1-9
~前話のあらすじ~
なんやかんやらで、結局はイドフリスと彼の妻から話を聞くこともなく、なんやかんやらで、壁をぶち抜いた先にお目当てのバカ王子がいましたとさ。でも、なんやかんやらで、また逃げられてしまい、なんやかんやらで、それを追いかけるのでした。
イストは燃えた。
そう。燃えた。
「ハァ……ハァ……」
残念なことに、すでに過去形だったりする。
「ヒィ……ヒィ……」
今は燃え尽きようとしているのだ。
「ハァ……ハガ……ハッ! ……ひ、姫様……待って……ハァハァ……」
彼は一生懸命走った。己の主に置いてけぼりにされない為に走った。
「だらしないわよ、影武者!」
スイナは地面を滑るようにすいすいと進んでいた。風の精霊行使により、足の裏を少しばかり宙に浮かせているのだ。要はスケートに近い運動であり、速度の割に疲労は少ない。
それに比べると、今現在のイストの走る速度は常人のものである。彼は炎の精霊憑きだ。最初こそは楽々ついて行けるだろうが、炎の精霊行使しかできないその身では、風の精霊行使をしているスイナの速度に長時間付いていくことは困難なことだった。
それ故、彼の心の炎は風前の灯火。風を操れないために消えようとしているとは、なかなうまいことを言う。
彼の心にはクラオジルスを追いかけるよりも、むしろ、このまま地面にぶっ倒れて休みたいという願望が強くなっていった。そしてすぐに実行に移る。
「もっと早く走れるように精進しなさ……って、なんで地面に寝てるの!?」
この場合、彼はぶっ倒れているのだが、スイナそれを理解してくれないらしい。
「って……お兄様を見失っちゃったじゃない!」
「ウゲッ……ハァ……ハァ……」
「なに私が蹴り飛ばす前に胃の中身を吐きだしてるの!?」
酸素不足でぶっ倒れた従者を蹴り飛ばそうとしていたらしい。やはりステキな性格をしたお姫様だ。
「それよりお兄様のことをどうしてくれるのよ!」
「……ふぅ……安心してください、姫」
イストは胃の中身を吐きだして少しは楽になったのか、よろよろと上体を起こした。
「ということは、何か策があると!?」
「策も何も、そもそも王子がなぜこの商業地区に向かったのか……メイドさんから聞いていなかったのですか?」
「……ええ。アレらを見ていると無性に、その……バーンという感じに存在を消し去りたくなるから、すぐにお兄様を追ってしまったのよ」
萌え存在の駆逐を行いたい衝動が現れるらしい。彼女たちが自分たち非萌え存在に対する敵性存在であることを本能で知っているようだ。
「その考えは正しいと思います。世の中、もっとシリアスにならないといけないのです」
攻撃されたダメージを瞬時に回復するギャグ体質の野郎がなにかほざいている。そしてもちろん、ギャグ体質のコイツはすでに体力も回復したかのようにスクッと立ち上がった。もはや、ヒィヒィ言っていたのもギャグになるようワザとやっていたのかと疑いたくなる。
「とまあ、我々の存在を肯定する議論は後々にすることにして……」
いや、全然肯定していないし。むしろ自己批判だし。
「して?」
「メイドさんが言うには、王子は美味しい焼き菓子を買いに向かうところだったらしいです」
「お菓子など、城に戻ればいくらでも食べられるじゃない。それなのになぜ?」
スイナの意見をもっともだと思いながら、イストは話を続ける。
「どうも、平民の間で話題の菓子屋があるらしいですよ。王子はそこの焼き菓子を食べたいのだとか」
「それが真実だとしても、それこそ城の料理人にでも作らせればいいじゃないの。商業地区にいる菓子職人より、ワタクシたちが雇っている職人の方が優れた技術を持っているわ」
「いいえ、姫。そういう問題ではないのです」
「どういう問題なのかしら?」
「王子は、この町の商業地区で、その菓子職人による焼き菓子を食べたいのでしょう」
「だから、なぜ?」
「本物が良いのです。だから、わざわざここまで来るのです」
「……なるほど」
イストは、納得するスイナを見て満足そうにしながらも、少しばかり胸が痛んだ。
クラオジルスの偽物である自分は所詮どこまで行っても偽物でしかないのだ。目の前にいるスイナもまた、彼のことを影武者と呼び続ける。そこにイストという人物の原型はなく、クラオジルスに似た人間がいるだけだ。
スイナは本物が良いということに納得した。ならば、偽物である自分は、彼女にとっていずれ用がなくなるのだろうと思った。だから、胸が痛む。
「とかなんとかシリアスぶっていたら菓子屋の近くに到着していた」
「誰に向かって説明しているのよ」
