35話
黄巾党が壊滅し、黄巾の乱は終わった。
しかし、その本当の意味での終焉はまだ先の話。
何故なら、大陸の三分の二を大乱に巻き込んだ上、彼方等此方等に戦禍を撒き散らしたのだ。
その被害や損失は甚大であり。
全ての戦後処理が終わるまでには数年は掛かる。
だから、施政者の宣う復興や平和は仮初め。
今も尚、戦禍の影響に苦しむ人々は絶えない。
「見事な手際だったな、星」
「有難う御座います、大和殿」
含みの無い森羅の称賛に趙雲は笑顔で返す。
そんな二人の様子を見て視線を鋭くする者が。
森羅に付き添う魏延だ。
「この女もか…」と内心で舌打ちをする。
見た目だけなら相手にされる自信は有る。
しかし、まだ若い事からと手付かず。
師であり、姉も同然の厳顔の惚気を聞かされる度に無性に苛つき、不満を覚える程度には。
魏延もまた森羅に惚れる女の一人となっている。
そんな可愛い魏延の反応を知りながら放置している森羅は趙雲と軽く抱擁を交わす。
それ以上の事は無い。
趙雲との関係もまだ時期尚早である為に。
「──とは言え、殆んどは下準備が有っての事です
私の方こそ、感謝しなければなりませぬ」
「そう考えられる御前にだから任せられる
事後処理に時間は掛かるだろうが、手伝える部分は俺達も協力は惜しまない
まあ、裏でという事にはなるがな」
「いえいえ、心強い御言葉です」
そう言って悪童の様に笑う二人。
今回同行するに際して関羽から「よく見ておけ」と言われていたのだが。
その意味を魏延は理解出来た気がした。
森羅が主君として素晴らしい事は疑いはしない。
勿論、今ではと付くのだが。
まあ、そんな昔の話は兎も角として。
普段は王道を歩み、王者たる姿の森羅。
しかし、その本質は覇道を歩み、覇者たるもの。
正しく、“覇王”たりえる訳なのだが。
当の“覇”の一面は隠している。
見せ付ける事は容易いが、無用な軋轢を生む。
それが、どの様な影響を生み、齎し、与えるのか。
森羅は常に考え、それを避ける方向に決断する。
勿論、刃が必要な場合には躊躇無く抜き放つ。
其処が森羅の凄さであり、怖さなのだが。
魏延は初めて女として生まれた事に感謝した。
「森羅を敵に回せば終わる」と。
目の前で垣間見た森羅の覇に本能的に震えた。
今まで見てきたものは、真の覇ではなかった。
そう思わずにはいられない。
それ程に無邪気な笑み。
子供が大人よりも残酷な一面を持つのと同様に。
森羅にも、そういった一面が存在している。
有ったとしても何も可笑しくはない。
誰にでも、自分自身にも、少なからず有るもの。
ただ、それは子供の様なが殆んど。
大人であるが故に、自制心や道徳心が働くもの。
しかし、森羅は違う。
全てに対して、という訳ではないのだが。
不必要と判断したなら。
其処には一欠片の慈悲も介在しない。
それが理屈で納得しているのではなく。
本能的に、だから畏怖を覚える。
…尤も、その一方では胸が高鳴り、身体が疼く。
その圧倒的な雄を前に、雌が共鳴する。
両者は一対であり、裏表であり──片割れ。
一つとなる事で完成する不完全さを持つが故に。
求め、求められ、求め合う。
求めずにはいられない。
それが自然の摂理であり、生き物としての根幹なのだと感じずにはいられなかった。
まあ、そんな魏延の話は置いておくとして。
一体、二人は何の話をしているのか。
それは約一ヶ月前、趙雲の訪問時に遡る。
より正確には、それ以前からになるのだが。
当事者の趙雲にとっては、その辺りとなる。
公孫賛に執務室に呼び出された趙雲。
「そろそろ、暇を頂こうか…」と考えていた矢先。
公孫賛から告げられたのは太守への誘い。
当初は「御冗談を」と笑っていた趙雲。
だが、森羅の名を出されては意味が変わる。
