3話 理想の先輩
白くて殺風景な、ただの四角い部屋だけど。ここからきっと、いくつもの画期的なアイディアが生まれてきたのだろう。そんな大会議室に先輩は怖気もせずまっすぐ入っていき、私はその背中にくっつくように、おどおどと入室する。
今日は、営業部の社員が業績を報告する全体会議の日だ。他の営業所の面々とも顔を合わせる機会など滅多にない。そんな状況にすっかり緊張していたけれど、意外にも雰囲気は柔らかく、肩の力が少し抜けた。
始まる前の会議室には、まるで旧友が久しぶりに顔を合わせる同窓会のような空気が流れていた。普段は営業スマイルで張りつめているはずの彼らが、会議が始まるまでのわずかな時間、本物の笑顔で近況を語り合っている。
みんな、さすがのコミュニケーション能力だ。先輩が言っていた通り、ここからも学ぶことが多い。私も輪の中に入ったり入らなかったり、自分なりに居場所を探して立ち回るのに忙しくしていた。
それなのに、私の引率者の行動にはぎょっとした。エリ先輩は挨拶こそすれ、その後の会話を誰とも続けず、一目散に自分の席について資料を広げていた。交流や情報交換のために私が必死で愛想を振りまいているというのに。そしてこういう姿を目撃するのは、3回目だった。
「おっ、お疲れ、芦尾っち。また来ると思ってたよ、君んとこの親分は厳しいねぇ」
埼玉にある第三営業所の楠本さんが、憐れんだ顔で声をかけてくれた。年はエリ先輩と同じくらいに見えるけど、細身の彼とは対照的にガタイのいい、元気な体育会系の人だ。
「お疲れ様です!はは……でも、営業さんの日々の努力の成果を伺うのは事務にとっても身になるものですから」
「本当に勤勉だねぇ!泣けてくるわ。こんないい子、うちの営業所に欲しいくらいだよ。ほれ、買ってきたんだ」
楠本さんは、この近くにあったというおしゃれなコーヒーショップのドリンクを渡してくれた。
「いいんですか!ありがとうございます!こういうのいただくの初めて……!しかも、なんですかこれ!可愛いカップ」
「甘いので良かった?」
「もちろん!私ブラックほんとダメで」
なんて細やかな気配りなんだろう。楠本さんはこういうさりげないところから、顧客の心を掴んでいくのだろう。
「な?俺は凄いんだよ。でも初めて、って……エリちゃんは後輩にコーヒーひとつ奢ってやらないのか」
「えっ、エリちゃん……!」
私は思わず口元を手で覆った。
「そ、エリちゃん。獄谷って、イメージ通りすぎてつまらないもんな」
そう語る楠本さんは、イタズラっ子のような悪い顔をしている。
「分かります……!怖すぎて、苗字で呼べないんです」
「かわいそうに。うちんとこは事務の方が強くて、毎日怒られるんだわ。あんまりオフィスに戻らないから仕方ないのに、机が汚いんだとさ。ひどくない?ほんと鬼だよ」
「あはは、鬼って。エリ先輩と一緒です……ね……」
唇をとがらせる楠本さんについくすっと笑った途端、殺気と共に背中に強烈な視線を感じた。気のせいでありますようにという私の願いは届かず、そろそろと振り返ると思い切りこちらを睨みつけているエリ先輩と目が合った。命の危険を感じて、私は楠本さんにとっさに別の話題を振った。