せっかくのふとした一言から始まるシリアス心理描写も台無しである。
「あっ、店から誰か出てくるわ!」
スイナは妙に余裕ぶっているイストの襟を引っ張り、近くにあった木箱の陰に隠れた。
彼女たちからは良い角度で店の出入り口はもちろんのこと、店の看板もとても良く見えた。「ありがとうございましたー」という声とともに一人の少女が出てきた。
「ふぅ、お兄様じゃないようね」
その少女、肌寒い時期ではないというのにコートを着て、皮のブーツを履いていた。背中には羽根のイミテーションの付いたリュックを背負っていた。彼女は手にした紙袋を大事そうに抱えながら、時々中身を覗き込んでは「うぐぅ♪」と呟き、とても良い笑顔になるのだった。財布もきちんと持ってきていたようで、食い逃げするために走って幼なじみの少年とぶつかることもない。
スイナはその少女の動作が、この焼き菓子のおいしさを示していると思った。お馬鹿な兄の面倒を見るついでだし、帰ったら城の料理人に作ってもらおうと思い、看板に書いてある菓子名を覚えようとした。
「た・い・や・き? ……どんなお菓子なのかしら?」
「姫! そんなことより王子が出てきます!」
「え? ええっ!? こ、心の準備が……」
「来ますっ!」
息を潜める二人。
先ほどは気付かなかったが、ドアが開くと小さなベルの音がした。そのベルの音に負けないほどに可愛らしい声がする。
「ありがとうございました、王子様」
「はっはっはっ……キミのような愛らしい売り子がいるとは、また来なくてはならないね」
クラオジルスが話している相手はまだ10歳にも満たないほどの少女であった。左右の側頭部で髪をまとめる、いわゆるピッグテールの髪が似合っている。
それが目に入った瞬間、イストのすぐ近くで何かが爆ぜる音がした。音の主はもちろんスイナであり、手からおがくずが零れていた。木箱の端の方が何かに抉られたような後があることから、ちょっと怒った勢いで軽く握りつぶしてしまったと予想される。
少女の髪型から幼いスイナの姿を思いだして感慨ふけようとしたのだが、そんな過去の純真は過酷な現実によって一瞬で灰になってしまった。
「お世辞を言ってもおまけしませんよーだ」
「はっはっはっ……それは残念だ。本当にもう一度買いに来なくてはならなくなってしまったよ」
「うふふ。覚悟していてください。お父さんのたい焼きはホントーにおいし過ぎてやみつきになるんですからね」
イストは幸せそうに笑うクラオジルスと少女を見ながらかなり焦っていた。なぜなら、今スイナが握っているのは木箱などではなく、木箱の横にある家の壁だからである。
握りつぶされたら大変だ。すでに指はめりこみ、壁全体にヒビが入ってきている。家の主も変な音に気付いたようで、窓ガラス越しに覗き込んできたが、悪鬼の面を付けたかと思うほどに怒っているスイナの顔を見て逃げるように引っ込んでしまった。
「それじゃあ、お屋敷の侍女の皆さんにもヨロシクとお伝え下さい」
「はっはっはっ……ヨロシクされたよ。また来るね」
「はーい♪」
クラオジルスは別れを告げると、来た道を歩き出す。それに合わせてイストとスイナも立ち上がって後ろから忍び寄った。細い路地に向かっていく標的。
二人は目配せして、王子が路地に入った瞬間に襲いかかることに決めた。
だが、路地に入った瞬間、二人の眼前に大量の木材が倒れてきた。
「きゃぁぁぁっ!」
「危ない!」
イストが炎の精霊行使を開始する。自分と、何よりも仕えるべき主の身の危険に呼応するように、その炎は一段と力強く手に集中し爆発。倒れてきた木材のほとんどを焼くのではなく、その爆風で吹き飛ばして難を逃れた。
スイナの無事を確認するとホッと息を吐き、すぐに目を前に向けて睨み付ける。
「……おふざけではすまされませんよ」
「イストなら防げて当然だと思ったよ」
彼の視線の先には少し冷たく笑うクラオジルスがいた。手には風の精霊力が充ち満ちており、それで木材を倒す風を吹かせたのだとすぐにわかる。
イストならば防げたとは言うが、万が一と言うこともある。それに、イストがもし自分の身ばかりを守ろうとしたらどうなるだろうか。クラオジルスが本当に妹を大切に思っているならば、それを考えたら今のようなことをできるはずがない。
「さあ、鬼ごっこの続きをやろうじゃないか、スイナ、イスト」
クラオジルスはいつもと違い、声を出して笑わなかった。
彼の全身に集まる風の精霊力が徐々に高まっていく。狭い路地はまっすぐ前を見ることができないほどの風が吹き始めた。彼の精霊使いとしての能力と、この狭い路地という地理的要因が合わさり、すぐに嵐が来たときのような暴風になるだろう。
