2 かけっこ
遠くから響いてくる、どん、どん、どん、という重低音で目が覚めた。
昨夜、二丁目のバーでママと三回乾杯をしたところまでは覚えている。
それ以上の記憶は、遡る前に頭痛と吐き気に遮られた。
何にせよ、我が帰巣本能いまだ健在、というところか。
玄関のドアから万年床までヘンデルとグレーテルのパンくずよろしく、ジャケット、パンツ、シャツ、靴下と脱ぎ捨てた順に服が落ちていた。
ワックスでごわごわの頭を掻きむしって、立ち上がる。
ふらふらしながらベランダに出ると、五月の日差しと乾いた空気に包まれた。二日酔いでさえなければ、きっと素晴らしくいい天気だと思ったに違いない。
隅っこに置かれた灰皿を足で引き寄せ、煙草に火をつける。
白煙を吐き出しながら見慣れた住宅街を見るでもなく見ているうちに、さっきから聞こえている重低音の正体が分かった。
その音とともに甲高い歓声や途切れ途切れのアナウンスが聞こえてきたからだ。
向こうにちらりと見える校舎。今日はあの小学校で運動会をやっているのだ。
運動会の音というのは不思議だ。
多分、日本人なら誰でもそれを聞けば、何かしらの感情が呼び起こされるはずだ。
それだけ小学生にとって、運動会とは特別な一日だったのだろう。
かけっこはいつでも一番だった。
一位でゴールテープを切って、一位の旗の前に座ること。
それが毎年当たり前のように続いて、そうしてそのまま大人になるんだと思っていた。
あのゴールテープの先は、いったいどこに通じていたんだろうな。
部屋の中から、別の重低音が響いている。
布団の横に転がったスマホのバイブレーションだ。
メールじゃ捕まらないから、痺れを切らして電話をしてきたのだろう。
そのまま充電が切れちまえばいいのに。
煙草を灰皿で圧し潰すと、俺は運動会の音に背を向けた。
***
人生の勝者と敗者はかけっこの順位のようには決まらなかった