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~前話のあらすじ~
病弱貴族のイドフリスが、
①発作で倒れる
②各種メイドさんが現れる
③イドフリス復活「キラッ☆」
④まとめてヘル・アンド・ヘヴンを食らう
「夫がご迷惑をかけております」
怒り心頭のスイナに対して、先ほど一番最初に部屋に入ってきた侍女が土下座をして詫びていた。
「すべて妻である私の所為なのでございます」
イストはそんな彼女の顔に見覚えがあった。化粧こそ結婚式当日のものとは違っていたし、服装もエプロンドレスという貴族女子にあるまじき格好をしてさえいたが、彼の明晰な頭脳にかかれば、彼女がイドフリスの結婚相手であったことなど容易に知れることだった。
「そもそも私が巷で話題の執事喫茶に連れて行ってもらったことが発端なのです」
彼女の口から奇妙な言葉がなんか出てきた。
「夫は喫茶店のもてなし方にエンターテイメント性を見いだし、もともと病弱で狩りや工芸などの貴族遊びができないあの人は、ソッチ方面でもっと楽しみたいと思ったのです。そして二人で出向いたのが、メイド喫茶でした」
エンターテイメント制とか、この世界観にはそぐわないものなのだが、登場人物が言うのだから仕方がない。どちらかと言えば娯楽性と言って欲しいが。
「私は夫が元気よく楽しそうにしている姿を見て、自分もがんばらねばと思ったのです。なので、私は四六時中メイド服を来ているのです」
「いや、そのりくつはおかしい」
「理に適っていますね」
首をかしげるスイナと反対に、イストは深く頷いた。
あれだけガリガリに痩せ細っているイドフリスが、積極的に夫婦の営みをすることはあまり考えられない。体力的に色々と大変だからだ。しかし、メイドさんが近くにいるなら彼は普通の人間の血色になり、もちろん体力も常人のものとなる。それによって、しっかりと営めるようになるということだ。
だからイストは、その理屈を詳しく説明しようとしたイドフリスの妻の口をふさいだ。
「貴方たち夫婦がこのようなことをしている理由をよく理解しました。しっかりと教えていただき、感謝します」
「えっ……影武者は今の話で理解できたというの?」
「はい。姫は帰ったらアハナ殿にでも解説してもらうと良いでしょう」
「ええ、わかったわ。
それでは本題に移らせてもらうけど、良いかしら?」
「はい。私で答えられることならばなんでも答えます」
「知っていれば教えて欲しいの。お兄様がどこへ行ったか」
「そ、それは……」
明らかに何かを隠している。言い淀む婦人に、スイナは立ち上がって詰め寄った。土下座をする人をさらに追い込めようとするその姿にイストは身震いをした。もちろん、羨ましいなという不純な理由で。
「知っていると言ってるようなものよ、その態度は」
「いいえっ! 私はなにも……」
「教えたくないと?」
「そんなことは……」
「もう一度ぐらい空を飛びたいと?」
スイナが興奮気味に右手と左手を光らせると、婦人は土下座したまま器用に後退した。もちろん、今の状態のスイナがそれを黙って見過ごすはずがない。イストは、彼女が婦人を追い込むように移動したのをみて、このままでは婦人が踏まれると直感した。同時に羨ましいと改めて思った。
だが、その足が振り下ろされるのは床となる。
「待ってくれ!」
そう言ったのは、先ほどの攻撃を食らって気絶していたイドフリスだった。スイナはその言葉に従い、振り上げた足をゆっくりと床におろしたのであった。
「スイナ様、私の口から正直に話すので、妻を許してやってくれませんか?」
「まあ、教えてもらえればそれで十分だし……ねぇ、影武者?」
「はい、そのとおりです」
そう答えてすぐ側で跪く。
「姫は私を踏めばよいのです」
「意味がわからない」
間髪入れずに否定してくるスイナに、負けじとイストも返す。
「姫が私を踏む。私がやる気を出す。直感的に王子を見つける。姫も幸せ。
なんと簡単な論理でしょうか」
「そんなことをしなくてもイドフリスが教えてくれるわ」
「チッ! ならば、この道楽貴族を亡き者にしてしまえば、私を踏んでくださると?」
「いいえ。その前にお前を蹴り飛ばすわ」
踏むのはダメでも蹴るのはOKなのかとイドフリスと彼の妻が心の中でツッコんでいると、しなるスイナの左足が、跪くイストの腹部を蹴り上げる。
「ゴッ――」
再びの浮遊感。
物理的なことだけでなく、自分だけが蹴り上げられたという高揚感も加わり、先ほどよりも数倍の快感が襲ってくる。
