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モラルコード  作者: 眠。
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CASE 02:逃がさない

機械の規則的な音が部屋に響いて、片手で雑に音を止める。ベッドから上半身を起こすと目を擦る。カーテンの隙間から差す光はまだ少し暗い。


『……(まだ眠い)』


最近の寒さには相変わらず慣れない。ただでさえ、朝は低気圧で頭痛がするというのに。

自室には勉強机と椅子、参考書の並ぶ棚にクローゼットと、無駄な物が一切無い部屋。日々の作り込まれた生活にただ従うだけの自分に嫌気が指す。この部屋もまた、自室ながら気味が悪いと思う。趣味の一つもない。単純で、極端に物の少ない部屋。まるで、作り込まれた人形の部屋だ。


ベッドから立ち上がる。フラフラとまだハッキリしない意識のまま、自室から出た。



蛇口を上に上げて、両手で水を掬う。顔に水をかけると、酷かった眠気も直ぐに薄れていく。タオルで顔を拭いて、鏡を見る。ふと、鏡に映る自分の姿に違和感を覚えた。体を乗り出して、鏡に近付く。自分の目に赤い細い線が何本も伸びているのが見えた。これほど、酷く充血するのは初めてだった。

一瞬、確かに驚きはしたが「たかが目の充血」そう捉えて、気にも留めなかった。

歯ブラシに歯磨き粉を付け、歯を磨き、口を濯ぐ。そのまま、鏡の前で髪を整える。時計の秒針が動く音が空きっぱなしの扉の先から微かに聞こえる。

何も変わらない朝。相変わらず、静かで冷たい空気が肌に触れていた。


リビングへ行くと、ソファに座る珍しい人影が見えた。


『母さん。』


そう声を零すと、母さんは此方に見た。穏やかな笑みを浮かべると「おはよう」と口にした。

母さんの手の中には最近、出版されたばかりの企業情報を取り扱う雑誌が握られていた。表紙には目の前に居る人物の笑った姿が大々的に載せられている。母さんは、大企業を率いる若手女社長だ。テレビインタビューと、雑誌の表紙を飾るのも、これで何度目だろう。そんな人の息子である俺は幼少期から英才教育を施されていた。


俺が次期社長候補だから─


『おはようございます』


我が家には幾つかの暗黙の了解がある。挨拶は必ず敬語。それ以外の挨拶をした時には、母さんはそれを挨拶とは見なさない。

その了解を守った様子に安堵するように母さんはまた笑うと手元の雑誌に視線を戻した。雑誌をただ静かに読んでいた。


犯罪ウイルスの被害者は全国各地に広まりを見せており──


テレビの先の女ニュースキャスターがそう言って、画面にはグラフが映し出される。

また、このニュースか。ウイルスが世に現れてから、6ヶ月。未だに世間は犯罪ウイルスにご執心だ。まるで、自分が次の被害者にでもなると恐れているかのように。


「最近、このニュースばかりよね。」


ニュースに夢中になっていると、母さんがそう言った。母さんの方に視線をやる。母さんはテレビの画面を雑誌を横目に見ていた。


「経営の邪魔にならないといいけど。」


そう、吐き捨てるように呟いた。

母さんは相変わらずだ。何も変わらない。母さんの最優先は自身の会社だ。その証拠に母さんは殆ど家に帰ってこない。だから、幼い頃には母さんの秘書が来ることの方が多かった。母さんと最後に外出したのは何時だろうか…母さんと最後に食事をしたのは─普通の親子なら、覚えているのだろうか。そんな親子の記憶も、俺には覚えがない。


『(なんて…皮肉なこった)』


リビングにはニュースキャスターの声と雑誌を捲る音だけが響いていた。

その後は食欲が無くて、何も口にせずに玄関で靴を履いた。鞄を肩に掛けて、部屋に向かって言う。


『行ってきます』


その言葉に対して、部屋の静けさだけが残った。




授業の終わりを学校のチャイムが告げる。開いていた教科書とノートを閉じる。


『起立、礼』


30人弱のクラスメイト達が一斉に頭を下げる。俺は学校では、自ら学級委員や生徒会の役目を買って出ていた。それだけでクラスメイトも、先生も簡単に安心したような表情を見せるから。

