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37話 遮らなければならなかった



 定時になるとほとんどの社員が帰宅していく。その様子を眺めていると、本当にうちの会社はホワイトだな、と、ぼんやり思う。


 私だって今日はそれほど忙しくなかったのだから帰ろうと思えば帰れたのに、急がない仕事を見つけてはダラダラと取り組んだ。


 書類のファイリングが終わったら帰ろう、メールチェックしておこう。こまごまとした作業を時間稼ぎをするかのように探していると、ようやく入口のドアが開いた。


「まだ残っていたのか」


「おかえりなさい、エリ先輩」


 こちらに向かって歩いてくる先輩を笑顔で迎えるが、すぐに口角が下がってしまう。


 どうやって言おう。異動のことは出来れば自分の口から伝えたい。


 エリ先輩が荷物を降ろしてデスクワークを始める姿をチラチラと横目で見てタイミングを図るが、勇気が出ない。無言の時間が続くも、ついに仕事が尽きてしまった。


 ダメだ、言えない。あんなに先輩を信じると言っていた私が、そのずっと前から裏切るようなことをしていたなんて。


「お、お先に失礼します」


「芦尾」


 ついに私は、席を立った。同時に、エリ先輩の声が重なる。


「はっ、はい。なんでしょうか」


「待ってくれ。俺ももう帰る」


「え」


 エリ先輩は立ち上げたばかりのパソコンの電源を落として、降ろして間もない鞄を肩にかけた。そして、私より先に入り口に立ち、ドアノブに手を伸ばした。外へ出るのかと思いきや、ずっと待っている。


 先に出ろってこと?なんだか恥ずかしくて、頭をぺこっと下げて通らせてもらう。


 逃げるつもりだったのに、一緒に帰ることになってしまった。



***




「白川と話をつけてくれたのか?」


 エントランスの自動ドアが開いて一歩外に出たとき、先輩が切り出した。


「……はい。彼女の様子ではもうダメかと思ったんですけど、取り下げてくれたんですね」


 白川さんには廊下でばったり会ったタイミングでお礼を伝えたけれど、彼女はつっけんどんに『何のこと?』と言い、最後まで無関係を貫き通した。


「全部、芦尾のおかげだ。本当に……感謝している。だが俺はそれよりも……お前が信じてくれたことが、一番嬉しい」


 エリ先輩は、わずかに口角を上げた。 


「良かったです、辞めることにならなくて……エリ先輩は、第一営業所に必要不可欠な方ですから」


 所長に呼び出される前なら心底喜んでいたはずの彼の笑顔に胸がずきりと痛み、私は下を向きながら答える。


「そうだな。芦尾のことも、まだまだ俺が育てていきたいからな」


「……先輩」


 ポケットに手を入れて少し前を歩いている先輩は、私の顔が青ざめていることに気付かない。赤信号で立ち止まり、車の流れが一瞬途切れたそのとき、ゆっくりと口を開いた。


「告白を断った理由……話す約束だったな。本当は言うべきじゃないが、もう、言わせてくれ」


 私を見つめる先輩の顔が、月明かりでよく見えない。

 でも、優しい顔をしているのが分かり、どうしても、限界がきてしまった。



 今の私に、先輩の言葉を最後まで聞く資格はない。



 彼が次の言葉を言う前に、私は口を開いた。


「エリ先輩、すみません……本当に、ごめんなさい」


「お、おい、まだ何も言ってないぞ。まさか、付き……」


「今日の評価面談で所長から話がありました。私の、異動が、決定しました」


私は、一気に言った。


「……なんだと……」


 エリ先輩は目を大きく開き、眉間に皺を寄せた。 


「はい。関東のどこかの営業所になるみたいです」


「どうして、今……」


「それが、私……ここに来てすぐの頃、先輩のことを人事に相談してしまったというか。異動を希望したと捉えられていて、それが今になって通ったみたいで……。本当に、申し訳ありません……!!」


 頭を下げようとしたその瞬間、急に両肩を掴まれる。ぐっと力が入り、顔が近づいてくる。


「なぜだっ!なんのために俺は、あの録音を最後まで出さなかったと思ってるんだ…!」

 

 目の前で、先輩の顔がみるみる険しくなっていく。


「……先輩?」


「……くそっ」


 下を向き、歯を食いしばって悪態をつく。


「私が軽率なことをしたばっかりに。取り返しのつかないことをしてしまいました。私、私……」


「いや、違う。お前は悪くない!やっぱり俺だ。俺なんだ……!」


 先輩は目をつぶり、悔しそうに歯を食いしばる。


 私たちは沈黙したまま、帰路に着いた。



 もうすぐ、社員旅行がある。せっかくエリ先輩が無罪放免となったというのに、その空気が出発当日まで晴れることはなかった。






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