35.ヤシマの月
人類が今後も繁栄し続けて、やがて宇宙に広く散らばるときに、
やっぱり価値観の近い者同士で協力し合うだろうな、とは思うんです。
数千年程度で人類全体が均質化するとも思えませんし、
宇宙へ散らばれば、その広さから更に集団毎にローカライズしていくと思うし。
でも未来は明るいと思ってて、ディストピア世界を書きたいとはあまり思わないんですよね。
ヤシマの迎賓館は複数あって、そのうちメルファリア一行が滞在しているのは山間の湖畔に建つ落ち着いた色合いの木造建築だった。この地方の季節は秋で、色づく紅葉に囲まれて寛ぐ露天風呂も備わり、遠方には白銀を頂く山々も眺められる。
滞在しているあいだは毎日、メルファリアはリサと共にヤシマの特徴的な文化のひとつという露天風呂を堪能していた。レオンも到着してからは帯同していて、警護役としての務めは果たすが、当然風呂は別々だ。
そして今日も貸切状態の大浴場にメルファリアとリサは二人でやってきて、夜の外気はもう随分と肌寒いので、まずは湯に浸かろうとしたところで、あとからアリスが浴場に入ってきた。
「まあ。アリスさんも温泉を楽しむのですね」
アリスは手拭いを使って髪をまとめ上げ、体を隠すものは何も持たずに二人に近づいた。
「レオンと共に風呂に入ろうとしたのですが」
「え?」
「お背中を流しましょう、と提案しましたが拒否されまして、しかたなく男湯を断念した次第です」
「し、しかたなく……」
メルファリアが鼻白む。
「差し支えなければ、メルファリア様のお背中を流しましょう」
「それは私の特権、いえ、お役目ですのでおかまいなく……」
メルファリアではなくリサがあえなく断る。
が、ここでアリスはリサに対して魅力的な提案を投げかけた。
「私は背中を流すのも体を洗うのも、様々な方面のプロの技を体現できます。せっかくの機会ですし、ご一緒に流して差し上げるというのはどうでしょうか」
「一緒に……、プロの技を……、様々な方面の……、そ、それは素敵な提案かもしれません。そうしましょう」
リサはあっさり切り替えて、くるりとメルファリアに向き直った。
「さあ姫様、こちらへ、さあ、さあ」
「え? リサ、ちょっと、目が怖いのだけれど……」
「大丈夫ですよ~、いたくないですよ~」
二人に腕と腰をホールドされて、メルファリアはシャワー設備の前へと連れていかれ、柔らかなマットの上でしばらくの間二人にされるがままになった。メルファリアはほとんど目を閉じて水面に漂うかのような浮遊感に没入し、そして、爽やかに”整った”。
「さ、髪をまとめたら露天風呂へと参りましょう」
三人は一転さざめきながら野趣あふれる岩風呂へと繰り出し、並んで湯に浸かった。
「メルファリア様、如何でしたか?」
「素晴らしい体験でした。またいずれ、お願いしようかしら」
「はい。また三人で」
と、リサまで上機嫌になり、くびれが、とか、爪の形が、髪の緩やかなウェーブが、とか、触れ合った部位をいちいち褒めるので、メルファリアは温泉の効能以上にのぼせて頬を染め上げた。
「姫様のお肌はまさに白雪の如くと申しましょうか」
「湯に濡れたさまは輝く真珠のよう。染まる頬は桜のように……」
「も、もうやめましょう。恥ずかしいです」
ちょうどその時、レオンは岩と苔の築山を隔てた男湯で、肩まで湯につかってのぼせたのか、顔を真っ赤にして月を見上げていた。VIP専用のこのエリアには厳重な監視・警備体制が幾重にも敷かれているが、隣の女湯の声はまる聞こえだった。
「うーん。聞き耳を立てるつもりじゃないけど、他に誰もいないから良く聞こえる……。アリスが背中を流そうというのを断って正解だったかな」
露天風呂とは、なんと甘露な施設だろう。実現可否のまだはっきりしないコーヒー農園よりも先に実現するよう、レオンの頭の中では早くも優先順位が入れ替わった。