一瞬で騒がしくなる教室内は様々な音が飛び交う。教科書とノートを閉じて、重ね置く。今日は予備校も、生徒会の仕事も何も無い。何処かで時間を潰すしかないな。なんて考えながら、ただ無心に筆箱の中にシャープペンシルを入れた。


「あ、あの…塩原くん!放課後、ちょっと良いかな?」


目線を上げる。そこには手を絡めて、顔を赤くするクラスメイトの女。彼女は目線を挙動不審に動かしながら言った。

彼女は誰だったか。思い出せやしない。その程度の存在だ。それでも、真面目で外ズラの良い優等生は


『嗚呼、勿論。』


そう言って、愛想の良い笑顔を振り撒く。

彼女に指定された場所は人気の無い校舎裏だった。



校舎裏に行くと、既にそこには彼女が立っていた。彼女は自身の身体で何かを背中で隠すように持っていて、頬は赤く染まっていた。


「し、塩原くん…その、こ…これ!」


そう言って、勢いよく差し出されたのは赤のリボンが巻かれた小さな袋。それをそっと受け取って、軽く感謝の言葉と微笑を浮かべる。

そういえば、今日はバレンタインだったな。なんて、思い出す。やけに今日は教室が甘ったるい匂いがすると思ったら…


彼女はブツブツと小さな声で何かを喋り続けている。何を言っているのか、よく聞き取れない。


「わ、私…塩原くんのことが!」


目線の奥に一つの人影が見えた。あの影の制服を見るに、男子生徒のようだ。鞄と制服の布が壁から、微かに見え隠れしている。

あの位置では、今の状況は丸見えだな。


「好きです!付き合ってください!」


そう、大きな声でより一層顔を赤く染め、頭を下げた。手元の小袋が冷たい外の風で揺れる。少しの間を開けて、口を開いた。


『ごめんね、今は誰かとそういう関係になるつもりは無いんだ。』


精一杯の偽善に塗れた優しい声色でそう言った。彼女はその言葉に小さな声で呟いた。


「そうだよね…塩原くんと、私じゃあ……」


ボロボロと彼女の足元に水滴が溢れ落ちた。親指を包むように拳を強く握っている。彼女は顔を上げると、近くにある自身の鞄を持った。そして「またね」とだけ言って、走り去って行った。

彼女と鉢合わせたのか、奥の方から男の驚く声が離れた所から微かに聞こえた。俺はそっちの方へと何歩か、足を運ばせた。


『盗み聞きは頂けないなぁ』


人影の方にそう言うと、壁から見え隠れする制服が分かりやすく動いた。物陰から出てくる。


「ぬ、盗み聞きなんて…そんな!」


現れた人物に俺は目を見開いた。

オドオドとした落ち着きのない男。一見、何処にでも居るような人物だ。だが、この男には確かに覚えがあった。

(たちばな) 理久(りく)、同じ学年、クラスの生徒の一人で…そして


『嗚呼……お前か。』


顔見知りでも、仲がいいわけでもない。なのに、俺はそう言葉が溢れた。

コイツは俺が唯一、敵わない相手。橘 理久、コイツは俺とは正反対の冴えなくて、内気で目立たなくて、甲斐性のない男。なのに…成績だけはコイツに敵わない。


「…え?お前…?」


普段、良い子で優等生の姿ばかりを見ているからか。俺の言葉に橘は驚いたように情けない声を出した。

学校では抑えていたのに、因縁の相手に思わず気が抜けてしまったようだ。これで妙に取り繕おうとするのは逆効果だ。

そう思って、相手を威圧するように1歩前に出る。


『今のをお前は何も見ていない…そうだな?』


視線がぶつかる。冷たい風が耳元を突き抜けるのが酷く目立って聞こえる。

橘は深呼吸をすると、ゆっくりと喋り出した。


「もし、見たって言ったら…どうなる?」


その表情には僅かな好奇心のような、探究心のようなものが浮かんでいるように伺えた。

口封じ…そう考えていたが、その表情に毒気を抜かれてしまった。


『別に…何もしないさ。どうせ、お前には言いふらすような相手も居ないからな』


皮肉を込めて、そう言う。それでも、目の前の相手はそれに気付いてすらいないようだった。俺の言葉に言い返す気もないようでただ笑っている。

その様子にまた毒気を抜かれるような、呆れるような感覚になる。溜息を付いて、橘から距離を取る。こんな現場を見られて、それを言いふらしでもされたら。今後の学校生活が面倒なことになるのは目に見えている。口封じでも、しようと思っていたが気が逸れた。

