1-3
~前話のあらすじ~
影武者であるイストは、授業を受けた理由を、王子に頼まれたわけではないという。それを信じたスイナは、この国の移動手段であるドラゴンの倉庫やザウルスの飼育舎に向かうのだった。
※今話は過去編です。
イスト・サーヴァラには夢がある。
もともとのそれは彼の両親の夢だったが、今では彼自身の夢となった。
彼は自分の国を持ちたいのだ。
それは何かの本を読んだことで国を持ちたいと願ったわけではない。また、巨万の富と名声を得るために国を持ちたいと願ったわけではない。
彼と彼の両親は、彼が生まれたときに伝えられた予言を信じただけだった。
産婆の老予言者は言った。
「この子は手のひらに白い宝石を握って生まれてきたのじゃよ」
と。
彼女は数年前から、白い宝石を握りしめて生まれてきた男児が成長し、国を治めるようになる夢を何度も見たのだという。イストこそがその男児で間違いないのだと断言してきた。
また彼女は「このことは他言無用じゃ」と強く言ってきた。これまで誰にも言ったこともない重要な予言だし、そんなことを公言すれば国家転覆を画策しているのではないかと疑われてしまうかららしい。
最初の頃、両親はそのことを信じるわけなく忘れていた。だが、イストが徐々に育って行くにつれ、彼が持つ独特の雰囲気と、彼の才覚を目の当たりにして思いだしたのだ。そして彼の父は彼に言う。
「お前はいずれ自らの国を持つ人物になる」
と。それに対してイストは応えた。
「知っています。私を取り上げた産婆がそう言っていましたから」
と。
産声を上げていたときのことすら性格に記憶している自分の息子に驚きながらも、父親はそんな彼に自分ができる限りの教育を施した。彼が自分を越えたときからは、なけなしの金を叩いて学問所にも通わせた。母親も家の手伝いをさせることなどなく、叱ることもなく、ただただ見守り続けた。
そして彼が10歳になったある日のことであった。
戸を叩く音がしたので母親が開けると、そこには軽装ではあるが、王家直属の近衛兵数名が立っていた。
両親は慌てる。まさか、自分の息子が国を持つことを察知されたのかと。
だが、それは思い過ごしだった。兵士が左右に割れると、王家のパレードぐらいでしか見たことのない豪華な衣装を身に纏った中年の男が歩いてきた。
ただしその男、頭は非常に残念なほどに豪華ではなかった。可哀想なほどに貧相だった。頭頂部はおろか、前髪さえ抜けきっている。それに、顔もやつれている。
その、豪華な格好をした貧相な男がにこやかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「私はテクタイト・イガ・イソー」
父親は目を見開いた。イソーと言えば平民でも知っているほどの一流貴族だ。しかも、彼はテクタイトと名乗った。
「うーむ……現貴族院議長と名乗った方がよろしいか?」
最近に議長になったかなり優秀な政治家だと、平民の間でも噂されている。
内政、特に商工業に関する色々な政策を打ち出して、そのことごとくが良い結果を生み出している。もっとも、イストの父親にとっては「最近、給料が良くなったな」程度の認識で、母親にとっては「最近、不良品を掴まされることが無くなったな」程度の認識しかない。
両親が慌てて跪くと、テクタイトは満足そうに頷いて家の中を見回した。そして、イストと目が合う。
「その子がイストくんだね?」
「「は、はい!」」
両親が顔を地面に向け続けているのに対して、イストはテクタイトの顔をじっと見つめ返していた。テクタイトはそんな男児の恐れのない澄んだ瞳を見て、またもや満足そうに頷いた。
「さて、イストくんのご両親」
「「は、はい!」」
「イストくんを譲ってはくれまいか?」
「「……はぁっ!?」」
流石に両親は顔を上げた。自分たちの一人息子がとても優秀なことを知っているし、自分たちにとってもかけがえのない宝物、もしくは、金の卵を産むガチョウである。
だからといって、貴族院の議長を務めるほどの一流貴族が、いくら優秀だからという理由で平民の子を欲しがるなんて聞いたことがない。いや。子供を変な意味で愛する貴族がいて、子供を買っていくとは聞いたことはあるが。
理由がどちらにしろ、両親には大きなショックだった。そんな二人の様子を当然だと思いながらテクタイトは事情を説明することにした。
「王子の影武者としてイストくんを欲しておる」
