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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章
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第九十一話 陥穽

「ミーナ、遅れたが…間に合ったかな?」



 ミーナは振り返ってヴァルナルの顔を見た途端に、思わずガクンと脱力した。必死でこらえていた涙が一筋頬を伝う。


「ミーナ? どうしたんだ!?」


 普段、滅多と…というより、一度も泣いたことのないミーナの涙に、ヴァルナルは驚いた。同時に子供達の姿が見えないことに気付く。


「……子供達は、広場か?」


 問いかけると、ミーナはヴァルナルの腕を掴んで震える声で、それでもはっきりと伝えた。


「アドリアン様とオヅマ達は…スリを追って……マリーと若君の姿が見当たらなくて、椅子がそこに……」


 ミーナが伸ばした指の先をカールが見に行くと、誰乗ることもない車椅子が寄せられた雪の上に置き捨てられていた。車輪が一つ、脱輪している。


「ヴァルナル様! 椅子が…」


 一瞬ですべてを把握して、ヴァルナルは素早くその場にいた騎士達に命令する。


「カール、小公爵様を探せ。アルベルトとヘンリクは、オリヴェルとマリーを。広場を中心に周辺一帯をあたれ。サッチャ、領主館に戻ってマッケネンに知らせろ。総員で領府周辺の警邏(けいら)を行い、少しでも不審な者がいたら身柄を拘束しろ」


 カール達が散っていくと、ヴァルナルは顔色のないミーナを樅の木の下にあるベンチまで連れてゆき、座らせた。


「申し訳ございません…私のせいです」


 ミーナはもう涙を見せなかったが、死にそうな顔でつぶやくように言った。

 ヴァルナルは首を振ると、震えの止まらないミーナの手を握った。


「そんなことはないはずだ。貴女(あなた)がそう簡単に子供達と離れるとは思えない。すまないが、詳しく教えてほしい。何があった? 些細なことも含めて、全て教えてくれ」


 ミーナはヴァルナルの温かい手に縋るようにもう一つの手を重ねて、ヴァルナルと分かれた後のことを思い出しながら話していく。


 皆で領主様への贈り物をしようという話になって、露店を見回っていたこと。途中でアドリアンがスリに遭遇して、アドリアンとオヅマと警護の騎士達がスリを捕まえに行ったこと。それから…


「その後、私とオリヴェル様とマリーは三人で待っていようと思ったのですが、その時ちょうど…お婆さんが通りかかって、小袋を落としていって…。お金が入っているみたいだったので、私はあわてて追いかけたのです。すぐに戻るからと、マリーに言って。お婆さんにもすぐに追いついて、小袋を渡して、帰ってきたら……二人とも……どこにも…」


 ミーナは必死で涙をこらえ、痛む胸を押さえた。

 か細い声で何度も繰り返す。


「申し訳ございません。本当に、申し訳ございません…私の責任です。私が、あの時離れたから……」

「違う。貴女のせいではない」


 ヴァルナルは弱々しく首を折り曲げるミーナの細い肩を抱いた。


 虚空を睨み据えるヴァルナルにとって腹立たしいのは自分自身だった。

 ミーナはしきりと自分の責任と言うが、何がミーナのせいであるものか。すべては自分の責任だ。


 ギリ、と奥歯を噛み締める。


 嵌められた。見事に。

 領主館の火事から始まっていたのだ、一連の出来事は。


 これだけのことをするのであれば、やはり彼らの狙いはアドリアン小公爵に違いない。

 だが、今はマリーとオリヴェルまでもがいなくなっている。

 ミーナの話を聞く限り、子供達は別々にいた。

 せめて、どちらか一方の無事を確認したい。


 そう時はかからず、広場のアーチをくぐってこちらに向かってきたオヅマとアドリアンを見て、とりあえずヴァルナルはホッとした。


「母さん!」


 オヅマが走り寄ってくると、ミーナは立ち上がってオヅマに抱きついた。


「オヅマ! マリーが…マリーがいないの!」


 オヅマの顔がさっと強張る。

 ほぼ同時に、アーチからアルベルトとヘンリクがこちらに向かってきて、ヴァルナルに告げた。


「オリヴェル様もマリーも、見当たりません」


 オヅマはすぐに広場に向かって走り出そうとして、ヴァルナルに腕を掴まれた。


「オヅマ、落ち着け! 計画的なものであれば、軽々な行動は控えねばならない」


 この時に及んで冷静なヴァルナルが、オヅマには苛立たしかった。カッとなって思わず怒鳴りつける。


「うるさい! なんでマリーが…マリーは巻き添えだろ! 狙われたのはオリヴェルだろ!」

「オヅマ! やめなさい!!」


 ミーナが泣きそうな声で止める。


「なんてことを言うの! 領主様のお気持ちも考えずに!!」

「なんで俺がそんなこと考えないといけないんだよ!」

「オヅマっ!」


 ミーナも精神的に動揺していたのだ。

 パシン、とオヅマの頬を()ってから、我に返った。


 信じられないように自分を凝視してくるオヅマに、ミーナの目から大粒の涙があふれ、その場に崩折れた。


「…ごめ……ん…な…さい」


 ほとんど消え入りそうな母の声に、オヅマは何も考えられなかった。

 父からの暴力には慣れていても、母が自分に手を上げたことはない。決して、そんなことはしないと…信じていたのだ。


 呆然と立ち尽くすオヅマの横に来て、アドリアンはヴァルナルに言った。


「僕たちも、マリーとオリヴェルを探したい」


 しかしヴァルナルは即座に首を振った。


「いけません。今は、カール達と一緒に領主館に戻って頂きます」

「でも…今回のことは僕らにも関係がある。元は僕がスリを追いかけたせいで、三人を置いていってしまった」

「それも含めて、考える必要があります。今は、とにかく戻ります」


 ヴァルナルは固い表情で決定を下すと、ミーナを抱き起こして連れて行った。


「……オヅマ」


 アドリアンはまだ固まったままのオヅマの肩を叩く。「とりあえず、戻ろう」

 オヅマは、ジロリとアドリアンを見た。


「……マリーとオリヴェルを置いていくのか…?」

「そんなことはしない。必ず助ける、二人とも」


 アドリアンがはっきり言うと、オヅマはまじまじと、その横顔を見つめた。いつもと同じ無表情に見えるが、鳶色の瞳には怒りが滲んでいた。


 歩き出したアドリアンの後をオヅマはついていった。陰鬱な薄紫の瞳に、一瞬、金の光が閃いた。


次回2022年7月10日21:00に更新予定です。


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