17話 決意
次の日、いつもより人の少ない土曜日の社内で、エリ先輩は出社した私を見て目を見開いた。
「お前今日は休みじゃなかったのか?」
「ええ、昨日は途中で帰ってしまったので仕事を進めておこうかなって。あの、これ。ありがとうございました」
先輩のハンカチを差し出しながら頭を下げると、彼は受け取ってすぐにポケットに突っ込んだ。
「……それなら、いくつか契約内容変更したから登録頼む」
そして、少しだけ視線を泳がせ、机の上に重ねて置いていた書類を数枚掴んでよこした。
「はい」
私が答えると、先輩はパソコンに向き直り、仕事を再開した。いくつもの作業画面を立ち上げながら、ぼそりとこぼす。
「……商談で何かあったら我慢するなよ。すぐ俺に言え」
「え、でも……契約の場では多少の我慢も」
昨日のお客さんのことかな。困惑してそう返すと、マウスを滑らせる先輩の手が止まった。私をぎろりと睨みつけ、凄む。
「舐めるなよ。お前に無理させなくても、俺は契約をとれる。それよりも、またあんな事がある方が迷惑だ」
「……」
先輩は眉をしかめて、またパソコンの画面に視線を移す。私が黙っていると、やがて資料をまとめ始めた。9時から始まる、関東ブロックの営業定例会だ。
「……俺は前の上司と同じにはならん」
そう言い残して立ち上がる。先輩はジャケットを着なおし、襟を整え、会議室の方へ歩き出した。
「……はい」
小さく返事をして、背中を見送る。私の頬は、いつの間にかゆるんでいた。
***
お昼休憩になり、私はキリのいいところで作業を止めた。土曜日は電話もほとんど鳴らないから、気が楽だ。定例会も、そろそろ終わる頃だろう。まだ先輩が戻ってこないオフィスで一人伸びをして、空になったマグカップを手に給湯室へ向かった。
エリ先輩は、私の前の上司と同じにはならないと言った。
あの小さなつぶやきに、なにか、決意のようなものを感じた。先輩が、変わろうとしてくれている。
誰もいない廊下の先にある、小さな憩いの空間。お湯を沸かしながら、緑茶パックの封を切る。
でも、私は初めから知っていた気がする。先輩はあの上司と同じなんかじゃ──
そのとき、背後から気だるげな声が聞こえてきた。




