40話 一喝
宴会もお開きになり、社員たちはそれぞれの宿泊部屋へと戻っていく。私は当然後片付けに走る。全く、新人という生き物には、イベントの余韻に浸る暇も与えられない。
そんな事をしているものだから、エリ先輩を見失ってしまった。途中までは座布団やお膳を下げるのを手伝ってくれていたのに、幹事メンバーで明日の打合せをしている内にいなくなっていた。
もう少し、話がしたい。だって、この旅行が終われば、こんな風に一緒に過ごせる時間はなくなるのだ。
すっかり誰もいなくなった宴会場から、個室へ続く長い通路を歩く。スリッパのパタパタという音だけが静まり返った廊下に聞こえる中、通路に面した大きな窓から見える夜の庭園に、ふたつの人影が見えた。
後ろ姿だけでも分かる。がっしりとしたスポーツマン体型が楠本さんで、その横のすらりと背の高い七三分けが、エリ先輩だ。
近くのドアから外に出る。すっかり肌寒い季節になったけれど、さっきまでの熱気から解放されてちょうどいい。
近寄ってもいいのか……遠巻きに眺めていると、楠本さんに気付かれた。彼につられるように、エリ先輩も振り返る。楠本さんは私を見て手招きをしてくれたが、エリ先輩はすぐに庭の暗がりへ目を戻した。
「いいところに来た。芦尾っちは明日の飲み会行くよな?」
「飲み会、ですか?」
「そ。駅の方に出て、希望者だけの」
「そうなんですね。行ってみようかな」
幹事として社員を楽しませる役割は、もうたくさんだ。エリ先輩は、どうだろう──私の視線で察したのか、楠本さんは続けた。
「こいつは行かないんだとさ」
「あ……」
エリ先輩は腕を組んで、イライラとした口調で楠本さんに詰め寄った。
「俺は静かに過ごしたいんだ。行きたい奴だけが行けばいいだろう」
「へぇ。じゃ俺が芦尾っちの隣を独占してもいいか?」
「ちょ、ちょっと、楠本さん……」
楠本さんがにやりと笑ってエリ先輩に言い返す。からかっているだけだって分かるけど、彼のこういった言動を聞いている間はとても居心地が悪い。
しかしエリ先輩は、しばらく楠本さんを睨みつけたかと思うと、大きく息を吐いた。
「ああ、いいぞ」
「え?」
楠本さんと私の声が重なる。
「芦尾はもうすぐそっちに行くかもしれないからな。今の内に親睦を深めておくといいんじゃないか」
「そうなの?」
あっけにとられる楠本さんが、私に振り返る。
「はい。関東のどこかに、異動が決まってしまいまして。通達出る前ですから、内緒ですよ」
「えーー!マジかよ。芦尾っち、うちに来てくれるの!?」
「まだ埼玉と決まったわけでは……」
「エリよ、お前ほんと気の毒だなぁ」
「埼玉だといいな。念願の、優しい上司だ。楠本、芦尾は生意気だからな。覚悟しておけよ」
エリ先輩は楠本さんを避けて、庭園のさらに奥へ歩き出してしまった。
「エリ先輩……」
スタスタと歩いていく背中が遠くなっていくのを見て、楠本さんは私に言った。
「そういうことか。ありゃ拗ねてるんだ。君を手放すのがよっぽど嫌なんだろうな」
「……たくさん指導してくださいましたから」
「芦尾っちさぁ……まだ付き合ってないの?」
「えっ!?」
私が目を見開き、体を硬直させるのを見て、勝手に何かを解釈した。
「追いかけたら?俺戻るからさ」
楠本さんが優しく焚きつける。私はエリ先輩の背中を見つめるが、足が出ない。
「私のせいなんです」
「何が?」
「私が……先輩を傷つけたから」
数分前は、雰囲気に任せて楽しく過ごせたと思っていたけど、現実から目を背けていただけみたいだ。やっぱり、先輩の隣に並ぶのは難しいかもしれない。
「……はぁ」
うつむく私に、楠本さんはやれやれとため息をついて──暗闇へ向かって、大きく叫んだ。
「エリ!お前、かっこつけてんじゃねぇよ!!」
いつもへらへらしている楠本さんが怒っているように見える。遠くなっていくエリ先輩の足が一瞬止まり、また進んだ。
「楠本さん……」
楠本さんはまたいつもの朗らかな笑みを浮かべて、私に言った。
「……じゃ、明日の自由時間の後、駅に19時集合だよ」
そう言って、あくびをしながら客室棟へ、ゆったりとした歩調で戻っていった。




