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あてがわれている部屋へ入ると疲れが押し寄せてきた。それなりに気を遣っていたんだなぁとベットに寝転びながら思った。
意気投合したとはいえ、初対面の優美ちゃんと、いまいち信用しきれていなかった龍与さんたちとの外出だ。気を張っていても何ら不思議ではない。
そして。
感触と背を駆け上がった怖気に私はバッと布団を被る。
真っ黒く塗りつぶされたモノ。
人に取り憑く黒いモヤ。
お腹や背中、色んな人の色んなところに付いていた不吉な赤い霧。
本などで得た妄想力が告げている。
それは本来見るべきではないもの。
オカルトチックな…いわゆる幽霊とか邪気とかそういうもの、なのだろうか。
目撃してから時間が経っていることもあり、今はそこまでの怖さは感じない。
少しだけ、「二十歳過ぎているのに初めて見ちゃった」という浮ついた気持ちもある。
これからも見えてしまうんだろうか。それなら怖いけど。
でも、あれはきっと昨日からの不思議が少しだけ尾を引いているだけかもしれないし、あまり深く考えるのはやめておこう。
それからしばらく布団の暖かさと疲れもあってからトロトロとまどろんでしまった。
部屋もベッドも清掃がされており、心地よい。うだうだと惰眠をむさぶっていたのだが、きゅう、とお腹が鳴って覚醒した。
腹が、減った。
一人でドラマをパロって遊ぶが空腹が辛くなってきた。あ、そうだ、シュークリームを買ってきていたんだった。
シュークリームならコーヒー飲みたいよね。自動販売機はエレベーターホールのラウンジの奥だったはず。
財布を探して荷物を漁る。
あ、優美ちゃんのお土産持ってきちゃってる。まあ、あとで返せばいいよね。
身支度を整えて外へ出る。廊下には人の気配がない。
安心してエレベーターホールへと進んだ。ホールにはソファが置かれラウンジのようになっていた。
ソファは壁際にも何台か置かれ、本棚には漫画を中心とした本がある。
真ん中には談話スペースなのだろう、テーブルとそれを囲む4台のソファ。
衝立の奥には電子レンジやポットなどが置かれた簡易なキッチンと、ホットスナックやカップラーメン、飲み物とアイスの自動販売機が、機械音を轟かせている。
さらにその奥にはコインランドリー。そして、筋トレマシーンが何台か置かれていた。小さなジムのようだ。
筋トレマシーン、充実してるなぁと感心する。少し面白そうだ。
飲み物は少し迷って「本格焙煎!」と銘打ったカップのカフェオレにした。本格焙煎は嘘ではないようで、豆を引いてから抽出、ミルクは北海道豊富産だそうだ。ふわーっとあたりにコーヒーのいい匂いが立ち込める。
少々お高いが美味しければ許せる。どうせ砂糖を入れてしまうのだけれども。甘さは正義だ。
二分ほどで出来上がる。ふわふわのミルクが美味しそうだ。カップを備え付けのカップホルダーに入れる。さて帰ろうか、と衝立の内から出ると、エレベーターホールを挟んで反対側の棟から、見覚えのある人影が近づいてきた。
彼は私の姿を確認すると、「あっ」と叫んで駆け寄ろうとして、ヘタヘタと壁に寄り掛かる。
が、すぐに持ち直し、私へ向かってゆっくりと歩いてきた。
やっぱり、昨日の血まみれの人だ。
彼は、いまだ青い顔に、へにゃりとした気弱そうな笑みを浮かべて頭を下げた。
「昨日はご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いえいえお気になさらず。龍与さんによくしていただいていますから」
というと彼は、頭を上げてまたくらりとよろめく。倒れそうで怖い。
「とりあえず、座りましょう」と談話スペースのソファを指し示す。
私の対面に座ったその人は、「お加減は大丈夫ですか」と聞いた私に、「はい」と頷いた。
「傷は痛みはほとんどありません。今は単純に血が足りていなくて、少しくらくらするだけです」
それって大丈夫とは言わないんじゃ。昨日の傷口を思い出しかけて全力で振り切る。グロ耐性はないのだ。
「改めまして、昨日は本当にありがとうございました。そして ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と深く頭を下げる。
「いえいえ、頭を上げてください。本当に気にしないでください」
大迷惑、と怒り心頭だったのは今朝までだ。
宿泊先の手配、部屋の清掃から、ファブリックの交換、大盤振る舞いのお買い物ともらいすぎるくらいお礼は貰っている。
過分なお礼を頂いている身に彼の謝罪と感謝は罪悪感をチクチクと刺激される。
「龍与さんに本当に良くして頂いたの。過分なくらいのお礼もいただいたわ。だから気にしないでほしい、です」
「でも、迷惑を掛けたのは俺なので、俺からもお礼をさせてください」
うーん、困ったなぁ。あ、そうだ。
「それなら、優美ちゃんに無茶振りされても快く応じてあげて」
「え、優美ちゃん?」
彼が首を傾げる。
優美ちゃん、これでお土産が余っても困ることはないよ!
