34.白雪
ハッブル宇宙望遠鏡の高度を押し上げて、運用を延長する計画があるそうです。
す ば ら し い !!
ただひたすらにその実行と成功を祈ります。
クラウドファンディングなら私も(わずかではありましょうが)協力したいと思いますね。
アシハラ星系第三惑星ヤシマには、惑星の大きさに比してずいぶんと大きな衛星がある。地球に対する月に迫るほどの大きさのそれは、やはりこの惑星でも住人からは月と呼ばれていた。
ラーグリフを待機させ、プロミオンがその月を掠めるように惑星ヤシマへと近づくと、月にはその地表を覆い尽くすほどに人工構造物が張り付いて、盛んに経済活動が営まれているのが伺えた。
「ずいぶんと、あの衛星は開発されているな」
「あれがヤシマの月です。ヤシマ防衛の要でもあるのだそうですよ」
眺めてみるとたしかに、張り付いている人口構造物は商業施設ではなくて軍事基地や防衛装備のようだ。
「昔の戦争では、可住惑星そのものを攻撃しない代わりに、月を破壊しようとした事もあったらしいからな」
可住環境の要でもある月を狙うだなんて、もってのほかだと思う。
「こちらを観察する目が幾つもありますね。窓際でポーズでも取って差し上げたらいかがですか?」
「嫌だよ。おまえがやれ」
つい口走ったら、アリスはしめた、という顔をした。
「仕方ありませんね、ご命令とあらば。では着替えてきますので、間に合うように減速しますね」
おいおい。
いったいどんな姿を見せようというのか。そしてどんなポーズを?
「やっぱだめ。速度そのまま、むしろさっさと到着したいから加速して」
「えー」
「えーじゃない」
アリスはずいぶんとヤシマの文化をリスペクトしていて、いつも以上にかの星を訪問するのを楽しみにしている。これはMAYAの好奇心だけではなくて、アリスの人格の嗜好なのだという。それはまあいいんだけど、悪ノリはやめて欲しい。
§
幸いなことにレオンの入国審査は一瞬で、型通りの検疫の後にアリス共々スムーズにメルファリアとの再会を果たすことが出来た。レオンは久しぶりに儀礼服に身を包み、騎士の剣を腰に提げてプロミオンから降りてみると、出迎えたメルファリアは妙にカラフルな柄の珍しい装いに身を包んでいた。
袖が床にまで届きそう。
「ワフクですね、メルファさん。……素敵です、何を着ても」
「レオン、いけませんよ。メルファリア様の装いはヤシマの伝統と先進技術の結晶であるキモノ、そしてより正確にフリソデと言ってください」
レオンが立ち止まって見惚れてしまうその隣で、アリスが得意げに訂正してみせた。
「はいはい」
生返事をするレオンは、金髪を結い上げたメルファリアのはにかむような笑顔に釘付けだ。
「二人とも、無事で何よりです。そしてご苦労様でした」
長旅明けのレオンを慮って儀礼的なものは行われず、アリスと共に二人は早々にメルファリア全権大使の居室に落ち着いた。白木の柱と、白い塗り壁と、木枠に貼られた白い紙。床とソファは赤ワインのように深い紅色で、なんとなくアストレイアの内装に雰囲気が似ているな、とレオンは思いながら室内を見回した。
シンプルで落ち着いた内装は、四方のワシとかいう手漉きの紙を通した淡い間接照明に照らされて陰影を最小化しているようだった。
「メルファさん。ローレンス様はたいそう喜ばれて、”よくやった”と伝えてくれ、と直に頼まれてきましたよ」
「ラリー兄様が。そうですか。お役に立てて、本当によかった」
そう言ってから、メルファリアは真顔に戻ってレオンに問いかけた。
「ところでレオンは、ラリー兄様と普通にお話が出来るようになったのですか?」
それともまだ苦手にしていますか? と問いかけられたわけだ。
「そういえば、緊張せずに話せるようになりましたね……って、気付いていましたか」
「ええ。レオンが必要以上に恐縮している様子でしたから、ラリー兄様にはなるべく優しく話しかけるよう、お願いしておきました」
それこそ恐縮です。
そんな背景があったから、面と向かって話す機会を設けてくださったのかもしれない。
「……」
そして、その時自分が言い放った言葉も思いだして口ごもった。
まさかあれをメルファさんに見せることはないと思いたいが……。
「ラリー兄様はああいった立場になられたのに、物言いが昔から変わらないのよ。それでは周りは圧されるばかりで、有用な意見も上がってきませんよ、と申し上げたのです」
おお。メルファさんは素晴らしい仕事をしましたね。
「ラリー兄様ったら神妙な顔をして、わかった、これからは気を付けよう、ですって。どうなるかと思いましたが、どうやら、良い方へ向かっているようですね」
ずいぶん楽しそうに話すのは、使命を果たせたから、というだけではないようだ。
レオンから報告と共に言付けが伝えられると、メルファリアからもこれ迄のヤシマでの活動のあらましが伝えられた。