公孫賛の「ほら見ろ、食い付いた」と言いたそうな表情には軽い敗北感を懐きはしたが。
話の腰は折らず、黙って聞く事にした。
公孫賛から説明されたのは并州・雁門郡の奪取。
公孫賛が幽州の州僕となり、森羅が上党郡の太守に就いた事で両者の関係は地理的にも近付いた。
その上で、并州の中で唯一、幽州への街道を有する雁門郡の存在は両者にとっての要所。
少なくとも、表向きに動く際には必ず雁門郡を経由しなければならない。
その程度の手間は両者共に惜しみはしない。
ただ、余計な邪魔をされる可能性は否めない。
其処で、雁門郡の太守を廃し、趙雲を据える。
趙雲には先の黄巾の乱での武功が有るし、公孫賛の臣下ではなく客将。
「有能な人材を遊ばせて置くのは勿体無い」と。
森羅からの進言──推挙が有れば話は簡単。
自分の事で手一杯の連中が余計な横槍を入れてくる事は至難であり、雁門郡は森羅と公孫賛に挟まれた飛び地も飛び地。
曹操・袁紹は我関せず。
袁術の家臣達は一考はするだろうが、孫権が森羅に嫁いでいる事実は知っている。
その為、下手を打てば敵対が決定的となる。
それは避けたい為、やはり、何もしない。
それ故に、無能な太守を糾弾──しなくとも、少し郡内の賊徒を煽り、差し向ければ済む事。
必要最小限の犠牲──まあ、処分対象でもある為、心が痛む理由すらも無く、準備完了。
その情報を流し、即座に森羅と公孫賛が鎮圧。
勿論、一番手柄を趙雲に取らせた上でだ。
そして、不在となった太守に趙雲を推す。
話にすれば、たったそれだけの事なのだが。
自分達が裏で関わった痕跡を残さない事は至難。
それが出来るのが、森羅と雅狼であり。
それ故に、誰も邪魔が出来無い。
趙雲の言葉通り、下準備が全てだったと言える。
そんな訳で雁門郡は趙雲が治める事に。
公孫賛は趙雲の指揮下にて部隊として活躍していた者達を家臣として送り出したのだが、この辺りにも森羅の以前からの根回しが有った事は窺える。
それを察した者達は、改めて森羅の深謀遠慮の才、先見の明に感嘆する。
「…これでは尚更に怒れぬな」とニヤニヤしている自慢気な孫策を殴りたい衝動を抑える周瑜。
「本当に恐ろしい方ですね…」と一人冷や汗を掻く気苦労しながらも期待に胸を膨らませる顔良。
「敵に回せば厄介な事、この上無いな…」と静かに溜め息を吐きながらも、楽しそうな上機嫌の曹操を見詰めて、小さく笑う夏侯淵。
「だから伯母様が言ったのに~」と何もしなかった従姉の奥手さを指摘し、「う、煩いっ!」と自分の気持ちを従妹に悟られない様に誤魔化す。
真っ赤な顔でバレバレだとは気付いてもいないのが可愛いのだが、「此処で遣ってもね~…」と残念な従姉の反応を冷ややかに見詰める従妹。
どう遣って従姉に思い切らせるか思案をする。
「……こんな奴が居たなんて…」と頭を抱え込んで現状と今後を見据え、一人で苦悩する者も。
漸く、黄巾の乱が終わったというのに。
この先を予見させる様な森羅の動き。
それは小さくも確実に、時代の水面に波及する。
「──時に、大和殿
私は部下──家臣が出来て有難いのですが、部隊を丸々引き抜いた格好になります
白蓮殿の方は宜しいのですかな?」
「ああ、その心配は要らない
これを見越して以前から白蓮の所の若手を選抜して手元に置いて鍛えていたからな
その者達が戻って趙雲隊の穴埋めを担う
まあ、部隊としては再編成という形にはなるがな」
「成る程、そういう事でしたか」
森羅の話を聞きながら、趙雲は軽く比較する。
自分と、自分の癖の付いた部隊。
対して、森羅の鍛えた新しい文武官候補者達。
完成度・即戦力という意味では前者だろう。
森羅の言った通り、ある程度は時間が掛かる。
だが、自分が抜けてしまえば、その部隊の実力等は十分には発揮出来無くなると言える。
──と、趙雲は思い出す事が有った。
