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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章

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第九十話 雀の面の男

 スリを追いかけていたオヅマは、人のまばらな城塞外壁近くまで来て、ようやく捕まえられそうになって手を伸ばしたが、その時突然、目の前の男が驚くべき跳躍力で外壁の上に飛び乗った。


「……やれやれ」


 雀の面を被ったまま、男はあきれたようにつぶやいてオヅマを見下ろす。


「大した坊やだね。俺に追いつくとは」

「うるせぇ、この雀野郎! とっととアドルの(カネ)を返せ!」

「金? あぁ…」


 男は腰に吊り下げていた革袋を取ると、何の未練もないようにオヅマに放り投げた。


「は?」


 オヅマは袋を受け取って、ポカンと口を開ける。


「なんだよ。返して欲しかったんだろ?」

「そうだけど……」


 オヅマは革袋をまじまじ見つめた後で、キッと雀の面の男を睨みつけた。


「簡単に返すんだったら、最初っから取るなよ!」


 思わぬ説教に、男は一瞬絶句してから、ケラケラ笑い出した。


「おっもしろいなぁ、お前。ここに来て、一番の収穫だよ」

「何を訳のわかんねぇことを…この野郎。そこ動くな! とっ捕まえる!!」

「動くなと言われて、素直に聞くような奴はスリなんてしないんだよ~」


 雀の面の男は楽しそうに言うと、ヒラリと壁の向こうへと姿を消した。


 向こうはかつての城塞の外壕跡で、崩れた瓦礫と岩だらけの場所だ。普通は城塞外門から外に出ないと、この壁の向こうには行けない。

 門はここから遠く離れた場所にある。いったん門まで行って、この壁の裏まで走って辿り着いたとしても、その頃には男がいなくなっているのはほぼ確実だ。


 オヅマは高い壁を見上げて、男のように走って飛び乗ることができるかと試してみたが、古びた煉瓦を爪で引っ掻くのがせいぜいだった。


「チッ! クソ…」


 舌打ちしていると、後ろからアドリアンがようやく追いついて声をかけた。


「逃したか…?」

「逃がしてない! ホラ」


 オヅマは男から渡された革袋を突き出した。

 アドリアンは受け取って、目を丸くした。


「え…なんで?」

「知るか。なんか返してきたんだよ。っとに…あっさり返すなら盗るなってんだ」


 オヅマはぶつくさ言いながら、元来た道を戻り始める。

 その時、パシリコ達がようやく到着した。


「おぉ、オヅマ。駄目だったか?」

「違う! (カネ)は返ってきたっての!」


 パシリコが意味がわからぬ様子でアドリアンの方を見ると、アドリアンは革袋を持ち上げて見せる。


「…ひとまず、無事ということか」

「帰りましょう。マリー達が待ってる」


 アドリアンは促してから、むくれたオヅマに問うた。


「スリの男が観念して君に返してきたの?」

「観念?………そんな感じじゃなかったけどな」


 オヅマは雀の仮面の男との会話を思い出す。

 なんか人を食ったやつだった。ムカつくが、さほどに嫌な感じもしない。


「返せーっ言ったら、ハイどうぞーって返してきた」

「………妙だな」


 アドリアンは顎に手を当てて考えながら、手首に下げた革袋を見つめる。

 何だか、違和感がある。似ているが、これはさっきまで自分の持っていたものと同じだろうか?


 ゆっくりと歩きながら、アドリアンは袋を開けて中身を見た。

 お金は入っていた。金額を正確に数えたのは数日前なので、そこは同じかどうかわからない。しかし、銀貨も入っているので、盗まれたとは考えにくい。

 軽く揺すって中身の確認をしていると、シャラシャラと鳴る硬貨の間からやや分厚い紙が出て来た。


 アドリアンが紙を取り上げるのと同時に、広場から円舞の音楽が聴こえてくる。


「おっ! もう始まってんぜ」


 オヅマが軽くアドリアンの肩を叩き、硬直していたアドリアンの手から紙が落ちた。


「あ? なんだ、これ?」


 オヅマは落ちていく紙を素早く空中で拾って、何気なく見た。しかしアドリアンがあわてて取り上げる。


「……なんだよ?」


 オヅマは眉を寄せた。なんだかアドリアンの様子がおかしい。


「……いや。なんでもない」


 アドリアンは紙を一瞥した後、再び革袋に放り込んで、広場へと歩き出す。


 オヅマはフンと鼻を鳴らした。

 この数ヶ月、対番(ついばん)で一緒に生活してきたせいで、わかる。あの態度は何かあったのだ。

 あの紙も意味深だった。

 何かを示すかのような図形と、チラとだけ見えた言葉。


『誰にも知られてはいけない』―――――


 マリー達はどこかと探していると、人の間を縫って、カールが現れた。


「オヅマ…こっちだ」


 暗く厳しい顔をして、小さな声で呼びかけてくるカールに、オヅマはすぐに異変を感じた。


 無言で歩いて行くカールに()いて、円舞で盛り上がる広場を抜けると、樅の木の下にあるベンチで、青い顔をした母が、ほとんど抱きかかえられるようにヴァルナルに寄りかかっていた。


「母さん!」


 オヅマは走って行く。


 その背後で、暗い顔のアドリアンが立ち尽くしていた。


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あー、人質かぁ……
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