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~前話のあらすじ~
いつもと同じようでどこか違った「王子逃亡」という出来事は、スイナとイストの活躍で幕を閉じた。だが、その差異を感じ取ったのは二人だけではなかった。
イスト・サーヴァラには仕事がある。
今のところ、彼は騎士である。騎士は貴族のひとつであり、貴族年金と呼ばれる給与を国から支給されている以上、仕事も回されてくる。クラオジルスの影武者をすることや、スイナやクラオジルスのお守りをすることが彼にとっての表立った仕事だ。
それだけなら、城を逃げだしたクラオジルスを探そうとしているスイナがいたならば、彼はすぐにでもそれを手伝うべきである。しかし、先日の場合、彼はスイナからの依頼に対して最初は難色を示した。
彼には王族が知らない方がよい仕事がある。たとえば、先日の王子の逃亡劇を終わらせたあの〝自警団〟の設立と運営に関すること。
イストは今、その〝自警団〟設立に関して力を貸してくれた目の前の男、テイクタイト・イガ・イソーと、あてがわれた自室にて話をしていた。
「議長はどう思われますか?」
「まさか、王子がそのような考えに至っているとは……」
イストは、先日の王子の逃亡劇について、彼が考察したものをテクタイトに伝えた。本当ならば当日すぐにでも伝えたかったのだが、それは多忙な貴族院議長という身分が妨げとなっていた。証拠のないただの考察なのだ、国が豊かになるように身を粉にしているテクタイトの時間を消費していいわけがない。
「私は〝自警団〟の使い勝手に関して意見を聞こうと思って来たというのに、より胃が痛くなるようなことをさらっと言うのだね」
鳩尾辺りを手で撫でるテクタイトだが、その表情は苦痛と言うより苦笑いだった。
「ご迷惑をおかけします」
「いや、よいのだ。この国の行く末を思えば、キミに期待するしかないのだからね」
「それは私も理解しています。ですから、王子がラヌイジオとの友好関係を反故にするようなことは防がねばならないのです」
「しかし、その相手がタダノィルとは……あそことは王族同士すら、貴族間でも交流がないというのに。もっとも、あの国に伝わる古い言い伝えを我らが毛嫌いしているだけなのだがね」
「言い伝え?」
イストはテクタイトの発した言葉に疑問を感じ、自然と質問していた。
「おや……イストくんには初耳だったかね?」
「はい。最近になってタダノィルの資料を読み始めましたが、忌むべき言い伝えなどは聞いたことがありません」
ここまで聞いてハメられたと思った。テクタイトはイストが聞いてくるようにし向けていたのだろう。古い貴族や王族しか知らないことを単なる影武者に教えようというのだ。それは彼を王子の替え玉として担ぎ上げようとしていることから逃れられないように、外堀から埋めているということだ。
なかなかこのイストという男、責任感が高い。本人は自分を野心家だと思っているが、周りは義理堅い青年だと評価している。本人はあまり感じていないようだが、一度約束したことは裏切らないし、他人の世話を嫌がらない。
それ故、テクタイトはバカ王子であるクラオジルスの替え玉としてイストを担ぎ上げようとしている。貴族院によって政治が行われているといっても、未だ王族には最高貴族としての様々な権限が与えられている。たとえば、最近のラヌイジオでも話題になっている開戦や停戦など、戦争に関する決定は王族がするものだ。また、同盟の締結や破棄も王族が決定する。クラオジルスのように自分の楽しみのためだけに生きているようなバカ王子には大きすぎる権限であり、テクタイトはクラオジルスにそのような権限を与えないようにするために影武者を、イストを探し出したのだった。
しかし、イストはイストで影武者としての役割を全うしようとも考えており、また、彼自身には自分の国を持つという夢がある。彼は思う、自分の国は誰かに与えられるものではなく、自分の手で手に入れるべきものだと。
だから、イストはできるだけこの国の重要な事柄に触れないようにしてきたのだが、こうして徐々に国政の中心に追い込まれていくのだった。
「知りたいかね?」
「ここで『いいえ』と答えても、いずれは知らねばならぬことになるのでしょう? 貴方とはそういう方です」
「フフッ、よくわかっているね」
テクタイトは満足そうに笑ったかと思うと、すぐに表情を引き締めて語り出した。
「かつて、タダノィルはこの大陸一の大国であった」
今では辺境国のひとつでしかないあの国が、過去はそうではなかったという。その事実に驚きながらも、国の盛衰などどうなるかわからないことを知っているので、すぐに考えることをやめた。
「我らレバンジオも、現在の大陸一の大国であるラヌイジオも、もともとはタダノィルの支配下にあった。無論、今はラヌイジオがドラゴン開発技術においても最も進んだ技術を持っているが、当時はタダノィルが持っていた。今のラヌイジオよりもさらに進んだ技術だった」
戦争に使うための技術なのだから、それを持っている国が大きな領土を持つことはおかしなことではない。
「しかし、それほどに進んだ技術を持っていたのにも衰退してしまった」
問題はタダノィルがかつて大国だったことではなく、衰退したことにある。現在のタダノィルにはドラゴンを開発する技術は全くない。同規模のレバンジオでさえ、移動用の鈍重なドラゴンという制限はあるものの、自国で開発している。それにもかかわらず、かつては大陸一の技術を持っていたタダノィルがドラゴンを開発していない。
理由は何だ。イストは思考を回転させ始める。