それから色々と話をしていくにつれて両親の顔には笑みが浮かんできた。二人がイストの代わりとしてもらうことになったのは、支配者階級が受け取る給与だった。土地を持たない下級貴族や騎士たちと同等の額らしく、ハメさえ外しすぎなければ一生遊んで暮らせるだけの金になるとか。それを知った両親は、イストをテクタイト経由で王家に売ることを選んだ。
イストはそんな両親の決断を仕方がないと思った。支配者の親という想像が追いつかない存在より、色々と想像させてくれる多額の現金の方が嬉しいのだろう。ただ、これまで育ててくれた恩は、自分の手で返したかった。自分がどこかの国王にでもなったときにきちんと返さなければと決意した。
イソー家の屋敷に通され、軽い健康診断と衣服を上等なものへの交換を行った。その後に王城に通され、二人の近衛兵によって小さい一室に案内された。そこで彼は運命の出会いをする。
イストは部屋にいた先客を見て驚いた。
先客は二人で、確かに一人は男でもそうはいないほどの長身でなおかつ恰幅の良い中年の侍女であり、驚くに値する人物だ。だが、イストは彼女には目もくれずに、もう一人いた少年に釘付けになった。
「はっはっはっ……本当によく似ているね」
王子と思われる人物は、とても自分とよく似ていた。影武者として買われたのだからそれなりには似ているのだと思っていたが、背丈や顔の輪郭はもちろんのこと、目や鼻などの顔のパーツの造形、肌や目や髪の色など、違う部分を挙げろと言うのはなかなか容易でないほどに似ていた。
イストは思う。産婆の予言は自分が影武者になり、いつの間にか王子と入れ替わってこの国を支配することを示していたのではないかと。
表情は驚きから邪悪な笑みに変わる。
「はっはっはっ……ボクの影武者くんは笑い顔以外はボクに似ているみたいだね」
何も考えていないように見えた王子だが、イストの心の内を見透かしたかのように、彼の犯した小さなミスを指摘してきた。
ぞくり、とイストは悪寒が走った。
初めての感覚だった。これまで見聞きしたものは大抵すぐに理解できた。学問所の先生が言っていることも、教科書の内容もすぐに理解できた。また、学友がどういう性格の人間で、自分に対して抱いている感情と、それと逆の意味の言葉を言っていることもすぐに理解した。
だが、この王子と呼ばれる人は違う。
得体が知れない。
「はっはっはっ……ボクの名前はクラオジルス・ヤラオ・レバンジオ。ボクはね、キミのことを影武者ではなく、自分によく似た顔をした友達だと思いたい」
背中に嫌な汗を掻いているイストに対して、王子であるクラオジルスは優しい微笑みを浮かべて手を伸ばしてきた。イストはその行為が何を意味しているのかわからなかった。もしかしたら殺意を示しているのかも知れないと、ただただたじろいだ。
「はっはっはっ……ただの握手だよ。怖がらないで」
「え……?」
よく考えればクラオジルスが言うとおりに簡単なことだった。しかし、王族が自分のような平民に対して握手を求めてくるだなんて想像していなかった故に、何をされるのかと恐れた。
握手をしながらイストは考える。
今はまだこの人と入れ替わろうだなんて思わない方がよいと。だが、いずれは入れ替わってやると心に決めた。
その決意を瞳に宿し、クラオジルスを真正面から見つめる。
そこには良い笑顔をした彼がいるはずだったのだが、彼は笑顔を通り越して口を大きく開けて「はっはっはっ」と笑っていた。
何か失敗したか。
イストは焦ったが、その必要はなかったようだ。クラオジルスの横に立っていた恰幅の良い中年の侍女が彼の手を引っ張り上げた。彼は宙づり状態になる。
「王子! またイタズラを!」
「はっはっはっ……ひっかかったね、影武者くん」
ふと、手のひらに感じる妙な感触。視線を向ける。そして見たまんまを口にする。
「……ウンコ?」
手にべったりと何らかの動物の糞が付いていた。もちろん、侍女につるし上げられているクラオジルスの手にもべったりと同じものが付いている。
「はっはっはっ……平民の男の子同士は、ウンコで盛り上がるって聞いてね、実戦してみたんだ。これでボクと影武者くんは友達ってことだね」
「まぁっ、王子ったらどこでそんなおかしな知識を覚えたのですか!?」
侍女はクラオジルスを叱りつつ、片手で何度も振り回すことで気絶させていた。近衛兵が何かとても慌てているが、侍女は何にも感じていない。感じていたらそんなことできない。
そんな彼女はイストに顔を向けて申し訳なさそうに謝ってきた。
「ごめんねぇ、イスト。うちの王子様は本当にイタズラ好きで……」
少し呆然としながらも、彼は思ったとおりのことを口にしていた。
「いいえ……大丈夫です、別に悪い気はしませんから」
