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辺境のバケモノと、ある絵描きの話  作者: 天崎 剣


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5

 頭上から降ってきた低い声に、エドはうわっと身体を揺らした。暖炉側に倒れそうになるのを、獣人の太い腕がサッと食い止める。


「気を付けろ」


 短い言葉で注意され、エドはコクコクと頷いた。


「好きにしろとは言ったが、本当に戻ってくるとは。物好きなヤツめ」


 オレンジ色の炎に照らされ、獣人の毛並みは昼間より更に柔らかく見えた。金色の目も柔らかな光を帯びている。

 エドは床に放り投げていた荷物を漁り、パンと新聞に包まれた揚げ肉の惣菜をグイッと両手で獣人に差し出した。


「あ、あの! たたたタダでお邪魔するわけには、いかないと、思って。くく食い物、くらいは、持参した方が良い……かな、と。てて手土産、です」


 獣人はしばらく、差し出された食料に目を落としていた。

 パチパチと弾ける火の粉の音が耳によく響く。

 ぷるぷると震える手が痺れを感じ始めた頃、獣人はフッと頬を綻ばせた。


「美味そうだな。いただこう。貴様、よく私が人間の食い物を食すと知っていたな」


 大きな手が伸びてきて、エドの両手からパンと肉が消える。ホッと胸を撫で下ろしながら、エドは「知っていたというか、多分そうだろうと」と答えた。


「古城から逃げてきたという女性に、偶々話を聞いて。庭先で食料を詰め込んだ籠をひっくり返したというのに、籠も食べ物も落ちてなかった。食料はあなたが回収したんでしょう? もし仮に、あなたが動物の肉しか食わないようなら、庭に散った食べ物は動物や野鳥が食い散らかしていたはずだと思ったんです」

「なるほど。私の姿を見て恐怖するでもなく絵を描き、そんなところまでしっかりと観察していたとはな。気に入った。貴様、名は」


 暖炉近くのテーブルまで行くと、獣人はドサッと大きな椅子に腰を下ろした。それからエドの持ってきたパンと肉をむしゃむしゃと頬張り始める。大きな口に、パンも肉もあっという間に吸い込まれて、それを何とも幸せそうな顔で咀嚼する様子は、普通のおじさんのようにも、大きな犬のようにも見える。


「え、エドです。エドワード・ハウエル。画家の息子で……修行中の身です」

「エドか。私がアルヒテレス最凶の獣人レックスと知っていて近付いてくるとは、なかなか面白い」

「面白い、ですか」

「鞄の中に自分の食い物も詰め込んできたのだろう。匂いがする。こっちで食え。茶でも淹れてやる」


 テーブルには立派な石の天板。獣人の座っていた椅子は特別に大きいが、他は普通の木の椅子だった。かなり年季の入った古い家具。夕食用に買ったパンと惣菜をバッグから引っ張り出して、エドは獣人に言われるまま椅子に腰を掛けた。


 改めて室内をグルッと見渡すと、暖炉のそばにも幾つか棚があり、壊れた柱時計、古い置物や本、食器などが並んでいる。高貴な方々が住んでいたのだと直ぐに想像出来るのは、家具という家具全てに細かい装飾が施されているからだ。椅子にしても食器棚にしても、職人の丁寧な仕事がうかがえる。

 獣人がテーブルの上に用意した燭台も、よく見ると妖精の可愛らしいモチーフが彫り込んであり、見ているだけでほっこりしてしまう。


「この城に……ひとり、ですか」


 差し出された紅茶を味わいながら尋ねると、獣人は向かい側の大きな椅子に腰掛けて、「まあな」と小さく答えた。


「辺境伯の使用人が定期的に物資を運んでくるが、城の中までは入らない。人間とはもう何年もまともに会話をしていなかった。私の目を見て話してくるのは、辺境伯アーノルド・ヴァン・ウェザレルぐらいなものだ」


 獣人は椅子に背を預けて、ふぅと大きく溜息を吐いた。


「だがそれも、対等な立場ではない。私はヤツの奴隷だ。この銀の首輪がある限り、自分の意思で外の世界には出られない」


 忌々しそうに太い首輪に手をやる獣人は、口惜しそうにグルグルと喉を鳴らしている。

 獣人の力でももぎ取れないくらいに太い……継ぎ目のない首輪。


「何かの魔法が掛けられている、とか……?」

「敷地を囲う城壁から一歩でも出たら、バァンと首が飛ぶ。アーノルドのヤツめ、私の前で同じ首輪をした猫の首を飛ばして見せた。完全な脅しだったが、逆らえば私も同じ目に遭う。――と、余計な話をしてしまったな。恐ろしい獣人が辺境伯の奴隷だなどと、随分幻滅したであろう」

「そ、そんなこと!」


 寂しげな目をしている。エドはまるで目の前の獣人が自分と同じではと、無理矢理箱庭に押し込まれ、自由を奪われている可哀想な存在なのではないかと思い始めていた。


「エド、貴様の話も聞かせろ。わざわざこんなところに出向くくらいだ。余程の気狂いか、相当な訳ありなのだろう?」


 ズイッとテーブルに半身を乗り出して、獣人はニヤリと口角を上げて見せた。

 エドは驚いて少し身体を後ろに引いたが、それが脅しではなく、彼なりの距離の縮め方なのだろうと気付いていたから、怯えたりはせずに力なく「そうです」と答えた。

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