それに対してスイナは慌て、恐れが顔に浮かんでくるが、イストは急に怒りを抑えて冷めた顔になった。
「いいえ。私は王子と鬼ごっこなんかやりません」
「おや? スイナ一人でボクを捕まえられると思っているのかい?」
「そんなことは思っていません。姫一人では貴方を捕まえられないでしょう」
「だったら――」
「ですから、私も姫も貴方と鬼ごっこなどやりません」
「おかしなことを言うね。それは、ボクに逃げられても構わないということかな?」
イストは変わらずに冷めた顔をして、彼と視線をぶつけ合っているクラオジルスは余裕の表情で笑っている。スイナだけ、彼女だけが今の状況をマズいと思っていた。
「そうよ! ワタクシたちがここでお兄様を止めなければいけないのよね? ねぇ、影武者、そう言いなさいよ!」
「いいえ。私たちは止めません」
イストはスイナの言うことを良く聞く。大抵のことに同意を示す。だが、今だけはきっぱりと否定した。
「じゃあどうすれば……」
いっそう焦りを見せるスイナに、イストはようやくクラオジルスから目を離して、彼女に向けた。そして微笑む。
「最初からこうすれば良かったのです」
手をたかだかと掲げる。
「まさか……ボクをキミの炎の精霊で焼くというのか?」
「そんなっ!?」
クラオジルスも流石に慌てたようだったが、その表情の影にどこか、今の状況が来ることを望んでいるような雰囲気が感じられた。
だが、イストはそれに対しても首を振る。
「だったらなにを……」
イストの手の動きにばかり二人は集中しすぎていた。だから、その他に人が近づいてきていたということに気付いていなかった。
「あっ!?」
クラオジルスが慌てて逃げようとするが、時すでに遅し。頭上から、多数の投網が落ちてきていた。
「くっ!」
しかも、漁網だった。動けば動くほど手や足などの長く飛び出た部位にからみついてくる。
もちろん精霊行使も試したが、投網の重石部分に竜核が埋め込まれていることが関係しているようで、クラオジルスはまったく精霊行使をできないでいた。おおよそ、投網の中と外では、精霊にとって世界が違うのだろう。人間と精霊が同化している精霊憑きなら精霊行使ができるだろうが、肉体の外にいる精霊を使う普通の精霊使いにとって、この投網の仕組みは地獄のようだ。
足も滑らせて無様に地面に横倒しになったクラオジルスに対して、イストは見下しながら解説する。
「わかっておいででしょうが、国内において貴方の評判に良いものはほとんどありません」
「知っているよ。ボクはバカ王子だからね」
「反対に、姫の評判に悪いものはほとんどありません」
「それはそうだよ。スイナはいい子だからね」
「つまり、国民の多くは姫のやることを応援してくれるのです。その結果できあがったのが、この投網とそれを使う自警団なのです」
クラオジルスは楽しいものを見つけたと言いたげにニヤリと笑い、スイナを褒めるように見つめる。
「ワ、ワタクシはなにも知らされていませんわ!」
「そのとおり。この自警団の方々は非常に奥ゆかしい方々で、姫が幸せであればそれだけで十分だと、自分たちの存在など知られなくても良いのだと言ってくるのです。ですから、すでにこの場からいなくなってるでしょう?」
「そうだね。気配もなくなった」
互いに言うことを言い、疑問も解消されたようで、路地が沈黙に支配される。
ちなみに、自警団というからには組織であり、組織である以上は長がいなくてはならない。その長が誰かというとだが、長とは部下に指示を出す人物であり、つまりは投網を投げるように合図をした人物である。もちろん、その長であるイストが自警団だと言うものの、その構成員が誰もこの場に顔を見せないことから、単なる自警団である可能性は低い。そもそも、ザウルスをそれなりに狩猟できると言ってもその自然資源には限りがあり、市民の自警団風情が投網の重石に使うことができるはずもないのだ。
要は、イストが育て上げた私兵たちが町中に点在していると言うことだった。
クラオジルスはそれを知った上でスイナを褒めたのだ。
やがて暴風が吹き荒れたと通報された兵士たちが集まりはじめ、クラオジルスは城へと強制送還された。もちろん、両手には精霊行使を不可能にする竜核が仕込まれた手錠がはめられた。
いつもよりも派手な出来事になったため、平民たちが野次馬となって人垣を作っていた。
「今日は、少し時間が掛かりすぎたようですね」
「そうね、影武者……」
野次馬の相手をしている兵士たちを眺めながら、二人はいつもとは違う疲労感を感じていた。