「優美ちゃんと会ったんですか?」
きょとんとした顔で彼は首を傾げる。その顔色はとても悪くて青白い。
まあ、昨夜、私の部屋を血まみれにしたのだから当然か。
「ええ、今朝龍与さんに紹介されて、一緒にお買い物に行ってきたの」
「買い物?優美ちゃんと?ああ、そっか」
彼は納得したように優しい顔をした。
「どんな無茶振りをされるのかな。怖いな」
「浩くんなら大丈夫って優美ちゃんが言ってたよ」
「あれ、俺の名前…。ああ、優美ちゃんか、いや龍与さんかな」
そう呟くと彼は、背筋を正した。体幹がぐらりとするが、持ち直し、とても綺麗な姿勢となった。
「ええと、伊調田 浩と言います。優美ちゃんは幼馴染で今は同僚です」
「あ、と、一郷 紀久です」
真正面から自己紹介をされて私も慌てて名乗る。
あまりに真っ直ぐに名乗られたから、躊躇する暇もなかった。
名を告げるのは慎重にしていたはずなのにな。くそう。
あ、これだけは言っておかないと。
「あの、酔い潰れた人をお持ち帰りしたのは昨日が初めてです。そこは誤解しないでくださいね」
いつもしている訳では無いのだ。あの時はなぜか常識とかそういうものが私の中になかった。
寝ている知り合いだから、連れて帰ってあげないとかわいそうと思っていたのだ。
ハブられ同士だし、と。
「いいえ、そんなこと思っていません。あの時、きっといつもとは違う行動をしたんだなってわかります。
それにあの時、紀久さんにお持ち帰りされていなかったら、もっと酷いことになっていたので、本当に助かったんです」
ニッコリ笑ったあと、彼はふーっと深いため息を吐いた。座位が辛いんだろうか。そういえば、手も小刻みに震えている。早く部屋に帰って横になるべきでは?
