11話 いつもの残業
「お先に失礼しま……あ、梨子ちゃん、まだかかりそう?何か手伝うことある?」
長い髪がふわりと揺れる。うちの営業所の女神とも言える、里中さんが声をかけてくれた。夕方なのに化粧も崩れていないし、淡いオレンジ色のブラウスをさらりと身にまとうベテラン事務。私がエリ先輩の営業に同行するときは、電話や書類対応の負担が彼女にかかるにも関わらず、私の成長のためだと優しく笑うキャリアウーマンだ。
「自分の分は終わってるんですけど、エリ先輩が……」
里中さんは彼の名を聞いただけで、ああ、と全てを察した。
「帰らせてもらえないのね……連絡はしたの?」
「しましたけど、あの人チャット無視するんですよ。私のこと都合よく扱ってくるんです!」
いつものように愚痴を吐く調子で拳を握りしめ、机をたたく素振りをして見せたけれど、ピンク色の紙パックがどうしても目に入る。
「あと3か月の辛抱ね。仕事の流れを掴んだら、同行も必要なくなるはず。ごめんね、どうにもできなくて。前に言ってみたこともあるんだけど、変わらないし。それなら新人ちゃんの方をフォローした方がいいかなって」
里中さんはエリ先輩の1年上だ。辞めていった人たちのことも見てきた上での判断なのだろう。
「そうなんですね…里中さんがいてよかった」
「だから、ね。もうひとふんばり。辞めないでくれると嬉しいな。あっ……噂をすれば。じゃあ、頑張りすぎずにね」
里中さんの視線の先を追うと、エリ先輩がドアから入ってくるところだった。里中さんは上品なエナメル素材のブランドバッグを肩にかけ、お先に、と去っていった。ほんのりと甘い香りを残して退社していく彼女と入れ替わるように、先輩が歩いてきた。
「おかえりなさい」
普通にしていても仏頂面なのに、さらに疲れてる顔をしていた先輩は、私の挨拶に頷きで反応して自分の椅子にどっかりと座った。
気付けばフロアの大半の部分は電気も消えていて、私たち第一営業所の区画だけが、町の美しい夜景に貢献していた。他の営業さんは17時前には戻ってきていて、すでに帰宅している。その努力ぶりが、所長でさえも彼の振る舞いを強くとがめられない原因になっている。もっとも、それに付き合わされる私もセットで評価していただきたいところなのだけど。
疲れている先輩にいきなり業務報告するのも気が引ける。かといって自分の仕事を進めるにも中途半端になってしまう。雑談を投げかけても返事がなかったことがある。こうやって顔色を伺うのが、一番きつい。
どうすればいいのか分からないまま適当に見積書を整理していると、彼の方からきっかけを作ってくれた。
「どうだった」
「あ……はいっ、確認終わりました。ここは電話したらすぐ支払うって言ってくれました。こっちは明日になるそうです。あとここは……」
午前中にチャットで一度報告したはずの内容をひとつひとつ説明していると、先輩はリストを見ながら言った。




