表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境のバケモノと、ある絵描きの話  作者: 天崎 剣


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/11

2

 古城は、町から少し離れた山の中腹にあった。

 隣国へと続く山道から逸れ、道なき道を東に向かって歩いて行くと、かつての街道跡に出る。昔々この一帯を治めていた小国の城へと続く道だった。

 文字の消えかけた道標、朽ち果てた家々の煉瓦や木材を青々とした草木が覆い隠している。廃墟と化した町を傍目に、エドはズンズン道を進んだ。


 木々の間からチラリと見えた城は、所々に劣化し、蔦が絡み、苔は()していたけれど、古いながらもしっかりとその形を保っていた。

 女の話では、崩れかけた石造りの城門を潜り庭先まで行くと、城の辺りに獣人の姿が見えたのだという。


 スケッチブックのメモを確かめ、証言通りに庭に侵入したが、女が放り投げた食材は既にない。城壁の外に比べ、中の方は草が綺麗に刈ってあり、色とりどりの花が咲いている。

 城内には教会や兵舎、倉庫などの建物があったはずだが、崩れ落ちて見る影もなかった。辛うじて基礎部分や壁の一部が残っていて、それさえ緑の中に埋もれかけていた。

 奥に見える城の外壁にはびっしりと蔦が絡んでいる。扉の付近だけ不自然に蔦がないところを見ると、確かに何者かが出入りしていると推測出来るのだが。


 首を傾げながら城内を進むエドの視界に、突如大きな何かが映りこんだ。


 息を呑む。


 巨大な獣が城壁にもたれ掛かるようにして休んでいる。狼頭で毛むくじゃらで、人間の服を纏い、大きな靴を履いている。地面に足を放り投げ、自分の手をじっと見つめては空に目を向け、大きく息を吐いているように見えた。覇気はないが、明らかに人間とは異なる生き物――獣人レックスだと、エドは確信した。


「凄い……今まで見た何よりも」


 咄嗟に鞄を漁って筆入れを取り出すと、エドはスケッチブックを捲って新しいページに鉛筆を走らせた。座るのも荷物を降ろすのも忘れて、庭先に突っ立ち、無我夢中で獣人の姿をスケッチブックに写し取っていく。


 描かなければと、エドはそればかり考えていた。


 他の感情は全部どこかに消えた。

 ただ目の前にある景色が変わらぬうちに全部描き切らなければと必死だった。


 木漏れ日の下で涼む獣人の体毛は、長くしなやかに見えた。鋭い爪や牙は確かに強そうではあったが、睫毛は長く、よく見れば表情も柔らかい。陽射しを浴びてくっきりと明暗の付いた巨躯に、無理矢理着込んだような服の皺と、鈍く光る太い銀の首輪。そしてキラキラと光る目が何とも印象的で――歴史を感じさせる古い石壁と、壁に這う蔦の曲線が獣人の存在感を引き立てている。


 動物は色々と描いたことがあった。犬猫、牛や馬、羊も山羊もたくさん描いた。小鳥、鶏、烏や鳩、鷹や鷲も何度も描いた。けれど獣人は見るのも描くのも初めてだった。人でもない獣でもない生き物を、今、静止しているうちに描き切らなければ。


 取り憑かれたように鉛筆をガンガン動かし、風も陽射しも感じぬ、音も聞こえぬ状態にまで神経を尖らせる。風景画とは違うのだ。被写体が生物である限り、一瞬でしっかりと姿を捉え描き切らなければ、もう二度と同じ光景には出会えない。

 あとで色を塗りたいから、色もきっちりと記憶しておく必要がある。獣人の毛は一見真っ黒に見えるが、違う。濃い灰色に僅かに青色が混じっている。深い青。顔の部分や身体の内側は薄い灰色で、光に当たった面は白く見える。瞳の色は金に近い。黒い鼻は少し湿っているようだ。皺の入り方、影の落ち方も、出来る限り忠実に再現しなければ。


 息をするのも忘れるくらいに集中していたエドは、ふと顔を上げた時に被写体が消えていることに気付いてハッとした。

 終わった。スケッチの時間が終わってしまった。


 けれど今まだ頭の中に覚えている部分だけでも――そう、背景は動いていないのだから、草や蔦を描いておこう。もう少し、もう少しで全部描き切れそうだったのに。

 足音が近付いてきている。エドの手を止める可能性のあるそれが一体誰のものなのか、頭の片隅では理解していながら、けれど身体は理解するのを拒んでいた。


 まだ描ける。


 大きな影がどんどん近付いて、それでもまだギリギリまで、物理的に絵が描けなくなる寸前まで、少しでも描き続けなければ。鉛筆を握る手が汗で濡れていても、スケッチブックを押さえる左手が手汗で濡れて紙が(たわ)んできていても構わなかった。とにかく絵を、この、誰も描いたことのないだろう絵を、最後まで。


「何をしている」


 視界が暗くなり、上から太い声が降ってきても、エドは手を止めなかった。身体を傾けて、どうにか元の景色を見ようと試みた。


「何だこれは。絵を……描いているのか」


 黒い影は、エドの手を止めようとはしなかった。

 視界には入っているだろうに一切の物怖じもせず、ただひたすらに鉛筆を動かし続けるエドを見下ろして、彼はボソリと言い放った。


「これは、私か」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