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~前話のあらすじ~
城を襲った衝撃は、移動用の大型ザウルスであるソムルカが激突したときのものだった。ソムルカのキャビンにいたのはチャシリスのみで、クラオジルスはソムルカを暴走させたあとに脱走していたのだった。スイナはイストにクラオジルスを追うよう命令した。
ヤラオの背に乗り10分ほど街道を走ると、右手に湖が見えてきた。湖と言うよりは沼のサイズだが、山林に囲まれた環境が沼と呼ぶのを躊躇わせる。
街道から湖に降りる道はない。だが、獣道らしい草の生えていない場所を見つけたので、イストはヤラオをそこを歩かせ、緩やかな斜面を降りていった。
「大丈夫だ。私とお前相手では肉食獣ぐらいでは役者不足だ」
「エゥ」
タダノィルの山林にはザウルスの生息場所もある。ヤラオのような草食タイプもいれば、ダヒィ目に分類される陸竜のような肉食タイプもいるだろう。しかし、ヤラオほどに成熟したザウルスと、精霊憑きのイストを相手にしようとするほどのダヒィは普通はいない。襲ってくるとすれば、相手の力量を理解していない頭の悪いヤツか、もしくは群れで狩りをするタイプだろう。だが、頭の悪いだけのヤツならば相手は楽だし、群れで襲ってくる奴らは見つけやすくて回避しやすい。
「囲まれてからでは遅いからな。十分に警戒をしよう」
「エェゥ」
つまり、イストたちの場合はこんな所を走っていても何の問題もないと言うことだ。では、生身でこんな山林を歩いたであろうクラオジルスはどうだろうか。
彼は優秀な精霊使いであり、空を飛ぶこともできる。しかし、ザウルスにも空を飛ぶ種類が多くいるので注意が必要になる。
飛竜はイウル、ペルヘトナ、フィリの三つに分類され、レバンジオやタダノィルで見られるのはイウル目が中心で、特にハーグル科やガラセバン科など大型から中型が中心である。ハーグル科ハーグル属のザウルスともなると、全長3m翼開長6mにもなる大型の観測例もあり、そこまで成長するとウシやウマを爪の一撃でしとめることも可能なのでかなりの危険を伴う。
もっとも、これの湖のように都市に近い場所には現れることはないので、クラオジルスは無事だろう。こんな所にはいても中型の飛竜ザウルスのみだ。
イストはヤラオの足下に落ちているいくつかの死骸に目を向けた。
「……この死骸はジャハか?」
彼が見ている死骸は、全長80cm翼開長180cmほどの黒い鱗をした飛竜ザウルスだった。要はカラスのザウルス版だ。それがあちらこちらに点在している。だいたいは何か鋭利なモノで身を切られたり、炎で焼かれたような痕があった。中には外傷がないようなものもあり、それは石礫で撃ち落とされたのだと予想できる。
クラオジルスを襲うということは、こういう結果になる。
そんな男をこれから捕まえなければならないと思うと気が滅入る。しかも、相手を傷つけてはいけないはずだから、さらに気分が重くなってくる。
やがて視界が開けてきて、木々の間から輝く湖面が見えてきた。
澄んだ水の匂いと共に、自然界にはそぐわない良い匂いがしてきた。
「王子、探しましたよ」
イストは視界にクラオジルスを見ることなくそう言った。
「やあ、待ちくたびれたよ、イスト」
クラオジルスはイストを見ることなくそう言った。
「こんなところでたい焼きですか?」
「うん。国から出る前に買ったんだ」
例の菓子屋でまた購入したのだろう。クラオジルスの手にはたい焼きが握られていて、歯形がある部分からはほんのり湯気が立っている。
「精霊の力を食料を暖めることなどに使わないでください、王子」
イストはヤラオから降り立ち、クラオジルスにゆっくりと歩み寄った。
「だめだよ。便利なことだし、そのほうがずっとおいしくなる」
「ですが――」
イストの小言を遮るかのように、クラオジルスは紙袋から別のたい焼きを取り出すと投げつけてきた。それを余裕に受け取ったイストは、一口かじってから言葉を続ける。
「――精霊の力を使うのはごく一部の人間です。その者たちだけが幸せになることは余りよい国とは言えません」
確かにたい焼きは暖かい方がおいしいが、それは焼きたてに限るとイストは思う。暖め直したものは所詮紛い物の味だった。
「へぇ」
ここに来てようやくクラオジルスはイストを直視した。イストはそんな彼の目を見る。いつものように死んだ魚のような濁った目だったが、いつものようなふざけた様子はなかった。
「精霊憑きであるキミがそんなことを言うんだ。キミこそ選ばれた人間と言っても相応しい存在だろ?」
「そうかも知れません。ですが……だからこそ、私は私以外の人間にも幸せになって欲しいと思うのです」
「ふーん。それってさ、キミも普通の人間と一緒でいたいという願望じゃないの? つまりさ、キミは自分で普通の人間ではないと認識しているんだ」
