10話 いちごミルク
「報告書…………………良かったぞ」
………………え?
聞き間違いかと思って顔を上げるも、先輩はその言葉だけ残してすっと私の横を通り過ぎ、隣の自席に座った。それ以上話を続ける気はないようだ。鞄をデスクの下に置き、なにもなかったかのように、パソコンを立ち上げて両手の指をボキボキと鳴らす。
褒められた?その事実を理解するのに時間がかかって、立ち尽くしてしまった。昨日の「でかした」よりもずっと丁寧で、ちゃんとした評価。とっさの勢いではなく、日常業務の成果を認める、初めての言葉。
所長は全てを見渡せる席から、私の様子をちらちらと伺っている。いつの間にか出社していた他の所員たちも、気を遣って静かに着席していた。いつものように私が何か指摘されて、落ち込んでいるように見えたのだろう。
でも、周りの心配とは裏腹に、私は頬がゆるむのを抑えきれなかった。仏頂面でキーボードを叩くエリ先輩に、私も彼と同じくらいの小さな声をかける。
「……ありがとうございます」
先輩は、画面を見たままわずかに頷いた。
***
短い朝礼のあと、先輩はすぐに出発の準備をした。私は同行しない。当たり前のことなのに、自分の業務に集中できる日はホッとする。私が不在の時に頑張ってくれている、向かいの席の先輩事務員も私以上に安心した表情を浮かべた。
先輩は出かける直前に私の机に書類を置いて、指示を出した。
「ここからここ、経理に入金確認。なかったらすぐ相手先に連絡。あとこれは継続契約に変わったから、契約書発送。午前中にな。夜確認するから」
うう……結構多い。先輩も忙しいから仕方ないにしても、私だって今日は月末の仕事があるのだから、もう少し余裕を持った期限にして欲しい。しかも、夜ってことは私も当然のように残業が確定しているのだろう。
「はい。ええと、15社ですね………」
確認リストに目を落として優先順位を考えていると、その上に何かが置かれた。それを見て、えっ、と反射的に声が出る。慌ててエリ先輩を見るが、彼は素早く移動していて、もう入口のドアを閉めるところだった。
私の机にいちごミルクの紙パックを残して、エリ先輩は颯爽と外回りへ出発した。




