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思し召し  作者: 紀野 須
4/11

自然と眠気が遠のいて行って目が覚めた。二度寝したいような、したくないような。

まあ、今日は土曜日だし?なんなら三連休の初日だし?今日くらいダラダラしてもいいんじゃないかな。だって昨日は飲み会だったし。散々飲んだし。二次会には行けなかったけど、あれ、なんで行けなかったんだっけ?


あ、そうだ、タムラくんを拾って、血まみれになって…ああ、あのラグ血まみれだ…部屋の掃除…。


ぱっちりと目が醒める。

うとうととした眠気は完全に彼方へと吹き飛ばされた。


目だけを動かして周りを見た。どうしよう、自分の部屋ではない。知らない場所だ。

ホテル?


いやいや、ちょっと待て。


いやーな予感にガサゴソと下着を確認する。うん、ちゃんとパンツ履いてる。てか、致したあとの下腹部の違和感はないから多分セーフ。パジャマも着てるしね。って、誰のパジャマだこれ。


目を瞑ってしばし沈黙。

「いやいやいやいや」

二度寝なんてできるわけがない。おそるおそる起き上がる。


シンプルな部屋だ。奥の扉は水回りかな?ベッドと二人がけソファ、二人用のダイニングテーブル。なんなら私のアパートよりも広い。

部屋の中は人気がない。けれど、外からだろうか、子供がはしゃぐ声がする。

隣からだろう生活音。


ふと目をやったダイニングテーブルの上にメモを見つけた。立ち上がってメモを見る。ソファの上には、パッケージに入ったままの新品の下着と部屋着。

メモには少し幼いクセのある字で

”おはようございます。なにかござましたらこちらまで”と内線番号らしきものがあった。ベッド脇の壁にはインターホンのような電話がついている。


寝起きということもあり、もともと性能がよくない頭がさらにとっ散らかっている。メモを持ったまま混乱する頭を整理する。


昨日は会社の飲み会だった。座順が神がかっていて、こそこそと移動しなくてもとても楽しく飲んでいたことを覚えている。


一次会を締めた後、お手洗いに行った。混んでいて時間がかかって、トイレから出たらもう誰もいなくて。


そしたら、道路の傍にタ…ムラくんが寝ていて、ほっとけなくて連れて帰ったら、それはタムラくんではない違う人で…。てかタムラくんて誰だっけ?昨日のメンバーにそんな子いた?


疑問が記憶の蓋をこじ開けた。


道端に転がっていた男の人を連れ帰った。

甘い良い匂い。ふわふわした思考。


ジャケットを触った時の濡れた感触。手についた、赤黒い液体。

囁くベルベット。

弾けたボタン。

切る、というより強い力で引っ掻かれたような傷口。


ドッドッと心臓が大きく脈動し始める。ラグに染み込む赤黒い液体。飛び散った赤が壁を汚した。

「あ、たつよさん」

そうだ、龍与さん。龍与さんに連絡しなくちゃ。

そう思っても思い出すのは混沌とした色のブラウスと紫に近い赤の唇だけ。龍与さんの顔は朧げにしか思い出せない。


私は龍与さんと一緒に車に乗った。そこは覚えている。怪我をした男の人と、担架役の人と。それから先は覚えていない。酔いと疲れで眠ってしまったから。


あの人、ひどい怪我をしていた人はどうなったの?すごくいっぱい血が出ていた。まさか死んだ?私の部屋で。ううん、違う。彼は一緒に車に乗っていた。担架役の男の人にお姫様抱っこされて、「これはない」って嘆いていたからきっと生きてる。目が合った時、痛みとか苦しみより先に恥ずかしさが合ったみたいだし、大丈夫。


そう、部屋は龍与さんが綺麗にしてくれるって。任せておけば大丈夫、大丈夫って龍与さんが。


ううん、待って。なんで私こんなに龍与さんのいうことを信じているの?