「えと、お礼をありがとうございました。早く部屋に帰って休んだほうが」
「いいえ、本当に怪我はもう大丈夫で。実は腹が減って食料を買いに来たんです。三連休前に買い溜めができなくて、小腹を満たすものが部屋になくてですね。あ、なにか食べますか?奢らせてください。コーヒーも冷めてしまいましたね」
首を振る。部屋にはシュークリームが私の帰りを待っている。
あ、そうだ。
「そういえば優美ちゃんからお土産があるんだ」
え?と首を傾げる彼にしばし待っているように伝えて部屋に戻り、チキンを持ってくる。
「これ、優美ちゃんからのお土産です。本当は優美ちゃんから渡したほうがいいけれど、今必要かなって思って」
彼はチキンの匂いに目を輝かせた。
「助かります!真面目に血が足りなくて肉を欲してたんです。
食料の買い出しにも行けなくて詰んだって思っていたんです。自動販売機は高いし」
そんなに腹が空いているんだ。
「それなら優美ちゃんの無茶振りも消化できるかなぁ」
「食べ物系なら多分大丈夫」
彼は早速チキンにかぶりつく。冗談みたいに両手に持って食べてる。しかも、うまー、肉、うまーと呟きながら。バクバク、いや、ガツガツかな。彼の背中にそんな擬音すら見えた。すごい勢いだ。
わたしはそんな彼の食べっぷりを観戦しながらシュークリームにかぶりついた。うう、糖分が身に染みる。うまい。
彼の食べる速度と勢いに喉が詰まりそうだと感じて飲み物を差し入れると彼は感激したように目を輝かせ、すぐにしょぼんと肩を落とす、
「お礼をしようと思ったのに、すみません」
なんだか年上と聞いていたのにそうは見えない人だ。優美ちゃんが「弟」と称するのがわかる気がする。
その時、廊下の奥の部屋の扉が開いて、「うまそうな匂いがする」と誰かが言った。
浩くんがチキンの箱を抱え込む。
私は咄嗟に部屋に帰ろうと腰を浮かし掛けたが、その人は小走りに浩くんの側まで来ると、浩くんの首に腕を絡めた。
「お、お、い、くん?いいの食べてるねぇ。先輩の分は?」
オラ寄越せ、とガラ悪くその人は浩くんの首を絞める。
「苦しいって瀬越さん。お客さんがいるんですよ」
浩くんの言葉で、瀬越と呼ばれたその人はようやく私の存在に気がついたらしい。
目が合うと、「え、可愛い」と呟いて固まった。
可愛いって言われた。うん、悪い気はしない。
「浩、お前、千鳥さんがいるのにこんな可愛い子連れ込んでんの?しかもラウンジって、見せびらかしてるわけ!?」
可愛い子って言われた。悪い気はしない。(2回目)
「連れ込んでないし、見せびらかしてもいないし、そもそも、優美ちゃんは幼馴染だから。えと、紀久さん、この人は同僚の瀬越さん」
瀬越さんは両手に浩くんから奪ったチキンを持ってキリリと顔を整えた。
「瀬越 岬です。浩の彼女さん?」
「だから違うって。昨日、俺を助けてくれた人」
「ああ、スッパリ空間を切ってくれた人!あれ凄いね。しかも四つくらいに空間を切って操ってたでしょ。凄い能力高いね!実はあれで俺と係長も助かったんだよね。本当にありがとう!」
とチキンを持ったまま私の手を握ろうとしたが、両手のチキンに気がついて、右手のチキンをテーブルの上に直に置いた。
え、汚い。私は手を握られないように引っ込める。油がついた手で触られたくない。
「ていうか綺麗な結界だったよね。あそこまで干渉できない結界ってのも珍しいよ。俺も結界術習得したかったのに能力なしでさー。祓いしかできないの」
しかも物理でね!と笑う。
どうしよう。ファンタジーがすぎてついていけない。しかも声がでかい。怖い。助けて。
浩さんに助けを求めると、彼は口の動きだけで、ゴメンと言った。
「瀬越さん、気づいて。彼女ドン引きしているよ」
そして瀬越さんに耳打ちする。
「え?一般の人?マジで?ええー俺ドン引きワード連発してんじゃん。まじかー。早くいえよー」
とまたうるさい。
騒がしい人だな、と思っていると瀬越さんはまたしてもきりりと顔を引き締める。
「瀬越 岬です。彼女募集中です」
ご遠慮申し上げます。
「で、なんで浩は俺たちの恩人に餌付けされてんの?」
瀬越さんはテーブルに直においたチキンを頬張った。
ええ、汚い。
浩くんはテーブルの油を、汚いなあ、と嫌な顔をしながら拭いている。
「餌付けって瀬越さん。これは優美ちゃんからのお土産だって。彼女、今日、優美ちゃんと買い物行ってきて」
「ええ?なんでお前だけお土産もらってんだよ。やっぱり千鳥さんと付き合ってんのか」
いえいえ、むしろ浩くんのお土産はついでです。
「だから付き合ってないって。優美ちゃんは幼馴染。でもなんでお土産買ってきてくれたんだろ。龍与さんに言われたのかな」
浩さんが、なんか知っている?というように私を見るが、私がいうのはなんか気恥ずかしい。
「さあ?本人に聞いてください」
と腰を浮かしかけると、
「そもそも何で千鳥さんと買い物?元々知り合いだったとか?」
まだ話が続くのか…
「いや、多分龍…小春日課長の采配だと思うよ。そうだ、俺ラグを汚しちゃったから、それを買いに行ったの?」
うなづくとまた謝られる。
「お気に入りだったんだよね。汚してダメになっちゃんたんでしょう。すみません」
「いえ、代わりに可愛いの買ってもらったんで。だから気にしないで」
ラグの他にもたくさんのものを買ってもらいました。
「ああ、小春日課長。小春日課長の千鳥さんの囲い込みはエグい…誘いたくても怖くて誘えない」
飲み会でも近づけないからなあ、とぼやいている。
二つあったチキンの箱はいつの間にか綺麗に片付けられていた。
浩くんが、瀬越さんのせいで足りなかった、としょぼんとしている。
え、でも十個以上は食べてたよね?
