28.暗く神秘的な(2)
ダークマターの正体はいつ頃解明されるのでしょうね。
それとも、三次元の存在である我々には、いつまで経っても理解できないものなのか。
JWSTが手掛かりを掴んでくれるのを、期待したいところです。
ひと通りの説明を終え、小休止がてらレオンがとっておきの豆から珈琲を淹れると、アリスは手作りスイーツをパントリーから取り出した。豆は地球産のモカ、スイーツはビターな味わいのザッハトルテとポップな色合いのマカロンを組み合わせて白磁の皿に乗せた。
「どうぞ、御賞味下さい」
レオンが自分で淹れたことを告げると、ローレンスがほお、と感心した様子の隣で、ロイド副官は黒い液体の入ったカップをしばらく睨みつけた。毒は入っていませんよ、とレオンは余計なことを口走りそうになったが、ローレンスは早速ひと口含んでうむ、と頷いた。
「貴様が喫茶店を開くことがあったら俺にも教えてくれ。できれば近いところがいいがな」
「もったいないお言葉です~」
芸は身を助けるとはこの事だ。おそらく今回は、とっておきの豆を選んだのが功奏したのだろうけど。
ローレンスのにこやかな表情をちらりと見て、ロイド副官はコーヒーカップを両手に持った。目を閉じてまずは香りを感じ、そのまま口に含む。数拍後に目を開けると、またカップを睨みつける。レオンはつい、その挙動を目で追ってしまった。
「珈琲は苦手でしたか……?」
「いえ。そのようなことは」
それ以上しゃべらず、ロイド副官はカップを置き、マカロンに手を伸ばした。口に含んでもぐもぐと咀嚼すると、やがてこめかみがぴくぴくと痙攣した。そしてまた珈琲を一口。それでもまだロイド副官の表情はこわばったままだった。
お気に召しませんでしたか、とアリスに聞いてもらいたいところだが、彼女は素知らぬ顔で黙している。その間ローレンスはビターなチョコケーキをさっさと平らげて、珈琲のお替りをレオンに求めてきた。
「少しお待ちくださいね」
と言ってレオンがギャレーに小走りで向かうと、背後から「慌てずともよいぞー」と温かいお言葉を頂いた。
アストレイアのデニス船長からも報告書が提出されていて、ローレンスはそれらにも目を通しつつ、口数の少ない副官とも幾つかのやり取りを行う。最新の連絡が端末上に表示され、副官が一読した後その文面をそのままローレンスに示した。それを覗き込んだローレンスの顔が険しくなる。
「なんだと! ふざけているのか?」
「……」
レオンがお替りをサーバーに入れてギャレーから戻ってくると、抑え気味の怒声が聞こえてきた。
「どうしました?」
何食わぬ顔を繕って、とりあえず珈琲のお替りを注ぐ。アリスは、別な色のマカロンを幾つか盛り付けた。ザッハトルテのストックは、もう無かったのだ。
「おい、お前たちを待ち伏せした奴らまで案内しろ」
「え、でも、ローレンス様がここから離れて良いのですか?」
レオンは共感を得ようとアリスに向いた。ロイド副官に伺うのはためらわれたからだ。
「同盟に、メルファリアを妨害したのはビョンデムの艦隊ではないのかと質したら、すぐに回答が返ってきてな。奴ら、そんなものは知らない等と、しらを切りやがった」
同盟軍連合艦隊の司令部との間には、国際郵便機構の不定期船二隻が随時往復して通信のやり取りを行っている。お互い内心では戦いたくないので、第三者的機関を介しての連絡のやり取りを、双方の合意のもとに実施していた。これはグラハムがお膳立てをして、無用な戦闘を避けるためにと同盟に了承させていたものだ。ただ、だからといって、友好的な応対を期待できるというわけではない。
「あらら。証拠もあるのに」
なめられてますね。
「だからな。知らぬというのであれば、俺がこの手で叩き潰しても同盟との戦争とは言わん。むしろ航路の安全のため、であろう。同盟の奴らはどうせあそこから動かぬだろうしな。いずれにせよ、メルファリアに害を為そうという輩を排除するのに、いちいち許可は取らん。そこは兄も了承済みだ。貴様も止めるなよ?」
ローレンス兄様だけでなく、グラハム兄様も、こと妹君が絡むと沸点がやけに低くなる。レオンも偉そうなことは言えないが。
「止めません。止められませんし、むしろ協力します」
ローレンスが口の端を上げて凄むと、レオンが笑顔で応えた。
「ようし、では彼奴等の居場所を探ろう」
「それがですね、自由浮遊惑星カメウラの近傍にまだうろうろしていると思われるのです」
アリスが横合いから口をはさむ。
