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確かに、強そうには描かなかった。だって、男爵はひょろひょろとしていて頼りなさげで、とても強そうには。
「私の息子という肩書きがあってこそ得られた仕事だということを忘れるな。仕事と趣味の差をきちんと認識しろ。何のために絵を描く? 生きるためだ。画家として大成したければ、まず依頼をしっかりこなせ。売れない画家ほど惨めなものはない。良いか、エド!!」
何度も何度も、同じことを。
エドはギュッと手を握り締め、ギリギリと奥歯を噛んだ。
「で、ですから、僕なりに強い絵を……は、花とか木とか、そういうのばかり描くのではなくて……もっと、別のものを描くことにも慣れなければと思って……」
――宮廷画家、という職業がある。
王侯貴族の依頼に応じて様々な作品を制作する芸術家である。エドの父トーマスは、繊細な描き込みと力強い画風で宮廷画家としての地位を不動のものにしていた。
トーマスには三人の弟子と、エドを含めて四人の息子が居る。制作活動の傍ら、トーマスは弟子と息子達の指導に力を入れていた。
エドは父の特別だった。そうに違いないと思っていた。
家と宮廷画家ハウエルの名を継ぐのは自分だと、信じて疑わなかった。デッサンは誰にも負けなかった。スケッチも群を抜いていた。だが、色を塗った途端に評価は下がった。それはハウエルの名を継ぐ色ではないと父は弟子達の前でエドを叱りつけた。
植物画や静物画を得意としていたエドにとって、依頼の多くが肖像画であるという事実は残酷だった。明暗や表情の機微を描き分けることの大切さは十分すぎる程分かっているのに、納得のいく絵が描けない自分を責めに責めた。
重々しい、重厚な絵が描けない。
悔しくて悔しくて、エドは必死に色の塗り方を模索した。少しずつ、父の絵に似た色が出せるようにはなったものの、まだ足りない、もっと上手く描けと父に詰め寄られた。
どん詰まりの中、とある男爵に名指しされ、初めて描いた肖像画。父にも相談し、途中までは評価が高かったそれを、どうにか完成させて納品した。納品時、男爵は大層喜んで、流石はハウエル画伯のご子息だとエドを褒めに褒めた。つまり、面と向かってはうわべだけの賞賛を寄越し、父には本音を言ったのだ。よろしくない、満足していない、と。
「もうそろそろ一人前と思って、最後まで監修しなかった私も悪い。大いに反省した。まだお前は達していなかった。男爵は若い才能を信じると仰ってくださった。このままお前が絵を描き続ければいずれ名のある画家になる、その初期の肖像画だと思えば安いものだと。男爵のご厚意がなければ、お前の絵はまるっと別の誰かが描き直さなければならなかったことを肝に銘じろ」
父の怒りが、言葉の波になって襲ってくる。期待が大きい分、言葉もきつい。きついのは愛情の裏返しだと分かっていても、苦しくて苦しくて堪らない。
「いいかエド。当然様々なものを描く努力は必要だ。しかし、お前に足りないのはそんなものではない。観察力は十分だし、絵の才能も間違いなくある。私や他の弟子、弟達に比べ、圧倒的に足りぬものが何か、自分の力で見つけぬ限り、お前は前に進めない。逃げるな、エド。そんな時間があるなら、とっととカンバスに向かえ……!!」
父の怒声が廊下に響いた。
エドは逃げるようにして家を去った。
*
市場で何日分もの食料を買い込んで、エドはそのまま古城に向かった。
外は薄ら寒くなっていて、念のためにと羽織ってきた外套では心許ない程に、冷たい風が吹いてきていた。
薄暗い空、僅かに欠け始めた月明かりの下、真っ黒く浮かび上がる古城の輪郭は、とても冷たく沈んで見えた。
城門を抜け、先刻獣人が休んでいた城壁を伝って更に進むと、隙間だらけの木の扉の奥から光が漏れているのに気付く。エドは恐る恐る扉を開けて、中を覗き込んだ。
暖炉に火が付いている。
エドは足音を立てないようにそっと暖炉のそばまで行って荷物を降ろすと、冷たくなった手を火に翳した。暖かい。揺れる炎が何もかも掻き消してくれそうでホッとする。冷え切った身体の芯が温まるまで、エドは暖炉の前にしばらく屈み込んでいた。
考え無しに来てしまったこと、逃げていると言われたこと、男爵の本音、認めて貰えなかった肖像画。全て自分が原因だ。どうにかしたいと藻掻いていることを知られたくなくて、平気な振りをしている自分も嫌いだった。
パチパチと弾ける火の粉を見つめているうちに、エドはうとうとし始めていた。
疲れがどっと出たのだ。
町で見掛けた妙な女の証言を頼りに山へ登り、獣人の絵を描いた。古城までは遠くなかった。女が自分の足で逃げてこられる程の距離だ。けれど、誰にも知られることなくひっそりと存在するような、とても寂しげな場所だった。
獣人は噂に聞く程の恐ろしさはなく、寧ろ知的で優しくさえ思えてしまった。獣人の毛並みは美しかった。高い位置から照らされ、明暗がハッキリしていたことも一因だろうが、日の光が当たったあの、キラキラ光る金の目が印象的だった。
「本当の彼はきっと――」
「きっと、どうしたって?」