「キミも不思議に思うだろう? ドラゴンほど人間に恩恵を与える技術はない。それにもかかわらずに、それを捨て去り、国を衰退させてしまったなど、常識では考えられない」
だから、タダノィルにて常識外のことが起きたということだ。そう、たとえば――
「なんらかの大災害が起きたのではないかと言われている。もちろん、それを示す資料もなく、大災害だけで技術が消滅することも信じられないが、もし、国を傾かせるほどの災害が何重にも同時に襲ってきたらどうだろうか?」
それは呪いだ。
あまりにも行きすぎた技術を手にしたために天が罰を与えたのか。
その呪いから逃れるためにタダノィルは技術を手放したのだろうか。
「キミも思っているだろうが、そこまで行くともう、災害と言うより呪いだね。だから、我らはタダノィルとの交流を持っていない」
確かに、呪いに巻き込まれてはならない。
だが、レバンジオの同盟国であるラヌイジオは、今の状況で行けば戦争を開始して大陸の大半を支配する大国になるだろう。そのとき、かつてタダノィルを襲った呪いがラヌイジオに目標変更しないのだろうか。もちろんそうなったときは、ラヌイジオと歩を同じくするレバンジオも狙われる。
イストはいつの間にか表情を引き締めていた。同じような表情をしているテクタイトと視線が合う。
イストは考える。この目の前の男はきっと、いつの日かラヌイジオと歩を違うための戦いをしなければならないと知っている。だからこそ、自分にこんな話を聞かせたのだ。国を新しい方向へ牽引するためのリーダーを作りたいのだろう。
それはいいことなのかも知れない。今のレバンジオをそのままいただくのではなく、優秀な政治家を引き連れて国を新しいものに作り替えていく。それは、自分で自分の国を手に入れることとそれほど代わりがないだろう。
だが、問題なのは、今現在ではラヌイジオと敵対することは避けなければならないと言うことだ。同時に、タダノィルとの交流を持つことも避けなければならない。
最近の心配事と言えば、クラオジルスの存在である。彼がタダノィルへ行くことをどのようにして防いでいくかが大事であり、テクタイトはきっとそのために〝自警団〟を設立させたのだ。
いや……
「そこまで言っておきながら貴方は王子の奇行を見逃し続けている」
「何を言っているんだね。私はキミが〝自警団〟を設立するために力を――」
「それも『貴族院議長は王子よりも影武者のやることを支援している』という、ほかの貴族へのアピールのひとつではありませんか?」
言葉を遮ってくるイストに、テクタイトは無言。肯定もしないが否定もしない。
「貴方は……貴族院の王子離れを進めようとしていますね?」
テクタイトは無言だったが、そのまま笑った。だが、いつもの満足そうな笑みではなく、口の両端を釣り上げるほどの歪んだ顔。
「だったらね、私がキミにやってほしいこともよくわかるだろう?」
笑みが意味する歓喜は何だ。自分が祭り上げようとしている存在が、自分の思考を読んでくれたことに対する喜びか。自分の野望が実現に近づくことに対する喜びか。
それとも、いくら優秀な替え玉だとしても所詮は自分の手のひらで踊ればよいのだという脅しか。
「はい。議長の仰せのままに」
「それでいいんだよ、イストくん」
その場に跪いて議長が退室するのを待つ。
喜びだろうが脅しだろうが、うまくいったと思わせてしまえばいい。
影武者として買われたことで自分を失いかけたのだ。替え玉となる教育を受けたことで自分を失いかけたのだ。自分を捨てる、自分を殺す、そんなことはとうの昔にすませている。今更、目の前の人物の考えに対して怒る気持ちを抑えることなど造作ない。
イストは決心する。
テクタイトが望むように貴族院の王子離れを進めようと思う。クラオジルスがタダノィルへ向かうことを黙認し、貴族院を混乱させ、ラヌイジオと険悪になった状態でクラオジルスを拘束。それにより、クラオジルスを正統な次期王位とする考えを改めさせる。
部屋のドアが閉まる音がしてから10を数えるほどしてから顔を上げた。
しかし、その後のことは何も考えない。自分が替え玉となり王位に就くことなど考えない。彼が望むのは、仕える主であるスイナが悲しまないことだ。先日、クラオジルスに攻撃された際に見せたような、あんな表情にさせないことだ。その為には、なんとしてもクラオジルスが国内を勝手に出歩かないようにさせることが必要であり、それに必要なのは貴族院の王子離れである。
イストの考えはおかしいだろうか。自分の夢を叶えてくれる有力者を欺く行動をするのはおかしなことだろうか。それによって自分の夢が叶わなくなる可能性もあるのに、彼は何か自分の心にある一本の芯のようなものを守るために反逆しようとしている。
答えは、何もおかしなことなどないということ。
自ら国を興そうともしているのだ、このイストという男は。そんな彼が、一国の最高権力者になろうとしている初老の男に対して、何を恐れるのだろうか。例え恐れたとしても、それはいつかは乗り越えなくてはならないことである。自分の夢はどこにも失われていない。むしろ、自分の芯を曲げてしまうことの方が、夢を遠ざけることになる。
自分が望む形の国を手に入れたい。
自室に備わっている鏡に目を向ける。彼はそこに映る自分の瞳が、酷く野心的な熱意を孕んでいると見た。しかし、それは彼の思い込みでしかない。彼はまだ、自分がなぜスイナの悲しそうな顔を見たくないのか、その理由を理解していない。
ほかの人が見れば、彼は真っ直ぐ透き通った瞳をしていたと断言するだろう。
第二章です。連載再開。毎日更新しようと思い、ストックがある程度できてからの投稿になりました。ですが、ストックは残り2個しかないという。
ああ、無謀。
なぜだか急にシリアスだったりする。