「南洋だけじゃなくて、スパリゾートの開発も急ぎたいね……」
レオンは両手で湯を掬って顔の汗を流し、のぼせる前にと露天の湯舟から静かにあがった。
§
今夜は風も少なく、穏やかな湖の水面には雲の欠片と共に明るい月がゆらゆらと浮いている。湖畔の迎賓館からは、そんな湖と共に雲の少ない星空が良く見えた。
風呂上がりのクールダウンに、メルファリアとリサが並んでバルコニーから夜空を見上げていると、そこへ同じく風呂から出てきたレオンがアリスを伴って近づいて、同じように手を置き、夜空を見上げながら声を掛けた。
「今夜は、月がきれいですね」
なぜかリサがびくりとした。単なる挨拶に対するには過剰な反応だった。
メルファリアは声を掛けてきたレオンをちらりと見て、また視線を夜空に戻す。
「ええ、そうね。……レオンは、知っていますか? ヤシマの月は、いつ見ても同じ姿なのだそうですよ」
「はい。自転と同期しているんですよね」
「でもそれは、ヤシマの高度な技術のなせる業なのだそうです。この季節が魅力的なのも、ワビサビを楽しむのにも、厳然たるテクノロジーの裏打ちがあればこそ、なのですね……」
宇宙船の航海士であるレオンは、その件については恐らくメルファリアよりも詳しく承知している。もともとヤシマの外側にあった第四惑星を、ちょうど良い大きさだからと軌道を人為的に修正して、惑星ヤシマの重力に捕獲させたのが今見えている「月」なのだ。
星系の基本的なありようまで変えるその事業には、およそ三百年ほどの年月をかけていて、その際に、もともとヤシマを公転していた小さな月は、資源としてすべて消費されてしまっている。
そして、新しい月はもっとも見栄えの良い方向をヤシマに向けるよう、地殻をずいぶん刳り抜いて重心も変えさせた。約三十日周期で満ち欠けするよう、常に微調整を行っているそうだ。
慈悲もないが、これだって立派にテラフォーミングの一種だろう。それに比べれば、惑星ノアはずいぶんと恵まれているものだと思う。
「裏側は見せられないわね」
などと、メルファリアは意味深に小さなため息をついて、話題を変えた。
「そういえば。レオンは、オサケはご存じ?」
「サケ……、ヤシマ産のライスワインですか? 知識としては知っていますけど」
サケ、もしくはオサケというのは、地球産またはヤシマ産でなくては名乗れないことになっている。文化立国を標榜するヤシマの有名な特産品の一つで、他国ではなかなか味わう機会がない。
「わたくしが先日頂いたダイギンジョーというオサケは、無色透明なのに味も香りも深く芳醇で、驚きました」
「メルファさん、いける口ですか? 俺もご一緒したいです」
この時まだレオンにもメルファリアにも、同盟とランツフォートとの間に有意義な話し合いがもたれたことは伝わっていない。それでも二人ともに戦争が回避されたことを確信していて、話題は次第に惑星ノアの将来像へと移っていった。
あと幾日かヤシマで過ごしたのち、メルファリアたちは自分たちの星へと帰ることになる。その道中では、ヤシマとの関係性を今後どう発展させるかが、重要なテーマとして話し合われることになるだろう。
楽しそうに語り合う二人の横でリサは、ヤシマの文学を詳しく紹介するのは止めておこう、と心に決めた。
二人を挟んで反対側にいたアリスは、しみじみと、
「月が、きれいですね」
と復唱して月に微笑んだ。
地球的に言うと十六夜の月は、僅かに欠けて煌々と夜空を照らしていた。
子供の頃の自分にとって、月は身近でそして不思議な存在でした。
成長につれて不思議ではなくなっていくんですけど、その先へ興味は広がっていきましたね。
ってことで、次は学園物で決闘でもやり
ません。