いつものとおりにクラオジルスが城から抜け出し、いつものように二人で追いかけ、いつものように潜伏先を見つけた。だが、そこから先が異常だった。あの、バカ王子とも言われているクラオジルスが、真面目に抵抗してきたのだった。
イストは考える。もしかしたら、開戦間近と言われているこの時代の流れに何かを感じていたのではないかと。王族としての責務に対して何かしら思うところがあり、それが良いものか悪いものかはわからないが、彼の行動に変化が現れてきたのだろうと。
スイナが言っていた。あのバカ王子が周辺国の情報を知りたがって図書館にいたらしい。あながち、イストが考えていることは間違いではないようだった。
「とにかく、お兄様も無事に捕まえることもできたことだし、お城へ帰るわよ」
疲れた表情で帰ることを宣言するスイナ。イストはしっかりと身体を真正面に向けて敬礼した。
「はっ、了解しました。兵士たちに道をつくらせますので少々お待ち下さい」
「ええ、よろしく」
イストは人垣を見た。
これだけの野次馬だから道をつくるのも容易ではないなと思いながら、どの兵士に話しかけようかと迷う。力が強そうな奴がよいか、頭が良さそうな奴がよいか、それとももっと上の階級の兵士が来るまで待つか。
腕を組んで少し考えていると、肩が優しく叩かれた。肩に置かれた手を見やり、その持ち主の顔が見えるように首を巡らす。
「姫?」
肩を叩いたのはスイナだった。先ほどのクラオジルスの反撃によって少々青ざめていた顔だったが、今では幾分かいつもの顔色に……いや、いつもより朱が差しているだろうか。俯き加減で、上目遣いにイストをチラチラと見つめてくる。
「何か御用が?」
「ええっと……先ほどは危険から身を守ってくれてありがとう」
基本的に見下されることに快感を覚えるイストには、上目遣いは何の意味もなさない。やはり残念な設定だと思う。
「姫の身を守るのも私の使命です。これでも騎士の身分を頂戴していますので」
「ううん。それでも礼を言うわ。ありがとう、影武者」
「はっ! ありがたき言葉!」
ただ、残念な設定のおかげで、ここまでのやりとりは、自分に仕える騎士にほのかな恋心を抱く姫君と、それを知らずに姫君を守りきる忠義の騎士という、よくありがちな構図に見える。だが、やはりこの二人は基本的にそんな甘いラブロマンスの存在ではなく、ギャグ、しかも、バイオレンスな日常を楽しんでいる変態なのであった。
だから、次のようなやりとり――変化球が放たれることが当たり前なのである。
「ならば、褒美を取らすわ。何が欲しいの?」
「はっ! 姫の膝蹴りを、是非!」
「ウフフ……仕方がないわね」
「このブタめの醜い顔面に貴方のお美しい膝をねじ込んでくださいぃぃぃぃっ!!」
「存分に味わいなさい、影武者ぁぁぁぁっ!!」
姫が突然大声を上げたと思ったら、近くにいた王子そっくりの青年が空を飛んだのだ。
そりゃ、野次馬はびっくりする。というより恐慌状態となり、押し合いへし合いながら我先にと逃げ出していく。
スイナから、イストを蹴り飛ばしたことによる余韻が薄らいだときには、もう人垣など存在していなかった。
「うん。道もできたし帰るわよ、影武者」
「はっ!」
もちろん横には何事もなかったかのように、しかし、満足そうな顔をしてたたずむ影武者。
「では、城に帰る前にたい焼きでも買っていきましょう」
「それはいいわね。実は、ワタクシも食べてみたかったの」
瓦礫などの撤去をしながら二人を見送った兵士たちは、なんだかんだいってあの二人は良い組み合わせだと心の底から思っていた。
徐々に執筆ペースが上がってきた気がします。
気がするだけ?
全4章構成の予定ですが、導入部分であり人物紹介の意味も強い第1章が一番ボリュームがあるので、今後はこんなに長くなることはないでしょう。というか、長くすると執筆スピードから言ってかなりヤヴァイ。
今後の章に出てくる人物を軽く説明。
・第2章 いつもと違う日
イストとスイナ以外に名前のある人物というと、テクタイト議長ぐらいしか出てきません。
・第3章 勘違いで同盟
チャシリスとクラオジルスという第1章にも出てきた人物も登場。隣国のタダノィルの王様とお姫様も登場。
・第4章 三千世界の重箱の隅を突くような轟音を伴う戦闘
仰々しいしゃべり方のブサイクであるスゴルドが登場します。それと、もちろん序章に出てきた乾いた王様もミイラで復活。あと、巨大ドラゴンのガルルア・ランメイスとかが出てきて、ドッカンドッカンバピューンボーンな感じに仕上がります。