「浩ー、もうないの?足りない」
「もうないですよ」
ええ、私のシュークリーム放出すべき?でもあと二個だけなんだよ。
しかし、それも杞憂に終わる。優美ちゃんから浩くんに「買ってきたものがあまっちゃったから食べて」と連絡がきたのだ。
ワゴンにお皿を載せた優美ちゃんがきたのはそれから五分後。
私はなんだか席を立つタイミングを逃して瀬越トークに巻き込まれていた。まあ、騒がしい。
優美ちゃんが、寮が山奥だから買い物が不便なの、といえば、そうだよね、大変だよね、と思うのに、瀬越さんが同じことをいうと、どうでもいいやと思ってしまうのはどうしてだろう。
エレベーターをおりた優美ちゃんが瀬越さんをみて一瞬固まる。うん、なんかわかる。
「瀬越さんもいらしたんですね。昨夜はお疲れ様でした」
瀬越さんはだらけていた背筋をピシッとただした。なんでや。
「ありがとうございます。昨日は浩を守りきれず…」
優美ちゃんはしー、人差し指を口元に当てた。可愛いな。
そして、誤魔化すようにうふふ、と私を見て笑った。可愛いな。あざとく何かを隠そうとしているのがバレバレだけど誤魔化されてやろうではないか。
「えと、瀬越さん、これ、ちょっと余っちゃって。余物でよければ召し上がりませんか?ちょっと愛子さんストップが掛かって大量に余っちゃって」
明日になったら美味しくなくなっちゃうし、とワゴンの上の大量の食べ物を見せる。
あれだね、残り物といってもお皿に綺麗に盛り付けられているからそうは見えないね。
「温め直してあるじゃないですか!ありがたくいただきます」
「よかった。浩くんだけだと余っちゃうかな、と心配してたんです」
そうだね。これ何人前あるの?てか瀬越さん投入でも余るんじゃない?