ザッと血の気が引く。龍与さんがっていうけれど、どうして顔も思い出せない、どこの誰かもわからない人を信じているの?しかも家の鍵まで預けてしまって、のこのこ付いてきている。私の危機管理能力は一体どうなっているの?!


改めて部屋を見渡す。財布とスマートフォンが入ったカバンはベッドサイドにあった。中身を確認する。財布も財布の中身も無事。あ、化粧ポーチがない。でもスマホは無事。え?圏外?


「ちょっと、圏外って。ここ、どこよ…ええ?」

今時、大手キャリアが圏外って。


外部との連絡は取れない。

どこかもわからない。

詰んだ。


絶望して、ふとメモを見る。

何かございましたらって、大アリだよ。と悪態を付く。


一周回って落ち着いたら、ブルっときた。

とりあえず用を足そう。昨日は飲んだし。

朝のご不浄を済ませて、洗面所の鏡を見て息を飲んだ。髪に血がついて固まっている。


…まずはシャワーを借りよう。そうしよう。


そして、1時間後。


身支度を整えた私の警戒心はまたどこかへ行ってしまった。


バスルームが異様に充実していたのだ。シャワーだけ、という気持ちでバスルームに入ったのに、お風呂を満喫してしまった。素敵なラインナップのバスボムの存在が悪い。

お高くて手が出せないラインのスキンケア用品と、すごくいい香りのするヘアケアライン。保湿力が半端ないボディソープ…朝から大満足だった。お風呂を大満喫してしまった。


湯上がりでポワポワしながら、メモをもう一度読む。

お腹が空いた。状況も知りたい。そして、WI-FIを繋ぎたい。


うん、とひとつ頷いてコールした。

昨日聞いた龍与さんとはちがう柔らかな女性の声が受話器から聞こえた。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

こちらのことは把握しているのだろう、名乗らなくても話が通じた。

「ご用意が整いましたら、お食事を運びますね。和食がいいですか?洋食?」

生野菜が食べたい。お味噌汁が飲みたい。コーヒーはカフェオレがいい。促されるまま答えると、「わかりました」と優しく明るい声で返してくれる。すでに身支度は整っていますと伝えると。すぐに持っていきますね、と言って電話は切れた。


柔らかくて暖かな声の人だったな、と思う。すごく好みの声だ。


程なくしてノックがされた。扉を開けると光沢のある真緑のブラウスが目に飛び込んでくる。眩しい。


「おはよう、よく眠れた?」

 朝食を持ってきたのは龍与さんと、私と同年代くらいのとびきりの美人さんだった。儚げで美しい人だぁ、と見惚れる。龍与さんも綺麗な人だけど、服の印象が強すぎて、「綺麗」より「凄い」という感想になってしまうのだ。龍与さんの背後でひっそりと佇むその人は龍与さんの強烈な服装の印象との対比で一層儚げに見える。


しばらく女の人に見惚れていたが、ハッと目が醒める。

「あ、おはようございます。あの、この部屋、ありがとうございます。ぐっすり眠れました」とお礼をいうと、龍与さんは「こっちが迷惑をかけたんだから当然よ」とにっこりと笑った。



なぜか龍与さんと、龍与さんが連れてきた美人と3人で朝食を食べることになった。美人さんとご一緒するのは嬉しいけれどなんのサービスだろう。


「ええと改めて。私は小春日(こかすが) 龍与(たつよ)と言います。この子は優美子(ゆみこ)。娘みたいなものよ」


優美子さんは私に視線を合わせてにっこりと笑った。

「優美子です。ええと、同じ年齢くらい?」

優美子さんは私の一つ下だった。


「あら、じゃあ(おおい)…昨日の怪我をしていた子より下なのね」

え、タムラ、じゃなかった、あの人、年上だったのか。めちゃ「この子」扱いしてしまった。

そういえば、彼は大丈夫だったんだろうか。あの血の量にあの傷…多分病院へ直行だったのだろう。

「あの、昨日の彼の容体って…」

死んでないよね?