橘が笑い終えると、言った。


「にしても…今の君は何時もとは雰囲気が全く違うね。」


その言葉に指先が震える。その手を後ろで強く、押さえ付ける。言葉の経った一言で背筋が酷く冷えていくような感覚に陥る。

橘は俺を見て、首を傾げた。そして、一歩近付くと目を細めて言った。


「もしかして…僕、君の秘密知っちゃった?」


そう言って、クスクスと悪戯を企む子供のように笑い出した。どうやら、その一言での俺の変化に気付いているようだった。

…冗談じゃない。ただでさえ、クラスでの地位が低くて目立たないような根暗な奴に…こんな屈辱を味合わせられるだなんて。


橘の細く、凝らすように向けられる目が見透かされているようで気味が悪く感じる。


「ふーん、やっぱり…秘密なんだ?」


そう言って、今度は口元を手で覆ってクスクスと笑い出した。一見、お淑やかに見えるその笑い方がより一層…俺の怒りを彷彿とさせた。

コイツ…人の秘密を知ったからと反応を楽しんできやがる。自分が優位に居ると、思って…


『…(気に入らない)』


俺は畜生、性格が良い方ではないし…人一倍こだわりも強い方だ。易々と馬鹿にされるのは性にあわない。そして、俺は何より…人の下に着くのが嫌いだ。


『旧校舎、教室の無断使用。』


その言葉に橘の顔から、笑みが消える。段々と血の気が引くような表情へと変化していく。

俺は成績、立場、容姿…その全てに自信がある。いや、無くては行けない。そんな環境、状況でこの17年間を生きて来た。そんな俺が唯一、この目の前の男…橘に敵わないのが成績…言わばテストの順位だ。学校のテストの頭脳じゃあ、確かに敵わない。だが…その他ではどうだろう?


『俺は、人の下に着くのが嫌いなんだ』


形勢逆転だ。ニッコリと口角を上げて、橘を見つめる。橘は顔を引き攣らせて、何歩か後退る。

敵わない相手に対して、何をするべきか。その答えは簡単だ。その相手に勝てる弱点、分野を探すということ。そして、相手を引き摺りおろす…そうして俺は今まで成績やスポーツとあらゆるものを物にしてきた。それは今もそうだ。


敵わない相手のことをこの俺が調べない訳がない─


『先生に告げ口されたくなければ…身の程を弁えるんだな』


橘の方を脅すようにそう言う。すると橘は負けた、と言わんばかりに両手を上げた。そして、落ち込むように溜息を着いた。


「君の秘密は言わないから…君も、先生にだけは!」


そう言って、膝を地面に付いて、懇願するように両手を合わせて頭を下げてくる。想像以上の効果に一瞬、面を食らった。

そうだ、丁度いい機会だ。この際、もう少し踏み込んでしまおうか。


そう思って、自身の鞄の中から携帯端末を取り出した。そして、目の前で膝を付く橘の前に手の平を広げた。橘は唖然として、動こうとしない。動いたと思えば、手の平の上に自身の手を乗せて来た。その手を払い除けて、言う。


『スマホ、出せ』


そう言うと、自身の鞄の中から潔く携帯端末を取り出す。それを橘の手の中から、少し強引に奪い取る。


「あ、ちょ…ちょっと!!」


取り返そうと、前に出てくる橘に背を向けて伸びてくる手を交わす。そのままぐるりと一回回る。橘の端末の画面をスワイプして、橘の顔の前に画面を向けるとロックが解除される。未だに手を伸ばしてくる橘に背を向けて、メッセージアプリを開く。

少しして、操作を終え、橘に端末を返す。そして、橘を見下ろすように口を開いた


『今日から…俺とお前は共犯だ』


今度は此方が愉しむように口角を上げた。

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