「優美ちゃん、俺には余物でいいか確認しなかったのに」
「だって浩くん気にせずに食べるじゃない。怪我もしてるし、確認の必要はないから」
「気にしないけどさあ。なんか釈然としないよね」
テーブルに満載となった、ポテトやバーガー、チキンなどを男性二人は吸い込むように食べていく。すごい勢いにちょっと引く。
私は優美ちゃんに、お土産勝手に渡してごめんと謝ると、優美ちゃんはううん、と首を振った。
「持ってくる手間が省けたし、それで胃袋がもう一つ増えたんだもの。よかったわ」
あ、浩くんの飲み物が無くなりそう。瀬越さんの分も必要だし、私もなんか飲みたくなった。
そう思っていたら、優美ちゃんが、二人ともなんか飲み物いる?と声をかけた。
「うん、いる。あ、優美ちゃん、今財布出すから」
「いやいや伊調田くん、ここは先輩である俺が出そうではないか!…あ、財布部屋だ」
「ええ、知ってます。瀬越さんがそういう人だって」
浩くんは手を拭いて、ポケットから財布を取り出して優美ちゃんに渡した。
おれ炭酸!と瀬越さんが手をあげる。
「俺も炭酸。優美ちゃんも紀久さんも好きなもの買うといいよ」
「ありがと浩くん。何にしようかな」
優美ちゃんに私は腕を組まれて自動販売機のある衝立の裏につれて行かれた。
炭酸を二つ買って、何を買おうか迷っていると
「紀久さんいつの間に浩くんに名前呼びされてるの?なんかずるいんだけど」
「なんでずるいのよ。優美ちゃんだって名前で呼ばれてるじゃない。名前呼びは成り行き?」
二人になると、瀬越ショックの疲れがどっと押し寄せる。大きくため息をつくと、優美ちゃんが、わかると笑った。
「悪い人ではないんだけど、ちょっとなんか全力なんだよね、いつも」
「悪い人ではないのはわかる」
でも疲れる。
「紀久ちゃんが、あの二人と一緒で驚いたわ」
「うん、飲み物欲しくて部屋を出たら浩くんと会って。瀬越さんは…なんか来た」
「瀬越さんはねえ、ずっと会社で一番年下だったから、浩くんに先輩風をふかせたくて仕方がないのよ。で、よく絡んでるの。それに今日はね、昨日のことで…、と」
「優美ちゃん、なんか途中で言いかけてやめるのやめてくれる?気持ち悪い」
優美ちゃんが上目で私を見る。可愛いのはわかったから。
「ごめんね、なんかどこまで話してもいいものかわからなくて。話しすぎたら最後まで巻き込みそうな、もう遅いような」
「何それ怖い。まあ、もう巻き込まれてここにいるわけだから。中途半端に言いかけるのはやめて」
「わかったわ。まあ、話しちゃいけないことなんてないんだけどね。てか、瀬越さんの言葉で紀久ちゃんに引かれるのが嫌なの」
まあ、現状、ちょっと引いているんですけどね。
「でもね、紀久ちゃん」
優美ちゃんは少しだけ泣きそうな顔をした。
「私も瀬越くんも言いたいことは一緒で、これだけは伝えさせて?」
優美ちゃんがいきなり私をふわりと抱きしめた。
え、なに?やばい新しい扉が開きかけて…ないな。
「浩くんを助けてくれてありがとう。彼を失わずに済んだのはあなたのおかげよ」
優美ちゃんは一度ぎゅっと私を抱きしめると、私はオレンジジュースにしようっと、と小銭を投入する。そして、3本の飲み物を持つと、紀久ちゃんはゆっくり選んでね!と浩くんの財布を私に押し付けた。
くっそ、可愛いな。照れて逃げるところまで、可愛いな?
果汁ジュースを買って談話スペースに戻ると、お皿いっぱいに盛り付けられていた食べ物がほとんどなくなっていた。
優美ちゃんは無邪気にすごい、と喜んでいる。
流石に苦しそうな男性二人を見て、私は正直、ないわー、と思った。
お皿を片付けて解散となった。瀬越さんのせいで油まみれとなったテーブルは優美ちゃん監修の元、瀬越さんが美しく磨き上げた。
みんなと別れて部屋に戻る。疲れて体が重い。
ショッピングでの歩き疲れ。
気疲れは初めて会う人ばかりだったせいだろう。
初めてみた怖いものへの恐怖も背中にこびりついている。
昨日の夜の血まみれショックも大きい。
いろんなものが押し寄せてくる。
ベッドに寝転んでダラダラする。疲れているのに眠気はやってこない。窓の外はもう暗くなっていた。昨日から随分と濃い時間を過ごしている。
曽祖母がしていた仕事と同じことをしている人たちに会った。
曽祖母は人の力が及ばないものに道筋を立てる仕事をしていたと祖父から聞いていた。
人が触れてはいけないものに触れてしまった人や、人が見えてはいけないものを見てしまった人。
人が犯してはいけない場所に入り込んでしまった人や神の忠告を無視した人。