「――フッ♪」
それによってとぎすまされた直感が、どんどん眼前に迫ってくる壁を打ち砕けと命令してくる。彼はそれに従い、右手に炎の精霊力を込めた。
「起きろ」
その小さく鋭い呟きは、彼を取り巻く世界を一変する。
周りの動きすべてが遅くなった。
いや、彼が早く動いているのだ。
そんな加速された彼の脳にとっては、目の前に迫る壁を打ち破るプロセスなど、軽くクリアしていける。障害などはどこにもない。
手から燃え上がる炎は大きく、噴出する勢いも強い。
「猛れ」
勢いはさらに増す。イストの周囲の温度が一気に上昇し、暑さでかいた汗も瞬時に気化するほどの熱さへ変貌する。
明らかに、スイナの炎の力よりも巨大。段違いだ。
それは彼が精霊使いでも異色とされる〝精霊憑き〟と呼ばれる存在だからである。
魔導学者によれば、精霊憑きとは生まれ出でた瞬間に近くを漂う精霊と同化した人間であり、同化した精霊以外の精霊を使役することができなくなる反面、同化した精霊を自分の身体のごとく使いこなすことが可能になると言う。もっとも、使いこなすには精霊使いとしての知識はもちろんのこと、自らを理解し、制御する精神力も必要とされる。
このイストという影武者は頭脳明晰であり、なおかつ、一応は自らの被虐性欲を満たすこと意外に関しては自制心を持っている。また、被虐性欲を依存する相手にも、今のところ近くに良くいるスイナのみとなっているほどに自制心がある。
故に、この男、実はかなり強い。
マゾでなければ、スイナの暴力を含めた彼への攻撃はすべて無効化してしまうほどに強い。……本当、残念な設定だ。
「集え」
イストは右手の炎を集束していく。
赤かった炎は白くなり、それを通り越して青くなる。
青い炎は彼の右手に握られるようにして、一振りの長剣のようになった。それを、彼は一気に振り抜いた。
「断て」
ヴゥン、という奇っ怪な音をたててその炎の刃が壁をたやすく切り裂く。
「爆ぜろ」
そして彼の言葉で青い炎の長剣は赤い爆炎へと変化し、彼の思考のとおりに壁の亀裂を広げるように破壊。
現れたのは隣の部屋。
そこにいたのは目的の人物。
イストは空中で体勢を立て直して綺麗に着地し、口を開く。
「そろそろ帰る時間ですよ、王子」
「はっはっはっ……まだ、ボクは飽きていないんだけどね」
その声の主は狼狽などしていない。突然の出来事に対応できていなかったのは、彼の周囲を取り巻く数名のメイドさんだけだった。
イストは目の前で平然としている男、クラオジルス・ヤラオ・レバンジオを睨み付けた。
まただ。また、この男は精霊憑きの力を見ても動じないでいる。
一部地域では悪魔の力とも言われて迫害の対象である精霊憑き。それほど凶悪とも言える力を目の前で見せられても、クラオジルスは平然としていた。確かに何度も見せられていると言えばそうなのだが、ドラゴンを除いては最強の兵器とも言われる精霊憑きの精霊行使を目にしてもなにも動じない。
人を越えた力を見せつけてもこれなのだ。
だからイストは、いつもやりづらいと思っている。
だからイストは、この男がいつか自分の夢の障害になるのだと確信している。
「お兄様! 見つけましたよ!」
「はっはっはっ……見つかっちゃったか」
「はい! なので、お城へ一緒に帰りましょう」
「はっはっはっ……でもまだ、ボクは捕まっていないんだよね」
クラオジルスはそういうと、周囲をまとわりついていたメイドさんを風の精霊行使で吹き飛ばす。それはあくまでもやんわりと、相手を傷つけない絶妙な加減の精霊行使であった。
「えっ!? お兄様ぁ?」
動きを止めるスイナを尻目に、彼は滑るように床を走り、窓を開け放って宙に舞った。
「はっはっはっ……かくれんぼから鬼ごっこに変更だよ」
そしてそのまま窓から離れていく。
素早い動きだ、とイストは感心する。
精霊憑きでもないのにあれほどに風の精霊を操れる精霊使いはあまりいない。きっと、風の精霊行使に関しては、レバンジオ王国においてクラオジルスが最高の技術を持っているだろう。
知り合ったばかりのころ、クラオジルスは言っていた。風使いは最強なのだ、と。
そう言っては、彼は風の精霊行使でスカートめくりを繰り返していた。
なので、イストはいつも反論していた。
「それは、貴方がすごすぎるだけです」
また、口に出してしまう。
スイナが風の精霊行使をして、なんとか窓から外に出ている姿を見ながら、イストは久々に被虐性などの性欲以外のことに対して燃えだした。
次話でこの章もクライマックスだったりします。




