、自然に出る様になった。
これには私自身も驚かされた。
何しろ、以前よりも屋敷内の雰囲気が良くなったし侍女や使用人達からの声掛けも増え、色々な情報が私が調べなくても入ってくる様になった。
勿論、彼女達が意図している訳ではない。
ただ、世間話をしているだけ。
それだけなのだけれど。
気さくに話せるというだけで、劇的な変化。
……ニヤつく龍生の顔は鬱陶しかったけれど。
実際に、その効果には反論の余地は無いわ。
但し、情報を鵜呑みにしない事も注意された。
「人が話す事には個人の解釈が含まれる」と。
だから、人伝手だと情報が歪む。
その事を忘れてはならない、と。
そう言われてみて、気付かされたわ。
部屋に戻ると先ずは家着に着替える。
龍生は気を遣い、私の方を見ない様にしてくれる。
──が、着替えを手伝う侍女をジロジロ見るのは、どうなのかしら?。
自分の事が彼女達には全く見えていないからって、調子に乗っているのではないかしら?。
……御仕置きも出来無いのが腹立たしいわ。
因みに、私は一人でも着替えられるわ。
けれど、手伝いを拒む事は彼女達の仕事を一つ奪うという事になってしまう。
その結果、誰かに皺寄せが行き、暇を出される様な事態になってしまう事は望まない。
だから、「一人で出来るからいいわ」とは言わず、素直に手伝って貰う。
どの道、着替えた服を洗濯の為に渡す事になるから手間としては手伝って貰った方が手間が省ける。
こういった地味に意味が有る、という事が身近にも多い事に気付ける様になったのも龍生の影響ね。
何でもかんでも「自分で遣る方が……」は駄目。
作業速度や効率だけが全てではない。
人が関わる、人と関わる、という事が大切だと。
「……華琳、彼女に左腕を痛めているのか訊け」
──と、唐突に言う龍生。
色々と聞きたい所では有るけれど、素直に従う。
こういう時の龍生の見立ては鋭く、よく当たる。
この一年以上の中で、幾度も経験してきたもの。
今では疑う気もしないわ。
「貴女、その左腕、どうかしたの?」
「……え?」
「痛めている様に思ったのだけれど、大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です
少し、打付けてしまって……」
「……私には話せない事?」
「──っ!?」
心の間合い、その内側に踏み込む私に驚く彼女。
だけど、龍生の言葉が無くても判るわ。
彼女は明らかに何かを隠している。
それも、私には知られたくない類いの事を。
……いいえ、或いは、迷惑を掛けない為、かしら。
「貴女に居なくなられると私が困るのだけれど?」
そう、少しばかり立場を利用した圧を掛ける。
これも以前に龍生から指示され、遣った事。
こういう時、下手に親身になるよりも多少、上から威圧的に言った方が相手は話し易くなる、と。
これには、“自責の有無”という心理的要素が深く関わってくるのだとか。
判り易く言えば、親身にされると罪悪感を懐き易く話し難くなる、という事。
だから、「話さなくてはいけない」と思わせる事で罪悪感を懐かせずに聞き出す、と。
そういう事らしいわ。
「……実は、「結婚しろ」と迫られています」
そう話す彼女の表情は「嫌です」と物語る。
見ていて憐れに思う程に美人な顔が歪む。
それ程に嫌な相手なのでしょう。
──とは言え、先ずは確認するべき事から。
小さな事だけれど、疎かにすると痛い目に遭う。
「その相手とは縁談が有ったの?」
「いいえ、街中で見掛けて気に入ったから、と……
何度も御断りしているのですが……」
「左腕を掴まれて強引に連れて行かれ掛けた?」
「──っ…………はい」
彼女の横で龍生が推測を実演してくれる。
だから、私も具体的に訊き易い。
──のだけれど、今はそれ所ではない。
私の質問で状況を思い出したのか。
答える声が、唇が、身体が震えている。
自衛手段の無い、非力な身で有ればこそ。
腕力に物を言わせる相手というのは脅威。
それだけの恐怖となるでしょう。
だから、龍生の指示に従い、彼女を抱き締める。
安心させる様に、しっかりと。
「大丈夫よ、貴女に手を出させはしないわ
だから、私に全部話して頂戴」
彼女を真っ直ぐに見て、そう言い切る。
落ち着いてからでは口を噤む。
冷静になれば、そんな事は私に話すべきではない。
そう気付いてしまうから。
動揺している今だからこそ、聞き出せる。
──というのも、龍生に教わった事。
本当にね……生身だったら恐ろしい相手だわ。
「趙雄って、確か、前に爺さんが言ってた奴か?」
「ええ、話を聞いた感じ、間違い無いでしょう
悪評が多いけど、洛陽でも五指に数えられる豪商、趙公景の一人息子という事で握り潰されているわ」
「だから、爺さんも注意しろって言ったんだろうな
──んで、どうする?、諦めるか?」
