都落ち
その子と出会ったのは先斗町の居酒屋だった。
鼻筋が通った顔に緑色のインナーカラーが入ったショートボブ、笑うと細くなった目がとても可愛らしい子だった。
──もう5年も住んでいたからという理由で慣れ住んだ場所から引っ越した。
人の夢と書いて儚いとはよく言ったもんだ。
カレー屋さんをやるのが夢であったが現実の壁は高く、挫折をしてしまった。
夢を持って飛び出して4ヶ月、気がつけば期待で膨らんでいた風船もしぼみ、代行タクシーのアルバイトや日払いの仕事を受けて、家賃や生活するためのお金を稼いでいた。
収入のほとんどは家賃や水道光熱費に消えていったが、引っ越し先は海が近かったこともあり、心持ちはそんなに悪くなかったように思う。
蝉が鳴いている昼間は暑いので夕方になるとB級映画に出てくるゾンビのように家をのそのそと這い出し、近くの防波堤で釣りに行った。
そう。何を隠そうやることがないからだ。
釣れない日も多かったけれど、夕日が海に反射してキラキラする様がとても綺麗だった。
生きてるだけでしあわせじゃん、そうそう。追い求めていたのはこれなんだよと妙に納得しては、多分出家して間もないお坊さんも変に達観したところがあってこんな感じだったのか、そうか、僕も真理に近づいたのだなと独りごちていた。
本物のお坊さんがいたらしばき倒されるであろう妄想を、スキンヘッドの温水さんに似た優しい坊主にしばき倒されるのもそんなに悪くないんじゃないかとMっ気が心の奥でチリチリ燃えたのを今でも鮮明に覚えている。
何も釣れずに日が暮れると少し悲しかったが、その日の釣りはおしまいにして家で仕切り直しをした後に小銭を握りしめて近所にあるスーパーの閉店間際を狙った。
そこは夢の国のようで、いわば僕の中のディズニーランドであった。
22時近くになると自転車を漕ぎ、スーパーをハシゴして宝探しのように半額の商品を探し歩いた。
気分はもうインディジョーンズさながらの心持ちで脳内で勝手にタイトルをつけて『失われたチキン(鶏もも)』だの『クリスタル刺身の王国』だのくだらぬことを考えては品物を物色した。
当然、トレジャーハンターは僕だけではなく、若いカップルや作業着姿のおじさんがちらほらいて、何度か見かけたことのある人に恥ずかしさを覚えながらもお目当てのものが見つかると、インディーのテーマソングを鼻歌で歌いながら家路についた。
それでも現実は厳しいもので好きなことを好きなように、いつまでもぶらぶらとしているわけにもいかず、何年かぶりにハローワークに通った。
35過ぎのおっさんが受付の人に『こ、高時給に釣られて…へへへ』なんてびっくりするぐらい気持ち悪い言葉を吐いていたのは中二以来の黒歴史だと自分でも思う。
お姉さんから頂いた求人用紙を眺めては仕事を頂くのはこんなにも難しいものだな、もし面接まで進んだら『御社に入ったら揚げ物で使い古した味のあるサラダ油になりたいです』と破れたプリントをセロテープで貼り合わせるような陳腐な回答をしようと呑気に考えながら毎日を過ごしていた。
そんな暑さにやられて浮ついた心を持ちつつ、夏が終わる頃にはありがたいことに観光業の仕事を貰うことができた。
いざ正社員の仕事が決まると、季節の変わり目からなのか、本格的に始まる前に帰省をしたいと会社に頼み出て何日間か休みをもらった。
電車やバス、飛行機を乗り継ぎ子どもの頃から30年住んだ愛知へと向かう。
時間を後ろ向きに戻したくて時間は進んでいるのに逆に行こうとする気持ちを抑えられなかった。そうだ、これは僕の、短い都落ちの物語だ。