カメウラからは観測結果が断続的にラーグリフに届いている。閑散とした宙域とはいっても、日に数隻程度は接近或いは通過する船がいるのだろう。今得ているのは最新の情報ではないが、カメウラから順次送られてくる観測結果を分析すると、ビョンデム艦艇のものからと推定できる受発信が継続して得られている。
おそらくは、カメウラ近傍宙域で消息を絶ったことになっている駆逐艦タルスィーとアッセルの二隻を、捜索しているのではないか。あの二隻はカメウラからある程度離れてからでないと、救難信号を発することも出来ないように仕掛けたのだから、応答も出来ずに漂流するばかりの二隻を見つけ出すのは相当に困難だ。
それに、ビョンデム艦隊が撤退するとなれば通りそうな星系や補給物資の流通量なども観察しているが、今のところ何かしらビョンデム艦隊の移動を示唆するようなデータはない。だからまだしばらくは、カメウラの近辺で行方不明となった二隻の捜索をしている可能性が高い。
「カメウラ? ああ、ビョンデムはあのはぐれ星を欲しがっていたのだったな。今回の動きは、それも目的の一つか」
隣におとなしく座るロイド副官が、何やら情報端末の表示をローレンスに提示する。ごにょごにょとレオンにはよく聞こえない程度の小声で説明をすると、ローレンスはためらわずゴーサインを出し、ロイド副官はまた端末に向かって淡々と作業を開始した。
スレート状の端末を机上に立てかけると、端末の手前にキーボードとポインティングデバイスがホログラム表示される。それも周囲から覗く角度では殆ど見えないので、彼女がどんな操作を行ってるのかは分からない。ロイド副官は音声コマンド等を使わず、あくまで静かに目立たず職務をこなす所存のようだ。
「レオン、貴様にも手伝ってもらおうと思うが、良いか?」
こういう問いかけの時、ローレンス様は恐らく、賛意しか想定していない。そしてレオンは、もちろん賛成だ。
「喜んで。あそこらへんにウロチョロされちゃー、目障りですから」
やがて珈琲のお替りもマカロンも全て片付けると、ローレンスと副官は連絡艇でウーガダールへと帰っていった。連れ出す戦力を捻出するとのことで、その間にレオンは先行するように、と。
鈍色のメガストラクチャーは各所から漏れ出る光によって背景の暗がりにぼんやりと浮かび上がり、名前の通り神秘的に見えなくもない。威容を誇るその最外周部には艦艇を収めるドックがずらりと並んで防壁としての役目も兼ねるが、実を言うと今その中はあらかた空っぽで出払ったままだ。
移動要塞をまさに移動してきたのは、他の選択肢が乏しかったからでもあって、これから更にカメウラへと遣す戦力をどうやりくりするのかは難しいとも思えた。
§
さて、ローレンスが出撃部隊を編成する間に、レオンは先行してカメウラに向かうことになるわけだが。
見送りを終えるとすぐに、
「ロイド副官は、甘いものが大好きですね」
とアリスが妙に嬉しそうに言った。
珈琲はどうだったんだろう、とふと思ったがまあいいや。
「大好き? 反応は微妙だったろう?」
「いいえ。マカロンを噛みしめている間からドーパミンが出ていましたね」
「ドーパミンが。へー」
「そして、表情を崩さないようにと必死でこらえていましたね。うふふ、可愛いです」
礼儀的にきれいに平らげただけじゃなく、おいしいと思ってくれたのならそれは良かった。そういえば、ローレンス様はザッハトルテしか手を付けていなかったような。
……。
目にもとまらぬ早業で、マカロンを口にする美少年の姿を脳裏に想像した。
「そういえば……」
「なんですか?」
「あの副官、なんとなく目元とかアリスに似てると思わないか? なんとなく、だけどさ」
俺を見る冷ややかなまなざしが、とレオンは思った。
「ずいぶん見つめているなとは思いましたが、ふーんなるほど。レオンはショートカットがお好みですか? では私も短髪のヘッドパーツに挿げ替えてみましょうか?」
「なんでそうなる? ”ヘッドパーツ”を”挿げ替え”かよ。やめておけ」
「試してみるだけです。レオンに迷惑はかけませんよ?」
本気で挿げ替えするつもりなのだろうか。
「やけに食い下がるじゃないか。今のままでいいよ。……いや訂正する。今のままがいい」
そう言ってレオンは、わりと真面目な顔で見返した。
「そ、そうですか。……わかりました」
半万年後の未来まで人類が発展・存続していたとしたら、
マカロンとザッハトルテもまだ存在していると思うんです。個人的に。
いったいどれほど食事情が進歩している事か、
それを知りたくてコールドスリープしたいぐらいです。