「まさか、売られた喧嘩だもの、買うわよ」
「豪商相手に競り掛ける、か」
「こんなに潰し甲斐の有る相手は中々居ないわ」
「潰す相手、趙雄だぞ?」
「正直、趙雄はどうでもいいわ
どの道、趙公景を潰さないと意味が無いもの
──と言うか、判ってて言ってるでしょ?」
「まあな、それで、どう動く?」
「正攻法で潰せる相手なら、疾うに消えているわ
洛陽で伸し上がるというのは、そういう事よ」
「なら、此方も合わせる、か……
遣り過ぎると変な噂が立つかもしれないぞ?」
「畏怖を懐かせる位が丁度良いのよ
余計な事を考える連中を牽制する事も出来るしね」
「やれやれ、勇ましい御姫様だ」
そう言いながらも絶対に協力してくれる。
龍生が、そういう者だという事を知っている。
他の誰でもない、私自身がね。
思い立ったら直ぐに行動。
外出用の外套を羽織り、部屋を後にする。
使用人に声を掛け、馬車を出して貰う。
向かう先は、趙公景の屋敷──の側に有る御茶屋。
私は令嬢らしく、馬車の中で待つ。
実際に買い物をするのは使用人。
何も珍しくはない、有り触れた光景。
違うとすれば、私の側に龍生が居ない事。
別に私から離れていった訳ではないわ。
龍生は私に憑いている。
それは確かだし、どうしようも無い事。
けれども、それなりに長く生活していれば、色々と試してみて判ってくる事も有る。
その一つが、龍生の行動可能な範囲。
どういった理屈なのかは定かではないけれど。
曹家の屋敷の中と、それ以外で範囲が異なる。
前者だと、私からは然程遠くには離れられない。
しかし、後者の場合、それなりに離れても大丈夫。
勿論、限界は有るのだけれど。
そんな龍生の特性──幽霊である事も含め、人目に触れる事無く、何処にでも出入りする事が可能。
それにより、様々な情報収集を行う事が出来る。
……まあ、触れりは出来無いから仕舞ってある物や重なっている物を確かめたりは難しいけれど。
それを差し引いても、有益な情報を掴める。
ただ、行動範囲の限界は有る為、ある程度は対象に私自身が近付いておく必要が有る。
この点が龍生も懸念している危険性。
まあ、だからこそ、一目で曹家だと判る馬車を使い堂々と行動する様にしているのだけれど。
龍生と出逢ってから初めて、コレを遣ったのは私の私塾で遣らかした事の後始末で。
この時は私の主導ではなく、龍生の主導で。
私は龍生の指示に従って動いていただけね。
御陰で色々と学ぶ事が出来たわ。
それから、時々、こういった事を遣ってきた。
……まあ、若干、爽快感も有り、楽しんでいたのは否めないけれど。
その辺りは龍生から注意されて自重している。
自分の自己顕示欲や承認欲求を満たそうとすると、本来の目的や意図、本質を見失う事になる。
そういった危うさを常に含んでいる、とね。
ただまあ、龍生も遣る以上は容赦が無いわ。
本人が幽霊だから判らないっていうのは狡い。
勉強にはなるけど、面倒な事も遣らされるもの。
だから、私も動く時には遠慮はしないと決めた。
私ばっかり大変なのは納得がいかないもの。
そんなこんなで色々と遣ってはきたのだけれど。
どんなに良い方法でも万能ではないし、完璧だとも言えなかったりするわ。
この方法の唯一の難点は、調査に時間が掛かると、表向きの理由として食べ物系の御店を利用している場合には、龍生が戻ってくるまでは私は何かしらを注文し続けなくてはならない、という事。
仕方が無いのだけれど……早く終わらせて頂戴。
太るとか、そういう問題ではないのよ。
単純に、そんなに沢山の量は食べたり、飲んだりは出来無いのだから。
あと、切実な問題として……我慢にも限界が有る、という事なのよ。
「御早う御座います、曹操様」
「御早う、今日は良い天気ね」
「はい、此処数日、雨が降り続いていましたしね
久し振りに気持ちの良い日射しです」
「雨は雨で必要な事なのだけれどね
同時に憂鬱な気分にもなるから困ったものよね」
「本当にそうですよね」
教室に向かう廊下を歩きながら私塾の同門の女性と挨拶を交わし、他愛の無い話をする。
時期的には珍しくもない事だけれど。
やはり、雨の日が続くと気が滅入ってくるもの。
仕方が無いと判っていても、どうしようもない。
そういう事は少なくはない。
──と、その話し相手の女性が身体を寄せてくる。
肩が触れ合う距離で、内緒話をする様に。
そっと、声を潜ませる。
「……そう言えば、御聞きになりましたか?」
「何か有ったの?」
「あの豪商の趙家の事です
何でも、御禁制の品を裏で売買していたとか……
それが露見し御取り潰し、死罪となったそうです」
「ああ、その話ね
ええ、私も御祖父様から聞いたわ
まあ、話を聞いた限り、自業自得でしょうね
当然の結末としか言い様が無いわ」
「そうですが……怖い話です」
「そうは為りたくはないし、成っては駄目ね