「ああ、なーんともないわ。いっぱい食べていっぱい寝たらすぐ良くなるわ」

「ああ浩くん。大丈夫。今朝、ゾンビみたいにふらふら起きてきて、寝ぼけながらもちゃーんと朝ご飯、完食してたから。おかわりもしてたわ」

「あら。様子を見に行ってたの?」

「ううん。昨夜、熱が出た子がいて、医療棟に連れて行ったの。その子の様子を見に行ったら居たの。

すごいのよ、目があいてないのに、バキュームみたいに食べ物を食べて、ううん、吸ってたわ」

優美子さんが思い出したようにくすくすと笑う。

「そう、それだけ食べられるんなら大丈夫ね」


二人の雑談を聴きながら私ははて、と頭をかしげる。

昨日の彼のあの怪我は、そんな軽いものだったっけ?重傷に見えたのは、血と傷口が派手だったせい?

「まあ、あの子のことはもういわ。寝てれば治るし。まずは食べましょう」


朝ごはんは酔っ払いの胃に染みる、優しさがつまったものだった。白いご飯と豆腐とわかめのお味噌汁。キャベツと水菜、ベビーリーフのサラダとトマト、ハムエッグ。小鉢はちょっと変わったほうれん草のおひたし。たくあんと冷奴。昨晩、アルコールを摂取した体に染み渡る。


キレイどころと雑談しながらの朝食はとても美味しかった。


この場所は、龍与さんと優美子さん、二人が所属する法人の寮なんだとか、山間の、昔に廃れた温泉街の跡地で街から遠くて不便だとか、私が使っているスマホのキャリアだけが繋がりが悪くて、風が強い日に奇跡的につながる他は圏外になるとか、そんな他愛のない話。


「さて、今日はあなたのおうちの掃除に入るんだけど、やっぱり家主の許可がいるらしくて、すぐ取り掛かれなかったのよね。申し訳ないけれど、一緒に行ってもらえるかしら。それに、貴重品とか触られたくないものもあるでしょう?それも確認してもらえると助かるわ」


龍与さんが申し訳なさそうにいうが、私はありがたかった。やっぱり、知らない人が家に勝手に入るのは勘弁してほしい。


「それと重ねて申し訳ないんだけど、ラグとか家具とか?血がついてしまったものは、こちらで買い直させてもらえる?家を確認した後、買い物にいきましょう。好きなものを買うといいわ。うちの会社の金で」

「龍与さん言い方」


やぱり、あのラグはダメだったか。気に入っていたとはいえ、さすがに他人の血のついたラグを使うのはご遠慮したい。洗濯でキレイになっていてもなんかやだ。買ってもらえるなら助かる。


「じゃあ、あのラグを買った家具屋さんにいきたいです」と市内にある大型ショッピングモールを告げると、龍与さんが、あら、と首をかしげる。

「そこでいいの?郊外にあるインポートの家具店に行こうと思ってたんだけど」

「あそこ、私の金銭感覚だと0が一個か二個多いんですよ。そうなったら気軽に買い替えできないし」

「そういうものなの?あなたがいいならいいけど。ねえ、優美子も連れて行ってもいいかしら。この子三連休、ずっとこの寮に引きこもる気でいるのよ。不健康だわ」

「え?私も行ってもいいの?」

優美子さんは戸惑いながら龍与さんに聞いた。

「いいかしら」

龍与さんが私に聞く。

「普段からこの子、会社の敷地内からあんまり出ないからどうせなら連れていきたいと思ったのよ。一緒に行ってもいい?」

龍与さんと二人だけで、安物家具店へ行くのも気詰まりな気がする。

「ぜひ一緒に行きましょ?優美子さん。あそこの家具店、雑貨も多いし、気晴らしになると思うよ」

優美子は迷うように視線を泳がせて、混んでたら迷惑をかけちゃうかも、と小さく小さく囁いた。気持ちが沈むような顔をした優美子さんの美しい憂い顔に私は、なるほど、と納得する。


