或る夏の一日
暑い。肌に張り付く部屋着、部屋に充満するむせ返る汗の匂い。不快極まりない空間である。これ以上惰眠をむさぼることができそうにないので私は渋々起きることにした。時計を見る。いつもどおりの午前十時だ。
節約のためとはいえ夜間にクーラーを付けずに寝るのは無理があったか……汗でぐっしょりと濡れた服を脱ぎシャワーを浴びる。それが終わると部屋の換気、一刻も早くこの不快な空気を外に出したかった。しかし、風が吹いていない。無情に照りつける夏の太陽が寝起きの体にダメージを与えるだけだった。
私は仕方なく窓を閉め、カーテンを閉め、クーラーをつける。あぁ、いつもどおりの午前十一時。
麦茶をすすり、お昼のワイドショーを垂れ流しつつ今までの生活を振り返ってみる。
何一つおもしろみがない大学生活だった。同級生はみんな恋人を作り学生生活に華やかなアクセントを加えている。恋人でなくとも趣味に生きている奴もいる。みんな何かしら夢中になれるものを見つけている。しかし、私はどうだ……なんて事を考えていると気分が落ちる。せっかくのいい天気だ、散歩でもしよう。いつもと少し違った午前十二時。
暑い。そんなわかりきったことを口に出さないと居られない。半袖シャツに短パン、サンダルというラフな夏スタイルをしているのに暑い。これが日本の夏なのか。二十歳にして実感する。どこに行くでもなく通学路を歩いている。大学までは徒歩で十分。自転車を使うにはあまりに微妙な距離である。この道を右に曲がれば大学、左に曲がれば……どこに行けるのか。一年余り大学に通ってながらまだまだこの土地は知らないことばかりだ。今日は左に曲がろうか。
左に曲がってしばらく歩く。すると坂があった。私は登る。照りつける太陽に焼かれながらその先にあるものを求めて私は歩いた。三十分ほど歩いた先にはベンチと自販機とちょっとした屋根。休憩所だろうか。ちょっと休憩しよう。汗にまみれた午後一時。
アイスコーヒーを買って座った。しばらく日陰で呆けていると、足元に違和感。視線を下にやった。そこには一匹の猫が足の上で寝そべっている。無類の猫好きの私は喜びでどうかなりそうだったが、ここで騒ぐと逃げてしまう。大人しく猫に寝床を提供することにした。
野良だろうか飼い猫だろうか。一匹でこんなところにいてこいつは何をしているのだろうか。この猫に私は夢中だ。可愛らしい鳴き声。私と話しているつもりなのだろうか。
私は幼少期から友達を作るのが苦手だった。気になる子がいてもどう話しかければいいのかわからない。幼稚園の時は、手を出していた。私が持っていた唯一のコミュニケーション方法である。しかしそれでは喧嘩になるばかり。度々、大人に怒られ、みんなには嫌われる。小学校中学校そして高校に入っても上手くコミュニケーションが取ることができないままだった。このままではダメだと思い、 自分なりに努力をしてみた。流行りの音楽を聴き周りと話が合うようにしてみたり、最新の電子機器を持って気を引こうとした。頼まれたら断らないようにしていた。しかし、待っていたのは残酷な現実。クラスの中心グループのひっつきむし。はたから見れば金魚のフン。それでも高校時代の私は満足だった。ドラマのような学生生活、青春が味わえたのだから。いつからだったろう、笑い顔しかできなくなったのは……
ふと我に返る。猫はもう居ない。あの猫が語りかけるように見つめてきたのは覚えている。その語りかけに答えているうちに過去を振り返りすぎたみたいだ。汗はもう引いた。見たことのない道に高揚感を感じながらまた歩き出す。ゆったり流れる夏の風。それを感じる午後二時。
さっき来た道とは反対側の坂を下る。おそらくこの方向は駅に向かう道だろう。いつも使う駅にこんな場所から行くのは初めてだ。坂を下りきり、少し寂れた住宅地を歩く。なんとなく、実家のある場所に似ている。登校時間と下校時間以外は全く人通りのない通学路。そこに公園を見つけた。
私は、よくブランコに乗る子どもだった。母に怒られるとすぐに公園のブランコに逃げた。座って揺られていると隣には父が来る、いつものパターン。恥ずかしい話だが、これは高校を卒業するまで続いた。そんなことを思い出し、久しぶりにブランコに座った。もう足が浮くことが無い。自然と揺られることもない。