キリガノ回廊を抜けた先で予定外に早く仲裁の依頼を済ませてしまったメルファリアは、それから先惑星ヤシマに到着してからも、外遊を楽しんでいたかというと、そうでもない。
まずはキリガノ回廊と三重連星の観光資源化に、ランツフォートが積極的に参画することで話をまとめた。グロリアステラに代表される豪華客船の設計・建造と運用に至るまでの様々なノウハウを提供することとし、惑星ノアへの定期航路を検討することでも合意した。
その際には、惑星ノア上にヤシマが比較的自由に使用できる管轄区域を設けることも決められた。破格の条件提示だが、それも含めた話が出来るところがメルファリアの立場の強いところだ。
「ヤシマの観光客船第一号は設計の最終段階なのですが、なんと、その船の命名を任されたのですよ」
「それは羨ましいですね」
これにはレオンよりも先にアリスが食いついた。どんな名をつけるのか、気にはなる。ヤシマ側も、ランツフォートをというか、メルファリアを尊重してくれているという事だろう。
「そこで、ヤシマを訪れてから印象に残ったことをいろいろと思い出して、ひとつ案を考えました」
「ヤシマにちなんだ名前ってことですか。ぜひお聞かせください」
もう知っているのだろう、隣でリサが微笑んでいる。
「『シラユキ』です。ここよりずっと北にある山地で見た、雪景色の美しさに魅かれました。レオンは、どう思いますか?」
ホワイトスノー、というよりスノーホワイトですね。たとえどんな名前だろうとレオンは大賛成するんだけれども。
「素敵な名前じゃないですか。メルファさんに命名してもらえたことを、みんなが喜んでくれると思いますよ」
「まあ。みんなが喜んでくれる……そういわれるのは嬉しいですね」
このとき、ヤシマのエグゼクティブクルーザーはSHIRAYUKIと命名されることが決まった。
「それから、これはレオンにはあまり話していませんでしたが、惑星ノアに、リゾートのほかにもう一つ、世界中から人を呼び込むものを考えていたのです」
「なんでしょう? 世界中からといっても、誰でも良いというわけじゃあ無いんですよね?」
「ええ。……実は、ヤシマと共同で惑星ノアに大学を設立することも基本合意にこぎつけました。なんといっても惑星ノアには、自然科学の博士号を持つ方が沢山いらっしゃるのですから」
「ははあ、なるほど」
言われてみれば、実験惑星に学術機関は相性がよさそうだ。ランツフォートの財力をもってすれば、世界中から優秀な学生を集めることが出来るだろう。
それに……、メルファリアはそこまで考えていないと思うが、恐らく集うのは資産家や有力者の子女たちとなるだろうから、ある意味人質としても大変有用だ。惑星ノアの安全保障上にもプラスとなるのは間違いない。
教育機関については、もともとノアのテラフォームに関する知見を人類全体のために役立てようと考えていたこともあり、広く人類全体から若い才能を集めるためには国際的な共同運営という形が適していると考えた。そういった意向を伝えたところ、ヤシマ側から賛意を得て具体的な動きとなったのだった。
メルファリアの構想に乗るとなるとそれなりに費用も嵩むだろうに、ヤシマは案外乗り気のようで、ランツフォートとの二者合弁での運営枠組みまで話し合いは進んだのだという。
「国庫に余裕が出たところで、それを未来への、とりわけ次世代育成への投資に回そうというのは誠に賢明です。ね?」
「ええ。その通りです」
国庫の余裕を、それとなく指摘してあげたんでしょうかね。
「ところでメルファリア様、自由浮遊惑星で別行動となった後、レオンがどんな活躍をしたか、お聞きになりませんか?」
アリスは聞くばかりではなくて、自分たちの事も話したいらしい。そして俺をダシに使うな。
「いいんだよ、戦いの話なんて、結果だけで十分さ」
カメウラ沖の会戦では見ていただけだし。
レオンはむしろ、楽しそうに話すメルファリアをずっと見ていたい。
それにしても。
「メルファさん、ちょっと仕事しすぎじゃないですか?」
いつになく真面目な顔でレオンが言うと、メルファリアは意表を突かれたように目を瞬かせた。
「私も騎士レオンに同意します。姫様はここのところお仕事ばかりです。せっかくヤシマに来たからには、お連れしたい処や、お見せしたい物がたくさんあるというのに」
リサが珍しくレオンに同調した。お仕事以外を共に楽しみたいのだろう。
「どうかしら。初めて出会う方々のお顔を覚えたりするのは確かに大変なのですけど、でも、ちっとも苦じゃないの。むしろ、毎日が充実してとっても楽しいの」
メルファリアは満面の笑みで皆を見返した。
「楽しいのがいちばんです」
レオンが守りたいなと思うものは、まさにそれです。
子供の頃は、月がずっと同じ面を向いているなんて不思議で仕方ない、なんて思ったものです。
裏側には何か隠されているのか? なーんて、勝手にワクワクしてましたね。