この美人具合だ。きっと歩くと声を掛けられまくるんだろう。声を掛けられるだけならまだマシだけど、困ったことも多そうだ。ナンパとか痴漢とか。

そういう実害は龍与さんがいれば大丈夫だろうなあ、と思う。龍与さんと二人で買い物は気乗りしないけど、同世代の美人さんと歩くのは気持ちが上がる。

「三連休の初日だから多分混んでいるけど、嫌になったら帰ってもいいんじゃない?ラグだって、ネットでも買えるんだし。とりあえず一緒に行こ?」

「いいの?」と優美子さんは龍与さんに聞く。龍与さんはコーヒーを飲みながら澄ました顔で、「私が誘ったのよ」と言った。

「なら、行きたい」

優美子さんが柔らかく笑った。後光が差して見えた。


それから一時間後に私の部屋に集合、ということになった。


部屋に一人になって、早速優美子さんから教えてもらったWI-FIに繋ぐと、昨日の飲み会のメンバーから何件かメッセージが入っていた。


”店の前で待っているよ”

”遅すぎない?大丈夫?”

”あれ、もしかして帰ったの?”

”おーい”

”ごめんだけど先に行くね。一応二次会の場所貼っとくね”


店を出た時には絶対に受信していなかったメッセージに驚く。


トイレに入る前も出た後にも確認したから覚えてる。もしかして通信障害でも起こしてた?


でも、私がみんなから離れた時間は十分にも満たないと思う。そんなに早く、私が帰ったと判断して次の店に向かうだろうか。


あの時、店を出た時には誰もいなかった。

トイレは混んでたけれど、そんなに時間はたっていないはずだった。


頭の中をめぐる昨日のこと。


今までの喧騒が嘘のように静まりかえった居酒屋。まるで誰もいなくなったようだった。


店を出てもおかしかった。酔っていてあまり気にしていなかったけれど、人通りどころか、気配すらなかったことに気づけなかった。


三連休前夜の浮ついた空気の中、まだ宵の口という時間に人通りが全くないということ自体がおかしいのに。


それに同僚たちは酔い潰れた人を放っておくような人ではない。

誰かが倒れていたら、必ず声をかけるだろう。


そんな同僚達が道端で倒れていた彼を無視して店を変えるだろうか。


見知らぬ誰かだとしても、倒れているのを見た時点でそれなりの対応をしている。


私が外に出た時には人通りは皆無。店の中もしんと静まり返っていた。まるで人がいないように。


私と彼だけが、違う空間に居たかのようなそんな感覚。


そういえば、タクシーを拾おうと道路を見ていた時もそうだ。空車のタクシーが何台も素通りして行って、あのタクシーだけが停まってくれた。だから、親切な運転手さんだと思ったんだもの。


運転手さんも言っていたじゃない。酔っていて聞き流していたけれど、お客さんが急に道端に浮かび上がって見えて驚いたって。タクシーの運転手(こういう)仕事をしているとたまに()()()()()()に出くわすんですよって。


その時、なんで私にそんな話をするのかと不思議に思ったけれど、運転手さんにとっては、私と彼こそが”()()()()()”の”()()()()()()”だったのかもしれない。


何が起こっていたのだろう。

実はこれは全部夢で、私は、あの店の前で彼と死んでしまっているのかもしれない。


ふと思いついたことに、ざわりとした悪寒で体が震えた。

悪い想像は広がる。

もしかして通り魔が出て、彼と私を刺して、私はそれに気がつかないまま、その後の夢を見ているだけ?

私は死んでいるの?