ブランコの揺れがなくなった頃から私は母とよく衝突するようになった。母は典型的な教育ママだった。育児書を読みふけり、理論に基づいて子育てをしていた人間だ。母は育児書の通りにいかない私に障害があると思っていた。いつまでたっても成果の出ない育児理論に母は頭を抱えていた。他人と比較されてけなされる日々。そのせいか私は、母が嫌で嫌で仕方がなかった。何かにつけて反抗し、喧嘩をする。その度にヒステリーを起こす母。それを見るに耐えなくなり私は、いつものブランコに逃げる。そんな私の一番の理解者は父だった。
まただ、今日はよく昔のことを思い出す。久しぶりに外に出たからか。こんな住宅地の真ん中にある公園のブランコで呆けている大学生なんて変質者みたいだ。事案が発生する前にここから立ち去ろう。身の危険を感じた午後三時。
住宅地を抜けると、いつも買い物をしている商店街についた。ここに繋がっていたのか。この商店街はとても長いのでどこがどこにつながっているのかを把握するのは難しいのだ。いつものスタート地点じゃないところから歩き始め、新鮮味を感じつつ商店街を見て回る。普段は食品スーパーのある入口付近しかいかない。でも今は、商店街のちょうど真ん中にいているらしい。お年寄りがちらほら歩いていてここだけ現代の雰囲気から取り残されている感じがした。ふと、横を見ると寂れた古本屋があった。何かの縁だ、寄っていこう。
店に入ると、古本屋特有のカビっぽい紙の匂いが鼻をくすぐった。日頃からあまり本を読まない私はこういう場所で何を見ていいのかがわからない。端の棚から順に見ていこうか。聞いたことのない作家の小説が並んでいる。大学入学を機に、読書に励もうと意気込んだのだが三日坊主どころか買った本を開きすらしなかった。それ以来、読書はしていない。する気も起きなかった。ここで面白そうな本を探すも、私が興味をもつようなものはなかった。隣の棚を見てみる。そこには、私の通う大学の教科書がずらりと並んでいた。中には私が新品で五千円も出して買った物が、たったの三百円で売られていた。自分の買い物下手を呪いつつ来年からここで買うことを決めた。この店内はとても狭い。最後の棚を見てみる。そこには、分厚い難しそうな本がいっぱいだった。特に興味もないのでさらっと見ていると見覚えのあるものがあった。
私の母は、大学卒業後すぐに就職しキャリアウーマンとして働いていた。父曰く、仕事が順調に進んでいた時に私を身ごもって、出産前夜まで仕事を続け、出産後は受験生のように朝から晩まで育児書を読みふけっていたらしい。根っからの真面目な女性である母は、よくも悪くも教育熱心だった。そんな彼女の愛読書。それは、発達障害に関するものだ。私は幾度となく診断テストを受けるために病院へ連れて行かれた。でも、いつも結果は正常。その結果を見るたびに母の読む本の量は増えていった。
最後の棚には、医学書が並んでいた。各科別に並べられていた。私は、不意に心療内科のコーナーで立ち尽くしていた。
だめだ。今日は本当にどうかしている。なぜこんなにも過去のことがフラッシュバックするのか……。疲れを感じる午後四時半。
古本屋を出ると先ほどとはうって変わって大勢の人が歩いていた。夕ごはんの買い出しだろうか。私もその流れに乗り、いつものスーパーへと向かった。まだまだ距離がある。ゆっくり歩いて辺りを見渡す。昔ながらの八百屋さんや魚屋さん、美味しそうなコロッケを揚げている肉屋さんがある。スーパーに行かなくても十分ご飯が買えるな。たまにはこういうところで買うのもいいかもしれない。今夜の食材の品定めをしながらまた歩きだす。
辺りの景色が変わった。先ほどまでの主婦たちの賑わいは消え、静かな場所に出た。道を間違えたかな……。まぁいい、このまま行けばいずれ元の商店街に戻れるさ。気楽に歩くことにした。よく見てみると、居酒屋の文字がちらほら。ここは、飲み屋街か。無類の酒好きの血が騒いだ。誘惑になびく午後五時。
静かだったのも最初だけ。会社終わりの人たちで賑わってきた。私は相変わらずぶらぶらとしている。すると磯の匂いが私の鼻を惹きつけた。おお、海鮮系か。看板には、土佐の味と書いてある。その文字で私の胃袋が惹きつけられた。今日一日、歩きっぱなしでほとんど何も食べていない私は飢えていた。そこに好物の海鮮、しかも高知の味と来た。行くしか無い。一人で頷き、暖簾をくぐる午後五時半。
