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あめつち  作者: きまぐれ猫


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時間

食べること、寝ること。

音楽を聴いたり、映画を見たり、旅行したり、時には何も考えずボーっとしたり。

何をするにしても、そこには時間の経過を伴う。

つまり、生きることは時間の経過そのもの。


どんなに楽しいことも、時間が止まっていては楽しく感じるための経験そのものが出来ないし、ずっとその中で過ごしたいと思っていても終わりの時間がやって来る。

逆に苦痛に感じることだって、その時間には必ず終わりがある。

終わりを迎えた後、楽しかったことは余韻に浸るなり次の楽しみを待つのも良いし、嫌なことは忘れれば良い。そう切り替えることができるだろう。


生きていることそのものにも、いずれは終わりの時が来る。

永遠の命なんて無いし、永遠に続く生なんて、想像するととても怖い。


でも、怖くない永遠もある。

それは今という一瞬。

その瞬間は変わりようがなくて、どこまでも今という時でしかないけれど、怖いと感じることの無い永遠。


ここで言う「今」とは、ある特定の瞬間のことだけれど、瞬間、と言っても時間の経過が伴わなければ「今」という時間になり得ない。

そう考えると、少なくとも数秒程度の幅がある。

今、と考えた時にはその瞬間は過去になっていて、でも、それを過去としてしまったら今という時間は無くなってしまう。

だから、「今」にはある瞬間の前後数秒が含まれている。


いずれにしても、過去が見方や解釈によって変わってしまう、あるいは未来が不確定であることに対して、今だけは永遠に不変なのではないか。

そして、今が連続して続く時間だけを見る、つまり、永遠に続く先の遥か遠くにある未来を想像することが無ければ、永遠という時間も怖いものではない、というのが何時だったか辿り着いた考えだった。


仏教の輪廻転生という考えは、きっと永遠の生、死後の永遠の無に対する恐怖に抗うために生まれた考えなのだろうと思っている。

例え死が訪れても、魂は無くならずに新しい命に生まれ変わる。

そう信じることは、死にゆく恐怖に対して救いになるだろうし、永遠に生きることも恐怖であるなら、そこに対しても同時に救いになる。

ある意味では死を受け入れているからこそ必要な信仰とも言えるのではないだろうか。


一方で不老不死を願う人々が歴史上あらゆる場所、様々な方法でそれを実現しようとしてきた。

それは現代でも変わらず続いていて、老化に抗うための医学的な研究が世界中でなされている。

不老不死が死から逃れようとする考えであるならば、その点で輪廻転生とは異なるものと言えるけれど、その根源にあるのはきっと、宗教に救いを求めた思いと同じだろう。


生きている以上、時間の経過は誰にも等しく訪れる。

その時間をどう過ごすかは人それぞれだ。

楽しくすることも、辛くすることも、自分の選択や心持ち、物事を見る角度や捉え方で変えることが出来る。

だとすれば、楽しく幸せに思えるだけの余裕を持つこと、もしくは持てること自体が、以前の私には無い、今の私だけが持つ一番の贅沢に違いない。


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