そんな人たちを時に助け、時に諌め、時に害を及ぼす怪異を神様の力を借りてねじ伏せていたと。
昨夜、浩さんがひどい怪我を負うほど、大きな怪異と向き合った。瀬越さんも命の危険すらあったという。
人に害をなす怪異と向き合うとそんなこともある。
曽祖母も命の危険が何度もあったと祖父は言っていた。
高熱が出て生死を彷徨ったり、こんこんと眠り続けて五日ほど目を覚まさなかったり。
彼らは曽祖母のように、体を張って誰かの日常を守っている。
そんな彼らがいうのだ。私は強い存在…多分、曽祖母に強く守られている、と。
私がそばにいた、というだけで、全然関係のない人たちをも助けるくらいに強力に。
「ひいばあちゃんのお気に入りって言っても、顔も覚えていないんだけどな」
独り言は静かな空間に落ちて消えた。
私は曽祖母のお気に入りだったらしい。
私の生まれた時にはすでに高齢で子供の心に戻ってしまっていた曽祖母は、赤ちゃんの私を抱いて、ずっと離さなかったと祖父から聞いている。
もう、息子の祖父も孫の母もわからないほど、認知障害が進んでいたけれど、私と兄が遊びに行くと私と兄を両手に抱いて、縁側でずっと風を眺めていたと。それに飽きた兄が腕から逃げても、ニコニコと機嫌良く私を抱いて、ずっと神様の歌を口ずさんでいたと。
私が二歳の時に亡くなった曽祖母の葬儀で、私は泣きもせず駄々もこねず、葬儀の間、黙って曽祖母の遺影を見ていたと。
曽祖母の火葬の際には、外へ出たいと祖父の手を引いて、空にたなびく煙を見ながら、拙いながらずっと神様の歌を歌っていたそうだ。
そして、火葬が終わるタイミングで、「バーチャ」と空へ手を振った、らしい。覚えてないけど。
テレビをつけっぱなしでぼんやりしていると、扉がノックされた。優美ちゃんかな、と思って出ると、浩くんが気まずそうに立っていた。
「あの、ごめん、俺の財布、持ってない?」
財布…。あっ。
「ごめん、あるわ」
優美ちゃんから渡されて、ポッケの中に入れてそのまま持ってた。
「これでしょう。ごめんね。うっかりしてた」
てんこ盛りだったお皿が短時間ですっからからんになった衝撃で、返すのをすっかり忘れていたのだ。
「うん、俺も忘れてた。ありがとう」
財布を持った浩くんは、じゃ、と踵を返そうとして立ち止まる。
「今日の食事はどうするの?食堂の場所、わかる?」
「ああ、なんか優美ちゃんが食堂だと、免疫のない人はきっと無理って言ってて。優美ちゃんがあとで持ってきてくれて一緒に食べる約束してるよ」
「う、うん、それには同意する。今寮に残っている人ってかなりなんというか、濃いっていうか…。うん、いい判断だね」
「ちょっと、逆に興味が沸くんですけど」
「その興味はすぐにゴミ箱に入れて蓋をして。ろくなもんじゃない」
浩くんと話をしていて、清掃会社の人のことを思い出した。
「そういえば、うちの掃除に入った人、血まみれの部屋を見て、かなりウケてたよ」
「ウケてた?引いたんじゃなくて?てか、通報されなかった?」
「こういうことには慣れてるんだって。血吹雪の付いた壁をみて鈍器で殴ったのか聞かれたけどね」
「…龍与さんには叩かれたね、素手で」
くすくすと二人で笑う。かなり常識の外の話なのに、笑い合えるのが不思議だ。
「改めて、怪我は大丈夫なのね?」
「大丈夫。治療してもらったし、無理に動かさなければ痛くないし、血も出ないよ。出血量が多かったから、血が足りなくて少しクラクラするけどいっぱい食べて、いっぱい寝たら治る」
「そんなものなの?」
ほんのりかほる脳筋臭に苦笑する。
「そんなものなの。うちの業界、割と”根性があればなんでもできる”って感じで脳筋が多いんだよね。精神論大好物だし」
「あ、そんな感じなのね、だから、瀬越さん声がでかいのか」
…いや、それは関係ないか。
浩くんは、眉をしょぼんと下げた。なんだ。
「俺のせいで、散々な三連休にしてごめんね。色々予定があったんでしょう」
「ううん。予定って予定はなかったし。むしろ今日は充実していた。ラグとかカーテンとか買ってもらったし、かなりラッキーでした。
散々なのは浩くんでしょう?」
「うーん、俺も予定らしい予定はなかったから。むしろ、食べて寝るなら当初の予定通りっていうか」
「…なんかお互い寂しいねぇ」
「…うん」
なんだかしんみりしてしまった。
立ち話もなんだから、と部屋に招いてソファを勧めた。だってたまにぐらりとするんだもん。怖いじゃない。
浩くんは少し戸惑いつつ、素直にソファへ座るが落ち着かなそうだ。なんでだ。もしかしてまた連れ込まれたと思ってる?