暖簾をくぐり引き戸を引く。騒がしい店内に威勢のいい店員の声。まだ五時台というのにこの賑わい。私は確信した。この店は当たりだ。カウンター席に案内され、とりあえずビール。それはすぐに突き出しと共に来た。一日歩き疲れた足を労い、ビールを飲む。冷たさと炭酸が喉を、胃を刺激し疲れをどこかへ飛ばしてくれる。そんな気がした。突き出しは、里芋の煮っ転がし。朝ごはん以来何も食べてない私の胃の中に出汁の風味が優しく広がった。一気に食欲が高まった私はお品書きを手にとった。食べるものは、もう決めている。大学生になって初めての夏休みに行った高知旅行で食べた鰹、鯨、そしてウツボの味が忘れられずにいたのだ。今日は何かの縁、もう一度食べるぞ。騒がしい店内でも通る声を出す。不発。起きてから初めて声を出すのでどうもうまくいかない。タイミングよく店員が来たので注文を済ます。
しばらくすると、タコの酢の物が運ばれてきた。ビールをもう一杯頼み、お客さんを観察しつつちびちびする。店内に一際響くうるさい声の方に目をやる。そこには恐らく大学生であろう男女の集団。私の隣にはサラリーマンが数人。そこまで大きくない店内には私を含めこれだけのお客さんが居た。客達の目は必然的に騒がしい大学生集団の方へ向けられる。程よく酔いが回り始めた午後六時。
いつも思う。ああやって人目を気にせず騒ぐ奴は邪魔だなと。大学生らしき男女の集団は、お酒が入り気分が良くなったのだろうか、先程より一層大きな声でがははと笑っている。四人の女子と四人の男子が集っている。合コンなのだろうか。しかし、端にはぽつんと男子が一人。この集団の相関図を勝手に妄想しながら私はタコを噛みしめる。
あのまま、高校生活を送っていたらどうなっていただろうか。私は高校2年の春、学校を辞めた。となり町の名門私立高校に入学した私は、中学時代の知り合いが一人も居ない事を知り大幅に性格を変えて行くことにした。所謂、高校デビューというやつだ。結果は大成功。私は、今までの生活が嘘のように友達ができた。毎日学校にいくのが楽しみで仕方がない。一時間の電車通学の時間も友達と一緒なら退屈しないし、休み時間ごとに馬鹿騒ぎするのも楽しい。放課後は、街に出てぶらぶらしてファーストフード店でゲームをして帰る。まるで青春ドラマのような高校生活を満喫していた。
そんなある日、私は体調を崩ししばらく学校を休んでいた。久しぶりに学校に行き、またいつものようにみんなに話しかけたが反応がない。疑問に思いつつも仲の良い男子たちに話しかけると、少し躊躇いながらも強い目線で私の方を見ていた。話を聞くと彼らは、私の常日頃の態度が気に入らなかったらしい。私が病欠の間にのけものにしようと考えていたと言っていた。私は、まずいつも仲良くしてくれていた人に謝罪をした。それからというものの私は、迷惑をかけないようにニコニコしながら、私が中心だった集団の後ろをついて回った。みんなが笑えば笑い、みんなが怒れば怒る。私の自我はなくなってしまった。いつも笑って、頼み事は断らない。そういう人になったのだ。
忘れもしない、高校二年の冬。私は日頃からの重圧が臨界点に達し、心のダムが決壊した。笑うことがやめられない。やめてしまうと壊れてしまう。母はそれをみて、私を学校から遠ざけた。こうして私の高校生活は幕を閉じたのだ。
目線を上げると店員がいた。手には頼んだ品があった。鰹の刺身だ。私はビールを飲み干し、日本酒を頼んだ。もちろん、鰹に合う辛口である。様々な薬味があるが、まずは何も付けずに一口。たたきとはまた違った歯ごたえがあり、鰹の生きの良さがわかる。何も付けずとも、味わいがあり生臭くない。体に鰹の味が染み渡っていくのを感じていると、日本酒が来た。土佐の地酒だ。高知の清流が育む最高のものである。水がきれいなところのお酒はまず間違いなくうまい。高知の酒で高知の鰹を食べる。こんなにも贅沢なことはない。私は日本に生まれたことに感動して一人で頷いていると、隣のサラリーマンが目についた。
よれよれのスーツ、くたびれたネクタイ、乱れた髪に脂ぎった顔。いかにも疲れがたまった仕事帰りのサラリーマンが私の記憶をくすぐる。どことなく父に似ているのである。
私の父は、私の唯一の理解者だった。ブランコの件もそうだが、私が高校を辞めるといった時に一番心配してくれて、一番応援してくれた。辞めてから私は、通信制高校を利用して高卒の資格をとることにしたのだが、外に出てどこかへ行くことはできなかった。過度のストレスにより壊れてしまった精神を癒やすためには時間がかかった。家で暴走することが多くなった私の話を親身に聞き、生きる道を示してくれたのは父だった。