コンコン、とノックの音がして、私は驚きで肩を震わせた。もう一時間経ったのだろうか、と時計を確認するもまだ十五分も経っていない。


ノックに応えると、龍与さんだった。昨日私が着ていた服を洗濯してくれていたらしく、持ってきてくれたのだ。


龍与さんは、私と私の手の中のスマホを見て曖昧に笑った。


「昨日の夜のこと、聞かれた?会社の親睦会だったのよね。急にいなくなって叱られたかしら」


「あの、私死んでるんですか?」


そう聞くと、龍与さんはきょとんとした。なんか可愛かった。


「えっと、どうしてそういう結論になったかとても興味深いけど、大丈夫よ、あなたは生きているわ。もちろん、昨日の彼もね。だーれも死んでいない」


ほっと安心する。とりあえず私は生きているらしい。


「今、メッセージを見たら変なんです。店を出た時は、絶対に受信してなかったメッセージが入っていて。店の前では誰も待っていてくれなかったのに」


「うん、そうね。それはあなたとあの子の空間がみんなのいる空間と切り離されてしまったからなの」


普段なら、はぁ?と訝しむであろう言葉。


でも、今はなんとなく、そうかもしれないと思った。


そして、ふと気づく。私は、会社の親睦会だったなんて龍与さんに言っていない。それなのに、なんでわかったの?


疑問に思う反面、知られていて当然だと思う私はまだ昨日の不思議から抜け出せずにいるんだろうか。


「ごめんなさいね。あなたは()()()()()に巻き込まれしまったのよ。ごめんね。叱られちゃうかしら」

「会社は、若手の親睦会だったから別に大丈夫です。あの、ウチの仕事って…」


脳裏に浮かぶのは不穏な言葉。


”ベッタリ邪気が張り付いてる”と彼の傷口をみて顔をしかめる男の人。


”あなたの血は呼ぶんだからそんなにタラタラこぼさないの”と怪我人の彼をしかる呆れ顔の龍与さん。


甘い甘い血の匂い。


誰もいない、まるで幕が降りた後のホールのような金曜日の繁華街。


頭の中に、少し前に流行した某アニメの主題歌が流れる。


現実感はない。あれはフィクション。創作物。それはわかっているけれど。


「…帷が降りたら、合図だったりします?」

「ああ、あのアニメ流行ったわね。あんなことはできないわ。あれは創作物」


でもね、と龍与さんは笑った。


「視えなくても、在るの。視えないものから日常を守るのが私たちの会社の仕事なのよ」


反社会勢力とは違う、裏の世界は在るのだ。視えないけれども。


私はそれを知っている。


もちろん、知識の大半は漫画や小説の類いだ。そういう感じの創作物はよく読むし、なんならこの歳になってもつい手にとってしまうくらいにはそういうジャンルを好む。


しかし、創作ではない知識が私の中に在るのも事実だった。私も、そういう”視えない”ことを相手に仕事をする人を知っている。とても身近な記憶として。


「あら、ひかないの?けっこうイタイこと言っているのに」


龍与さんの唇だけが笑いの形に歪む。


言おうか言わないか迷って、言うことにした。


龍与さんの目は、視えないものが視えると言って信じてもらえなかった人の目だったから。


「そういう秘密を仕事にしている人を他に知っています」


そう、私は知っている。祖父から伝え聞いただけだったけれど、目に視えないモノから、日常を取り戻す、そんな仕事をしていた人を。


「私の曽祖母が”おんばあ”っていういわゆるイタコみたいな仕事をしていたと祖父から聞いていましたから」


母の田舎にいる祖父はよく曽祖母の不思議な話をしてくれた。私はその話を聞くのが大好きだった。祖父の話す曽祖母の話はどれも優しいものばかりだったから。


”今日は川の神様の機嫌が悪いから川に行ってはいけないよ”


曽祖母から言われた日、言いつけを守らず川で遊んだ近所の子が流された。曽祖母が川へ言って詫びると、かなり下流で流された子が見つかった。ぐったりしていたが、生きていた、と。