「ええとさっきも言ったけど、酔い潰れている人を家に連れて帰ったのは昨日が初めてだからね?」
念を押したのは、貞操の危機を勝手に感じられるのは不本意だからだ。
浩くんは一瞬キョトンとしたあと、フハ、と吹き出した。
「うん、わかってる。そわそわしているのは、女の子の部屋に入るのが初めてだから緊張してるの」
「優美ちゃんがいるじゃない。幼馴染なんでしょう?」
「そうだけど、年頃になったら普通に距離ができるでしょ?年齢が上がってからは部屋に入ったことはないよ」
「そうなの?」
幼馴染とのモダモダな恋物語なんてごまんとあるでしょう。しかもあんな美人さんだし、キュンでトゥンクじゃないの?
「優美ちゃんは妹みたいな感じだからなぁ。小さい頃から面倒見てるからそういう対象にはならない。多分、ていうか絶対、優美ちゃんも同じだと思う」
「優美ちゃんは浩くんは弟だって言ってたよ」
「え?ちょっと、俺、優美ちゃんより年上なんですけど?!」
「うん、でも、弟臭するし、なんかわかる」
「なにその匂い!?」
30分ほど話相手をしてくれた浩くんは、食堂がもうすぐ開くからと帰って行った。というかまだ食べるのか。あの人の胃袋はどうなっているのか。別な空間に繋がっているのかもしれない。
優美ちゃんは寮の管理人さんのお手伝いもしているらしく、もう少し遅くなってからくると思う、と浩くんが言っていた。うん、私はまだ胃袋にシュークリームが残っているから、もう少し遅くてもいい。
喉がかわいて、買っておいた水を探して荷物を漁る。あ、そういえば化粧ポーチがなかったんだった。家にあるかな、と少し探したけど見つからなかったんだ。最後に使ったのは職場…ううん、あの居酒屋のトイレだ。その後の記憶がないから、きっとそこに忘れている。
時計を確認すると、まだ居酒屋が忙しくなる前の時間帯だ。ちょうどいいと電話をすると、ポーチは忘れ物として届いていて、いつでも取りに来てください、との返事だった。
そうこうしているうちに優美ちゃんが夕食を運んできてくれた。
一緒にくるかな、と思った龍与さんは仕事が忙しいらしく、休日出勤の上に残業だそうだ。お疲れ様です。
龍与さんに高良さんとのことを聞こうと思ってたんだけどなあ、と言うと、優美ちゃんに真顔で、恐ろしいことはやめてと言われた。はいすみませんでした。
夕食の後は話もそこそこ解散した。普段寮に引きこもっている優美ちゃんは歩きすぎて体力の限界が近いようで、話しながらコクリコクリと船を漕いでいた。
「優美ちゃん?」と声をかけると、「寝てないわよ?」とハッとするが目が開いていない。
「明日は仕事があって、お話しできないのに!」という優美ちゃんをなだめすかせて部屋に戻した。食器を下げるのを手伝おうとすると、「廊下に出してたら誰かが気づいて下げてくれるから、大丈夫」と言われた。
どんなシステムなんだろう。
私も優美ちゃんを見送った後、また豪華なランイナップのお風呂タイムを満喫してから、ベットに潜り込んだ。
瞬殺だった。




