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「昼間のことは……改めて謝ります。勝手に絵を描いて、すみませんでした。僕は人間を描くのが苦手で……いや、人間そのものが、あまり好きではないんです」
ほぅと、獣人はテーブルに両肘を付き、顔の前で手を組んでニヤニヤしながらエドの話を聞いている。
「人間の、表情を読み取るのが苦手で。だからなるべく表情じゃなく、例えば着ているもの、身に付けているもの、手元、足元――表情以外の部分から気持ちを察するようにしていました。けれど肖像画の仕事が舞い込んできて、すると逆に、表情から読み取るだとか、表情で表すだとか、そういうのが必要になって。ありのままを……描こうと、その方が何も考えずに済むと思って、その通り描いたのですが、見事に……失敗、したらしいんです」
「らしい?」
「はい。父が言うには、力強さが足りない、と。僕の絵は淡い色使いのものが多くて、しかも表情を読み取るのが苦手なわけですから、どうしても顔全体がぼやけてしまう。強い絵を……描かなければならなくて。だから、あちこちで野生動物を写生したり、人間の表情を観察しまくったりと……要するに、そうやって追い詰められていた時に、あなたの話を聞いたんです」
「で、ここまでやって来た」
「我慢が……出来ませんでした。獣人レックスと言えば、アルヒテレス中にその名を轟かせる最凶の獣人です。他国が自慢の獣人や亜人を引き連れてやって来ても、獣人レックスが一網打尽にしてしまうと、そういう話を聞いて育ちました。強さを求めるなら、強い絵を描く必要があるなら、最凶の獣人レックスの絵を描けばいいのじゃないかと、そう……思ったんです」
なるほどと頷きながら、獣人は再び椅子に背中を預け直した。
「で、どうだった、実物は。平時の獣人は犬よりも大人しいぞ。参考になったのか」
「それ、なんですけど。た、楽しくなって、当初の目的を忘れて、ひたすら描いちゃったというか。とても……尊いと思いました。あなたという、存在が」
「尊い? 私が?」
「と、尊い存在です。人間でも獣でもない、この世界に残された奇跡のような存在です。最初はあなたの恐ろしい面を描ければと、そんな下心で古城に来たのに、気が付いたら内面から溢れ出る哀愁に引き込まれていました。僕は……もっとあなたを描きたい。自分の悩みなんかもう、どうでも良くなるくらいに、僕はあなたに惹かれたんです」
気が付くとエドは前のめりになって、獣人レックスに思いの丈をぶつけていた。
初めてだった。誰かに悩みを打ち明けるのも、どうでもいい話を遮られることなく聞いてくれるのも。
食べるのもそっちのけで思いをぶちまけて、気が付くとボタボタと頬を涙が伝っている。張り詰めていたものがパンと弾けたみたいに、止めどなく涙が流れていく。出会ったばかりの獣人に何を訴えているのかと、エドは思いながらも、溢れる気持ちを抑えることが出来なかった。
「ひ、惹かれた? 私にか。この獣人レックスに惹かれる人間が居るのか。アハハハハッ! 本当か? 何てことだ!!」
獣人は腹を抱えて笑っている。聞いたことのないくらい大きな大きな笑い声。
エドは顔を真っ赤にして肩を竦めたが、決して、嫌な気持ちにはならなかった。
「良い気分だ。エド、好きにしろ。二日でも三日でも、好きなだけ居れば良い。幻滅しても知らんがな」
「え?」
「空いている部屋を好きに使え。古くて硬いベッドしかないが、片付ければそれなりに快適に過ごせるだろう。井戸水はある。飯は申し訳ないが自分で調達してくれ」
蝋燭と暖炉の火に照らされたレックスの顔は穏やかだった。
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
力を入れすぎてぐちゃぐちゃになったパンを、エドは千切って口に詰め込んだ。
*
カビ臭いベッドの上で一晩過ごし、朝方、ゴソゴソと動き回る何かの音で目を覚ます。立て付けの悪いガラス窓を開けると、まだ薄暗いのに獣人が動き出している。朝から草刈りに精を出しているらしく、鎌で刈った草が堆く盛られていた。
身支度を調えて庭まで出てきたエドに、獣人レックスは気が付いて「まだ寝ていてもいい時間だ」と言う。
「そういうわけにはいきません。いつもこんな時間から活動を?」
「私は獣だ。夜明け前には目が覚める」
昨晩はエドより遅く就寝したはずなのに、一体どれだけ眠りが浅いのだろう。
「庭の手入れ、あなたがしていたんですね。凄く、丁寧な仕事だ」
「誰とも交わらなければ、することが限られてくる。それに、草は頻繁に刈らないと直ぐに丈が伸びる」
ニッとエドに笑いかけて、レックスはまた草を刈り始めた。
エドは小脇に抱えたスケッチブックを捲って、白いページに獣人の姿を描き始めた。