私は、心身ともに回復の兆しが見えたので、大学受験をすることにした。志望したのは一人暮らしが必要な遠い場所の大学。私は、家を出たかった。幼少期からの母の束縛から逃げ出したかった。父だけにはそれを伝え、受験をし、合格を勝ち取った。母には大学が決まってから一人暮らしすることを伝えた。当然、猛反対されたのだがそこでも父が説得してくれたおかげで何とか家をでることができた。そんな騒動ももう一年前の出来事……
全く見ず知らずのおじさんを見てここまで昔の事を思い出してしまうなんて……飲み過ぎたかな。いつの間にか鰹は無くなり、お酒も飲み干してしまった。身体から精神が解脱しそうな感覚に襲われ、頭のなかで過去の出来事が走馬灯のように蘇る。生まれて、育って、壊れて。私は今新たな道を歩んでいる。一八年間生きてきた私は死に、二十歳までの二年で新たな私を育ててきた。これからの私はどうなるのだろう。いつしか向こうの席で騒いでいた大学生たちはどこかへ行った。私もあの集団の中の一人の男子になっていたかもしれない。隣の席のサラリーマンはうなだれている。私が社会に出たらああなるかもしれない。昔のままではだめだ。新たなる自分を形成していくために素直に生きよう。私が私であるために。
空になったお皿と盃は下げられ、目の前にはウツボの唐揚げがやってきた。これで注文の品は終わりだ。最後に私はもう一度ビールを頼む。飲み過ぎたかもしれないと言ったのは撤回しよう。唐揚げにはビールだ。これが私の中での決まり事。素直に生きると決めたからには細かいところも素直に生きていきたい。呑兵衛は言い訳上手だ。何かにつけて飲む口実を考える。ウツボはグロテスクな見た目からは想像できないほど淡白で上品な味わいをもつ魚である。塩を一振り。揚げたての唐揚げにレモンはご法度。さくさくの食感を味わうためならば、多少脂っこい風味もいいアクセントになるのだ。一口で頬張る。口の中が焼けそうに熱い。噛みしめるほどに衣から溢れる油、身から放たれる淡白な風味、そして歯を跳ね返す皮の弾力。ほどよい塩味にビールも進む。私はぺろりと平らげた。ジョッキに少し残ったビールを飲み干し、食事の終わりをげっぷが告げる。
私は会計を済ませ、お店を出る。もう日が沈みかけている。夕暮の太陽を眺めつつ商店街を歩き出す。たまにふく風は心地いい涼しさを運んでくる。秋の訪れはまだかまだか。夕日を眺め今日一日を振り返りながら家路につく。秋がすぐそこに感じた午後七時。
朝起きてからずっと歩きっぱなしだった足は、じんじんと痛む。早く家に帰ろう。酔いと疲れで足元がおぼつかないが私は歩く。歩きながら私は、両親のことを思い出していた。一年前に家を出て以来、一度も会っていない。年に何回か来る仕送りに入っている手紙では、二人とも元気に過ごしていると報告が来ていた。まだ四十代後半の二人が明日明後日に急に死ぬとは考えにくいが、無いとは限らない。私は、新しい私として生きるためには過去を清算しなければならない。いまなら母としっかりと話せる自信がある。いまなら父にお礼を言える自信がある。一歩ずつ歩きだす。前へ歩いていると確信を持って言える。自らの未来の為に今を歩く。そう決心をすることができた。目の前には自宅。いつの間にか月が出ている。大きな満月に行くべき道を照らされた午後七時過ぎのことだった。
自室に戻る。汗と独特な私の匂いで充満した部屋は、先程までの清々しい外の空気とうってかわってどんよりとしていた。窓を開け換気をする。この気持が淀まないために。今日はいろんな事があった。起きてからここに戻ってくるまでの間、どれだけの独り言を発していたのだろう。傍から見ると変質者に見えてなかっただろうか。でも、たとえそう見えていたとしても後悔はない。私という人格が今進むべき道を見つけたからだ。私は、二十歳にして初めて自分で未来を変えようと思ったのだ。それが今日の成果だろう。
暑い。肌に張り付く部屋着、部屋に充満するむせ返る汗の匂い。不快極まりない空間である。これ以上惰眠をむさぼることができそうにないので私は渋々起きることにした。時計を見る。いつもよりずいぶん早い午前六時。私は身支度をし、旅に出る。過去の自分に会いにいく。今の自分を連れて行く。夏のある晴れた日の早朝は、雲ひとつ無い快晴である。
私は、歩く。一歩ずつ。自分に素直に生きるために。過ちをおかしてもまた道に戻れるように。
私は今日も歩く。 完