彼の目にはイストを蔑むような様子はなかった。だから、イストはそのまま話を続けることにした。話をするだけで彼の心が安らぎ、素直に従ってくれるならそれ以上のことはないと判断したのだ。
ひとつ、大きな息をする。
「王子には私のことをもう少し教えてあげましょうか?」
「そう言えばキミのことをなにも知らなかったな。いや……影武者だからこそ、そんなことを知る必要がなかったのかなぁ」
「聞きたいですか?」
「うん。知ってのとおり、ボクはいつも飽き飽きしているからね」
少しだけ、彼の目に気力が満ちてきているのが見えた。
「実はですね、私は将来国を手に入れる存在なんです」
「は?」
イストの口から語られたのは、イストの出生から影武者として買われてしまうまでの話であった。クラオジルスはあまりにもインパクトの強い出だしに虚を突かれた様子だったが、途中から顔をほころばせたり、しかめたりしながら楽しそうに聞いていた。
「――ですから、私は自分を普通の人間だと思ったことは一度もありません」
「おかしな人だとは思っていたけれど、まさか産道を出た瞬間からの記憶があるのだとはね。ただの変態じゃなかったんだね」
「はい。私は天才な変態です」
そう言って二人で、ニヤリ、と笑う。顔の作りの同じ二人だが、かたやイストは口の右端を軽く上げる野心的な笑みで、こなたクラオジルスは口の両端を広げて歯を見せるイタズラ好きな笑みだった。
満足そうにクラオジルスは話を続けた。
「じゃあ、そんなことを知ったボクたちは友達だね」
「いいえ」
しかし、イストは首を横に振って否定する。
「私はいずれ国を手にする男ですよ」
「ああ、そういえばそうだったね。残念だ、キミとは分かり合えると思っていたのに」
「はい、そうですね。私と貴方は友人同士になることはできません」
少し寂しそうに表情を曇らせるクラオジルスに、対称的にイストは笑った。しかも今度は、先ほどのクラオジルスのようなイタズラ好きな笑みだった。
「ですから、私と貴方はライバルにしかなれません」
「……え?」
「互いに国を率い、どちらが良い国かを競うライバルにしかなれないのですよ、王子」
少しだけ呆けた顔をしていたクラオジルスは、突然に破顔した。
「あははははっ! それはいいね!」
「私もとても良い提案だと思います」
「そうだよ。とても良いことだよ! あははははっ!」
クラオジルスは大きな声で笑い続けた。これまでの「バカ王子」の仮面を被ってるときの笑いと違う、腹の底から、心の奥から声の出す、本当の笑い声。
イストも彼の新しい表情を見たことをうれしがり、その馬鹿笑いが終わるまでじっと待ち続けた。
しばらくして彼は腹を押さえて涙を流しながら、その真っ赤な顔をしながらイストへ歩み寄ってきた。
「まったく、キミは本当におかしな人だな」
「違います。私は天才な変態です」
「そうそう、それそれ。じゃあ、ボクはその天才な変態さんと競わなきゃいけないから、がんばって勉強しなおさないとね」
「そのとおりです。そうでなければ私の楽勝に終わってしまいますから」
「というわけで――」
破顔していたクラオジルスは急に表情を引き締め、目の前まで近づいたイストの両肩に手を置いた。
「――もう、イタズラは終わりにしないとね」
イストは若干後悔した。普通じゃない人間である自分でさえ、この目の前にいるバカ王子を演じてきた人物を怖がっていたのだ。そんな人が全力を出すのだという。
だから、イストは少しだけ後悔し、その他の思いはすべて歓喜であった。
「はい。全力を持って相手させてもらいますよ」
それから二人はヤラオに乗り、スイナの待つタダノィルの城へと戻るのだった。
イストは思う。もしかしたら二人が支配する国同士が戦争し、命の取り合いをする未来もあるのかも知れないと。だが、いつか殺し合いをする仲になるのだとしても、今の自分たちの間には確かな友情があると。
ザウルスの説明文章にあるそれっぽい名前は、「目」レベルはただのカタカナ造語ですが、それ以下の「科」と「属」に関してはモデルになっている各生物の名前から取っています。
たとえば、今回出てきたカラスのザウルス版であるガラセバン科ジャハ属の場合を説明します。カラスの沖縄方言が「ガラサー」であり、英語が「レイヴン」二つ合わせて「ガラセバン」(バラセヴァンだとしつこい感じがするので)。
また、大型飛竜である「ハーグル」ですが、あれは私が現世界最強の飛行生物だと信じているオウギワシのことです。英語ではハーピー・イーグルなので、「ハーグル」となりました。……オウギワシ、格好いいですよ。樹上でサルやナマケモノを捕らえて食べるんですが、飛行途中で木に翼をぶつけても怪我を一切せずに真っ直ぐ飛行し続けるなど、王者の貫禄いっぱい! ワシなのに林の中を飛び回るとかパネェッ!