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あめつち  作者: きまぐれ猫


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食べる

他の生き物の命のサイクルは人間と比べると短いものが多い。

一生が短い上に、多くは他の生き物の糧となって生を終える。


野生動物のドキュメンタリー番組で捕食場面を目にする度に、犠牲になる動物を可哀想と思ったものだけれど、その犠牲が無ければ、代わりに糧を得られず捕食者が命を落とす。

食べる食べられるの関係においては、そこに善悪の区別などない。

地球上で形を変えながら命を繋いできた生き物たちの営みであり、大昔からの自然の摂理。

どちらの立場にしても食物連鎖の輪の中で命を繋いでいることを考えれば、食べられてそこで絶える命もただ無になるわけではなく、生を全うしたと言えるのではないかと思うようになった。


人間も、他の命に生かされている生き物に他ならない。

当たり前のようにお店に並んでいるから普段は忘れがちだけれど、私たちの食卓に上る肉も魚も野菜もそれぞれの場所で生きて来た命で、誰かが育てたり捕まえたり、食べやすいように処理してくれた命を頂いている。

だからと言って人間が他の生き物の糧になることは稀で、食物連鎖の輪の中にいる訳ではない。とても不思議な存在のように思う。


命に優劣はない。

どの命も、等しく一つの命だ。

けれど、人間は長い歴史を経て農耕を行い、家畜を育て、養殖をすることで安全で安定した食料を確保するようになった。

さらにどこでも同じように新鮮なものが手に入る技術と交通網が発達した。

手軽に食料が手に入るようになっただけでなく、余るほど作って廃棄が出るのも日常茶飯事の今、食料となった一つ一つの命に対する敬意が薄れている、そんな自分自身に気が付く。


食事の時に「いただきます」と言うのは、ごく当たり前の習慣になっている。

食事を用意してくれた人───調理してくれた人だけでなく、食卓に並ぶまでに関わってくれた全ての人に対する感謝。

そして何よりも、食材として頂く命に対する感謝。

そうしたこと全てを含めた食事できることへの感謝の気持ちを表すのが「いただきます」という言葉だ。


ただ、きちんとその意味を込めて言っているかを振り返ると、食事前のルーティンになって形骸化していることが多いように思う。

常に感謝の思いを持って食事できるならそれが一番良いに決まっている。

でも、そう出来ない時だってあるのが現実。

喧嘩をしてイライラしていたり、落ち込んでいたり、そんな時に感謝の気持ちを持とうと思っても難しいだろうし、食事と言っても忙しくて最低限の栄養補給しか出来ない場合もある。


確かにそういう言い訳ができる時もあるけれど、そんな状況や精神状態とは関係なく、言葉を疎かにしていることがあるのも現実だ。

意味を知っていることと、心を込めて言うことは全く別のこと。

いつも感謝を忘れずに、必要な時に感謝できる自分であることにも感謝しながら、きちんと「いただきます」と言える自分でありたい。

それが同じ命を頂く者として、心掛けていたいこと。


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