侍女は、ぎょっ、と目を見開いて、「本当に平民の男の子達はウンコを……」と呟いていた。
しかし、彼の心は複雑だった。自分は平民として生まれたが、実際に平民らしく生活はしていなかった。だから、男の子同士の遊びなんて知らない。それなのに、なぜ自分はこのウンコまみれの手を不潔だと思わないのだろうか。もしかして、自分はそのような子供同士の友情に飢えていて、それを満たされたことに満足しているのか。そんな心を持ちながら、自分は支配者になれるのだろうか。
先ほどは目の前にいたクラオジルスに恐れていた。そして今度は自分自身。クラオジルスは自分によく似ていた。だから、彼への恐れは自分への恐れになったのか。
頭をかき回されるような吐き気を感じたが、それはすぐに消えてなくなることになる。
侍女の後ろの戸が急に開けられたのだ。
ぼうっとする頭で目を向けると、高価であろうドレスを着た可愛らしい少女がいた。少女はその白磁のような頬を真っ赤に上気させ、絹糸よりも光沢のある銀髪を風でなびかせながら侍女にすがりついた。
「アハナ、大変なの!」
「あらあら、姫ではありませんか、どうなさったので?」
「なくなっちゃったの。アタシのがなくなっちゃったの!」
「何がなくなってしまったの?」
小さい子供にありがちな文法通りでない言葉に対し、アハナは優しく聞き直してあげていた。しかし、それなのに姫と呼ばれた少女は顔を真っ赤にするだけで答えようとしない。
「あらあら……言ってくれないと一緒に探してあげられないのに……」
「うー……うー……うーっ!」
とても言いづらいことのようだ。周りをきょろきょろしている。イストは、もしかしたら自分たちがいるから話しづらいのではないかと思った。
そして、ふと目が合う。
「……はれぇ? おにいさま?」
「え?」
姫というのだから、先ほどまで元気で今は絶賛気絶中のクラオジルスの妹なのだ。だから、クラオジルスと同じ容姿をしたイストを兄だと思い違いしても変なことではない。
「お、おにいさま……じ、じつはですね……」
侍女には言いづらくても兄には言えることのようだ。しかし、視線の定まらない少女がイストの手を見たときに口を動かすのを止めた。
少女が少しずつ近づいてくる。
愛らしい少女が近づいてくるのだから、それは本来であれば嬉しいはずなのだが、イストは恐怖を感じた。少女になにかよくわからないが大きな力が集まっているのを知ったのだ。
少女は拳を握りしめる。そしてそれぞれの拳に力が集約していく。
右手にはトゲトゲした氷が浮き出てきて、左手にはメラメラと炎が吹き出てきた。
それを少女は組み合わせる!
二つの対照的な力は互いを打ち消し合い、その都度に巨大な破壊の力を生み出す。
そして少女はイストに向かって走ってくる。
泣きながら!
「……おにいさまのバカァァァァッ!!」
破壊の力を撒き散らす手がイストの顔面を捕らえる。
なぜ殴られたのだろうか、イストは自問する。答えはすぐに少女が教えてくれた。
「アタシのおまるをぬすんだでしょぉっ!!」
なるほど、とイストは思った。
自分の手に付いていたのは少女のウンコだったのだと。だから、なるほどと思う。
彼は聡明であり、10歳という年齢でありながら、色々な知識を得てきた。その中に、異性の糞尿を好む性癖があるということももちろん修められている。
だから、自分はそういう人間なのだと。
また、本来であれば痛くてそれどころじゃなくなっているはずなのだが、自分はその痛みを不快なことだとは思っていなかった。
これまで彼の両親は彼を叱ったことがなかった。だから、叩くことがなかった。だから、叩かれるということをしらなかった。その、これまで経験したことのない衝撃が顔面から全身に走った。
それを彼は理解した。
気持ち良いと理解した。
痛みと快感。まさに地獄と天国。
叱ると言うことには愛情がなければならないことを彼は本で学んだ。つまり、今の痛みを不快と感じない彼は、そういった愛情に飢えていたということだろうか。
違う。
彼は聡明であり、10歳という年齢でありながら、色々な知識を得てきた。その中に、異性からの加虐により快感を得る性癖があると言うことももちろん修められている。
だから、自分はそういう人間なのだと。
そういった自分の本性を晒しだしてくれた二人の王族との出会いは、まさしく運命の出会いだったと言える。
そう、本当の自分との出会いだったのだ!
うん……歪んでない運命だと良いね。
別に私は排泄物をぶっかけてほしくはありません。少し背中を踏んで欲しいとおもうぐらいです。