セミ
ヒグラシの鳴き声を耳にすると、夏の夕暮れが想起される。
それは私だけの感覚ではないだろう。
夏の暑い日、陽が落ちる頃に鳴き始めるヒグラシの声は、日中の暑さもここまでだと知らせる合図になって、体感と気分を少しだけ涼しくしてくれる。
逆にアブラゼミやニイニイゼミ、ミンミンゼミの声を聞くと、じんわり汗が滲んでくるような気分になる。
その感覚は、とても日本的なものなのかもしれない。
それがどこから来るのかといえば、ヒグラシが日本の固有種だということも理由の一つになるかもしれないけれど、それだけではない。
セミの声を「声」として認識していること。それは日本人の特性らしい。
だとすると、世界各地に生息しているセミに対して日本以外ではどう聞こえているのかが気になるけれど、海外ではセミの声が雑音として認識されているという。
それを知った時に感じたのは、当たり前の事が当たり前ではないという、いわゆるカルチャーショックだった。
夏にはセミ、秋にはスズムシやコオロギの鳴き声で季節を感じるものだ。そうした様々な物から季節を感じ取る今の感性は、長い時間を掛けて形作られてきたこの国の文化の中で培われたのだろう。
普段は意識していない日本特有の感性が自分にも根付いているのだと思うと感慨深い。
季節を感じ取る要素には様々なものがある。
その中でも、セミの鳴き声は夏を表す大きな要素の一つだろう。
子どもの頃、セミは翅を擦り合わせて音を立てていると聞いた記憶がある。
それが勘違いなのか、ただ間違いを教えられていただけなのか、今となっては分からないけれど、実際には発音器という器官で音を鳴らしているのだそうだ。その音をお腹の中で共鳴させることで、あれだけ大きな鳴き声を発している。
セミにとってはそれが命を繋ぐ行為なのだと思うと、ただの風物詩とは言えない気持ちになる。
そもそもセミの生涯は七年七日と表現されるくらい、土から出て成虫として生きられる期間が短いことで有名だ。
言葉の通り、成虫の時期は一週間ほどと言われていたけれど、高校生の調査で一か月程度生きていることが突き止められた、と数年前にニュースになったことを覚えている。
長ければ十年以上を幼虫のまま土の中で過ごすことを考えれば、一か月だって随分短いと思う。あの鳴き声は、短い生涯を懸命に生きていることの表れに他ならない。
そこに「もののあはれ」を感じるのも、きっと日本特有の情緒。
そうした全てを含めて、セミの声が聞こえることが日本の夏なのだと思う。




