共存共生
人間にとって当たり前の事実が、他の生物にとっては概念にすら無いということが多々ある。
例えば、「空気」の存在を人間なら当然の事実として認識している。これが動物になると、どれだけ上手に風を利用していても、気圧の変化を感じ取ることに長けていたとしても、そこに空気という概念があるわけではない。
同じように、鳥類にとってガラスの存在は認識できない物の一つ。
透過率の高いガラスでは、そこにガラスという物体があることを認識できないだけでなく、太陽の位置によっては反射で周囲の景色が映り込み、その先にも飛べるだけの空間があると誤って認識してしまう。
その結果、窓ガラスに当たって脳震とうを起こしたり、怪我を負ったり、最悪の場合は命を落とすことに繋がる。
いわゆる「バードストライク」は航空機に限った問題ではない。
窓ガラスに当たることもあれば、風力発電機でも起きている。
それはきっと、「ガラス」という存在や「回転する羽に巻き込まれたら怪我をする」という人間にとっては知っていて当然の概念が、動物には無いのだという想像が出来ていないから起きる問題なのだ。
風力発電機は温暖化という問題に対してはクリーンエネルギーだけれど、鳥類にとっては危険な機械だ。
地上からの人の目にはゆっくり回転しているように見えるブレードも、実際には先端の速度が時速200kmを超える。そこに巻き込まれる鳥が致命傷を負うのも当然の結果だろう。
太陽光発電というものは、パネルを置くためにある程度の敷地面積が必要になる。
例えば耕作放棄地であったり、建物の屋上だったり、空いたスペースを上手く利用するケースはある。
ただ、実際には山や雑木林の木々を切って大きな土地を確保している場合も多い。
それによって棲む場所を追われる生物がいることは、想像するまでも無い結果だ。
それに加えて、二酸化炭素を吸収してくれている木々を減らすという、それこそ本末転倒な事態を目にすると悲しい気持ちになる。
太陽光発電や風力発電といった技術を開発してきたのは、火力発電に頼らずに人間の生活水準を維持するため、というだけではないだろう。
化石燃料の使用を減らして温暖化に対策を打ち、地球の環境を守り、多様性を守り、他の生物との共生を維持するためでもあるはず。
でも、そのために森林を切り開いて野生動物が生きる環境を壊し、その人工物そのものによって奪われる命があるのなら、それは何のための技術なのだろう。
人間が考える地球環境に配慮した対策というのは、人間の概念が軸になっていて、本当の意味で他の生物や環境を主軸にすることは難しいのだと思う。
だとすれば、試行錯誤を繰り返していくしかない。
開発した技術で目に見える当初の目的を達成するだけでなく、他の生物や環境と共存共生できる物に改良していくのも、作り出した人間にしか出来ないことだし、課される責任なのではないか。
掲げる目標や目的が地球環境を守るためのものだとしても、今起こしている行動が本当にそこに適うものなのか、既成概念や固定観念に囚われていないかを考えていく必要がある。
それはとても難しいことで、自分の思考に根付いた既成概念に気が付く時というのは、大きな衝撃を伴うことが多い。
ガラスの存在に気が付く様子もなく、我が家の窓ガラスに飛び込んできたスズメの姿を見て、そこからバードストライクの意味を知った時の衝撃は、私にとって本当に大きなものだった。
今はバードセーバーで対策をしているが、それまではその必要性を知らなかったし、考えたことすら無かった。
でもきっと、それを当然のこととして知っている人がいて、バードセーバーという物が世に存在している。それもまた新しい発見だった。
私自身を含めて、多くの人が考えたことも無いだろう事実が世の中には沢山ある。
きっとそれに気が付いていて、解決するための行動や研究をしている人がいる。
それを想像すると、様々な視点を持った人がいること、多様性が重要だということを改めて考える。