それは趙雲自身が森羅の独立に際し、関羽隊の事を公孫賛に進言した、まさに、あの時の再現。
それを理解し──趙雲は胸を熱くする。
「本当に負けず嫌いで、狡い方ですな…」と。
聴こえない様に呟き。
今は誰の物でもない森羅の左腕を抱き締める。
森羅は何も言わず、しかし、拒む事もしない。
まだ、趙雲の想いには応えて遣れない。
それが森羅自身の都合によるものだと他の誰よりも森羅自身が理解している。
ただ、「済まないな」と言って済ませはしない。
だから、趙雲の負担を減らす為には労を惜しまず、出来る限りの手を尽くす。
それが森羅なりの趙雲への精一杯の誠意。
その事を趙雲も理解しているから何も言わない。
寧ろ、一線を越えてしまってからでは、今の一時の特別か関係は味わう事が出来無いとも判っている。
古今の劉備や関羽を知り、見ていればこそ。
そう感じ取る事が出来る。
勿論、二人の様に越えた先の関係は、それはそれで待ち遠しいものではあるし、期待もしている。
早く自分も寵愛を賜りたいし、子も授かりたい。
そう思う気持ちは確かに有る。
それは否めない事だ。
それでも、少しでも特別であるという事。
それ自体が小さな優越感と充足感を生む。
あまりにも身勝手で、利己的な理由だ。
ただ、人の原動力や活力源というのは、多くの人が思っている以上に極端で、単純なもの。
頭で、言葉では、文字では複雑そうにしても。
結局、突き詰めてみてみれば、そうなる。
──とは言え、そんな事を一々考えはしない。
飽く迄も、それは客観的に見てみれば、の話。
そして、客観的になると──疎外感を覚える。
目の前で腕を組む二人の様子を見ながら悩むのは、二人だけの空間に紛れ込んでしまった魏延。
大きな咳をし、「…御邪魔でしょうか?」と二人に態とらしく言いたい気持ちになる。
言いたいが……言える訳が無い。
森羅は兎も角、趙雲から睨まれる事は明白。
何しろ、魏延自身が趙雲の立場であれば邪魔をした相手にどんな感情を懐くのか。
それは想像に難くない。
しかし、森羅の護衛という立場でもある為、勝手に森羅から離れる訳にはいかない。
必要・不必要の話ではなく。
仕事・職務という性質上、投げ出せはしない。
その為、二人からギリギリの位置で控える魏延。
距離を置いてはいるが……やはり、面白くはない。
モヤモヤとする感情を胸の中に溜め込む。
そんな魏延の事を際しながらも放置する森羅。
趙雲にしても際しながら、挑発する様に密着。
時折、見詰め合う様に視線を絡ませるが、その際に魏延には気付かれない様に意志疎通。
「意地悪ですな、大和殿は」と揶揄う様に趙雲。
「こういう男は嫌か?」と切り返す森羅。
「それは狡い質問ですな」と更に密着する事により趙雲は言外に答える。
そんな風にイチャイチャしながらも、二人掛かりで魏延を挑発している状況。
関羽が居たならば、「やれやれ…」と溜め息を吐き呆れている事だろう。
悪戯好きな大きな子供二人を見詰めながら。
「──それで、焔耶は如何でしたかな?」
「ああ、仕上がり具合は丁度良い
動かすのなら、今だろうな」
そう話すのは厳顔と森羅。
仕事の都合で──というのは表向き。
今回の魏延の同行は意図して指名されたもの。
その事を魏延が知る事は無い。
「…私が言うのも何ですが、彼奴も大変な事よな」
「まあ、それを厭う様では此処には居られない
そういう意味でも此処が化け時だな」
「…弟子の、妹の成長は喜ばしい事ですが…
女としては妬いてしまいますな…」
そう妖艶な笑みを浮かべながら、向かい合っている森羅の胸に身体を預ける厳顔。
「話は終わりですな?」と催促の上目遣いに森羅は唇を食む様な重ねる事で返事とする。
必要な事だとは言え、閨で自分以外の女の話をする事に独占欲が燃え上がる。




