立ち止まる
「足るを知る」という言葉は、「足るを知る者は富む」という老子の言葉が元になっている。
自分の手元にあるもの、現状に満足して不満を持たず、際限なく何かを求めることを止め、過分に欲しがらない。
満足することを知れば、今あるものに感謝して豊かに生きることが出来る。
そんな意味を持っている。
最近ふとした時に浮かんだこの言葉が、私が思う幸せに一番近いのではないかと気が付いた。
欲しいものを挙げ始めたら切りがない。
庭の芝を簡単に整えられる芝刈り機、星や月を見るための天体望遠鏡、音質の良いヘッドフォン……
そういった今手元に無いものだけじゃなくて、古くなった家電を買い替えたいし、神棚周りの神具を簡易的なものからきちんとした物に揃え直したい。
気になっている美味しいものが沢山あるし、行ってみたい場所も沢山ある。
でも、立ち止まって自分の身の回りにあるものをきちんと見つめ直せば、足りないものは無いのだと気が付く。
日々食べるものがあり、寝る場所があり、安全で命を脅かされる状況にない生活。
例え今挙げた欲しい物が手に入らなかったとしても支障は無いし、無いからと言ってそれが不幸というのではない。
何か大きな不満があるかといえば、よくよく考えてみると無いものだし、本当に必要な物は手元に揃っている。
もし現状に対して不満や苦痛に思うことがあっても、物理的あるいは精神的に少しだけ距離を置けば心が軽くなる。
悩むことがあっても寝て忘れる、「なるようになる」を意識してきたから、元々ストレスを溜めにくいのもあるのかもしれないけれど、「無いもの」ではなく「有るもの」に目を向けることは一番のストレス回避になっている。
無い物ねだりを始めると、どうしたって不満は尽きない。
あれもこれも欲しくて、手に入らないことが不満になる。
そうした不満を溜め続けて自ら不幸になるのは、とても空しい。
だからこその「足るを知る」なのだろう。
ただ、何かを得ようとする欲求が活力になる場合もある。
現状に満足しないことが努力に繋がることもある。
そうした前向きな力に変えることは良いことに違いない。
それが行き過ぎた欲にならないように、「足るを知る」ことが幸せに生きるために必要だと思うのだ。
資本主義経済では、利益を追求するために物に付加価値を与え、購買意欲を刺激する方法がとられてきた。
つまり、欲しいと思わせることが大切な手段なのだ。
それに乗せられて過分に欲しがっていないかを、時折立ち止まって考えてみる。
それが自分にとって大切な時間になるのだろう。