川の神様に命を取らなかったお礼をしに行ったら、当時流行っていた歌謡曲を熱唱させられたらしい。


”あら、谷でヤエさんが動けなくなってるわ。ちょっとあんた、川村さんちのお父さん呼んできて”


夕飯の支度中、いきなりそんなことを言った曽祖母。”神様のお部屋”に少し籠った後、呼んできた川村さんに、奥さんは南の山のタルモンベの谷あたりで動けなくなっていると伝えた。夕飯の支度になっても戻らない奥さんを心配していた川村さんがそこへ向かうと、谷に落ちて動けなくなっていた奥さんを見つけた、とか。


そのあと川村さんと曽祖母で山の神様にお礼に行ったら、当時流行っていた歌謡曲に合わせて踊らされたとか。


悪さをして家に帰ると、顔も見ずに曽祖母から「山(川)の神さんに謝っといで」としかられたとか。


祖父は遠くを懐かしむ目をして私や兄に話してくれた。私を膝に乗せて頭を撫でてくれながら

「お前はバアさんのお気に入りだったから、視えてしまうかもなぁ。バアさんは”視えても何もできないのなら、視ないでおきなさい”とよく言っていた。だからお前ももし視えてもみるんじゃない」と言っていたことを覚えている。

祖父は元気だろうか。思い出したら会いたくなってきた。

まだ「山や川の神さんにいつ言われてもいいように」って流行りの曲や、踊りの練習してるんだろうか。


「ひいおばあさまは在野の神代でいらしたのね」

龍与さんが納得したような表情をする。


「神代かはわからないけれど、視えないものに困っている人の相談に乗っていたと祖父が」


もう曽祖母が住んでいた集落は市の一部になった。山の神様の社も、川の神様の祠ももうない。


「おんばあは曽祖母を最期にいなくなりました」


おんばあの名も伝承となった。


「私も私の家族も、幽霊とか見たことないです」


もしかしたら、というのは正直見たことがある。でも視てはいけないのだ。なにもしてあげられないから。


だから龍与さんの仕事の話は聞かない。聞いてもできることはないから聞いてはいけないのだ。


「そうなのね。そう、納得したわ。ひいおばあさまのことを話してくれてありがとう」


それとこれ、と龍与さんはポーチを取り出した。


「口コミをみて興味が湧いたから買ってはみたけれど、ちょっと私には若すぎたの。

使ってもらえると嬉しいわ」

と、私が使っているものと同じ化粧品を置く。買うのを悩んでいたカラーもある。嬉しいけど良いのかな。


「使ってくれないと死蔵品になってしまうの」

龍与さんがしょっぱい顔になる。


「たくさんあるし、自分が気に入って使うラインはわかっているのになぜか買っちゃうのよ」

「メイク用品が好きなんですね。でもそういうことならありがたくいただきます。この色、気になっていたけど買うの悩んでいたからうれしいです」


そういえば化粧ポーチがなくなってたし、助かった。ノーメイクになるとこだったわ。


「こちらこそ助かるわ。昨日あなたがあの子を保護してくれて本当に助かったの。これくらいはさせてね。

じゃあ私も着替えてくるわ。またあとでね」


真緑の艶々ブラウスはお出かけ用ではなかったらしい。お出かけ用はどんな装いになるのだろう。ドキドキする。


化粧を終えて一息ついた頃に時間になった。


部屋に来た龍与さんの服装は結論から言うと思ったよりも控えめだった。明るいけれど薄いオレンジ色に色とりどりの鱗柄のワンピースでスレンダーな龍与さんに良く似合っていた。

優美子さんは上品なお嬢様系の服装で空色のカーディガンが可愛い。


私は昨日の仕事着のまま…。飲み会があったからそれなりだけど、この二人に挟まれるとなんか、いたたまれない気持ちになる。


いいんだ。人には一人一人違う味があるんだから。そう自分を慰めた。


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