だけど、そういった者が素知らぬ顔で近寄ってくるというのも世の中の常でも有るわ
だから、旨い話と甘言には要注意よ」
「仰有る通りですね」
──と、それ以上は続けず、その話題は終了。
全く違う別の世間話をしながら歩く。
──が、話を振った彼女も知らない訳ではない。
その一件に少なからず私が関わったという噂が裏で囁かれている、という事を。
それを承知で振ってきたのは、親兄姉からの指示。
探りを入れる為、でしょう。
だから、必要以上の会話はしない。
勿論、そう為る様にと仕組んだのは私なのだから、全てを知ってはいるのだけれど。
それを自ら自慢する必要は無い。
悪徳豪商を潰した功績?。
そんな事の為に、態々、自分や周囲の者達を危険な状況に立たせる理由は無いわ。
それに──必要なのは実績ではなく、影の深さ。
趙公景の馬鹿息子が、曹家の侍女に絡んだ。
その事実には、少なからず目撃者が居る。
だから、ちょっと囁くだけで十分。
勝手な憶測から、私に対する畏怖を勝手に懐く。
今は、それ位で丁度良いのよ。
「実際には爺さんを動かしたんだけどな」
……煩いわね、仕方が無いでしょう。
龍生の掴んだ情報は趙公景には致命的な物。
だけど、私が公にする訳にはいかなかった。
下手に口外にすると、「どう遣って知った?」等と追及されてしまうもの。
そうなると説明が出来ず、逃げ切られてしまうかもしれなかった。
下手をすれば陰謀にされ、此方等が窮地に立つ。
そういった事態を避ける為には、御祖父様に適度な情報を渡して、後は任せる。
そうするしかなかった。
……最後まで自分で遣りたかったとは思う。
思うけれど、そう出来るだけの力が私には無い。
それもまた事実だから、退くべき所で退く。
勇み足で踏み越えた一歩が破滅へと向かう、なんて事は珍しくもない話だもの。
そうならない為にも、引き際は大事。
…………尤も、御祖父様からは遠回しに愚痴られ、長々と話に付き合わされたけれど。
誰かさんは知らん顔していたわよね?。
覚えていなさい。
──ああ、因みに、その侍女なのだけれど。
実は、曹家の私兵として仕えている男性と両想いで今回の一件を知った彼が心配し、勢いで告白。
ああいえ、正しくは求婚したのだったわね。
あまりにも顔を真っ赤にして慌てながらだったから彼女の方も驚くよりも呆然としていたわ。
──で、思わず誰かが吹いたものだから大爆笑。
私も、当の彼女も、笑ってしまったわ。
そんな笑い声の中、彼女は涙を浮かべながら笑顔で彼の求婚に返事をした。
どんな答えだったのかは、言うだけ不粋よ。
そんな風に世間話をしている内に教室に到着。
すると、窓際の席には見知った顔が有った。
視線か、或いは気配か。
振り返えり──向こうも私に気付くなり、挑発的に笑ってみせる。
座っていた席を立ち、此方等に歩いて来る。
だから、此方等も負けじと不敵に笑って応えながら余裕を見せる動きで進む。
教室の中、周囲からの注目を集める。
御互いの吐く息が掛かるか、どうかという距離。
同時に立ち止まり、真っ向から睨み付け合う。
「あ~ら、御久し振りですわね、曹操さん
御元気でしたか?」
「そういう貴女の方こそ、暫く顔を見なかった間に呆けてはいないかしら、袁紹?」
「お~ほっほっほっ!、私に心配など無用ですわ!
貴女の方こそ、私が居ないからと言って気を抜いて堕落していたのではなくて?」
「あら、意外と面白い冗談ね
気分転換でもして頭の中も澄んだのかしら?」
「そうですわね、気分もスッキリとしましたわ
ああでも、貴女の小生意気な顔を見たら、また少しモヤモヤとしてきましたわね」
「それは御互い様よ
このまま来なくなってくれれば静かになったのに
また耳障りな高笑いを聞かされるのは憂鬱だわ」
そう言い合い、言葉を切る。
視線は逸らさず、笑みを崩さず、動きもせず。
ただただ、御互いを睨み付け続ける。
周囲にはハラハラしている者も少なくはない。
──が、別に口喧嘩をしている訳ではないわ。
これは友人──いいえ、悪友としての挨拶。
皮肉や嫌味を含めている様に聞こえるでしょうが、私達にとっては言いたい事は伝わっている。
御互いに立場上、軽々しく弱味は見せられない。
それを理解していればこそ。
こういった形で御互いに叱咤激励しているだけ。
まあ、捻くれている事は否定はしないわ。
「相変わらずの減らず口で安心しましたわ」
「貴女こそ、空元気ではない様で安心したわ」
──と、声には出さず、視線で語り合う。
その後は同時に「ふんっ……」と鼻で笑う素振りをしながら顔を逸らし、背を向け合う。
必要以上に争り合わないのも暗黙の了解。
こうする事で、何方等に対しても誰も踏み込まない雰囲気を作り、余計な干渉を避ける。
一人では浮いてしまい、近寄り難くなるけれど。
二人でなら。




