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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第四章

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第八十四話 エラルドジェイ(2)

 その後、エラルドジェイに言い含められた娼婦によって、その青年の目的が大まかには知れた。


 彼の名前はダニエル・プリグルス()伯爵。

 どうやらダニエルはグレヴィリウス公爵家に連なる家門の女性と婚約していたそうなのだが、グレヴィリウス公爵の逆鱗に触れた為に、婚約は破棄され、隠居していた父が伯爵位を再承継して、自分は実家からも追い出されたらしい。

 その原因をつくったのが、十歳になるアドリアン・グレヴィリウスだと信じきっているようだが、


「どー考えても、たぶん、八つ当たり? みたいな感じよね」


と、エラルドジェイに報告してくれた娼婦は呆れたように言った。


「ふぅん…なるほどねぇ」


 煙管(キセル)をふかしながらエラルドジェイはやれやれ…とため息をつく。


 貧民街(スラム)の不毛な縄張り争いの次は、頭の弱い青年貴族の気晴らしに付き合わねばならないとは…なんだって自分はこんな仕事をしているのやら。


「ただ、金回りは良さそうだったわよ。勘当されたけど、お金はたんまり持たされたみたいね。私、チップで一(ゼラ)も貰っちゃった!」

「そりゃあ、御大尽だね」


 ぼんやりした様子で相槌を打ちながら、エラルドジェイは素早く考えを巡らせる。


 勘当された貴族のお坊ちゃんが金を持たされた? 少々、奇妙な話だ。

 もっとも、父親は勘当を言い渡しても、甘い母親なんかが憐れんで、自分の指輪なんぞを息子にやることもないではない…。


 疑問を解消するために、エラルドジェイは次の日にはダニエルを勘当した(正確には伯爵身分を剥奪されて追われた)というプリグルス伯爵家についても調べたが、当主は確かに彼を放逐したが、母親は既に十年前に亡くなっていた。

 そもそも伯爵家ではあっても、特に後ろ盾となる有力貴族の傘下にあるわけでもなく、あまり金回りはよくないようだ。

 羽振りの良いダニエルの金の出処が実家である可能性は低い。


 その上で、今回の目的(ターゲット)であるアドリアン・グレヴィリウス小公爵について調べて、帝都から遠く離れたレーゲンブルトにいることを突き止めると、エラルドジェイは一気にやる気をなくした。


「冗談じゃないぜ。あんなクソ寒い田舎に行って、しかもガキ連れて、えっちらおっちら帰ってくるなんぞ! 途中で公爵家の騎士団にでも見つかって打首だ!」


 大声で喚き立てるエラルドジェイに、ニーロも頷く。


「そうだな。さすがにレーゲンブルトからこっちに連れてこいというのは、面倒だ。失敗の確率が高くなる」

「そうだろ!? そうだよな? じゃ、この仕事はご破算―――…」


「というわけにもいかない。三十はもらってるからな。しかし、後金の百七十が貰えるかどうかは微妙だな。金の出処があの若様じゃないとなれば、少々、面倒くさいことに巻き込まれる可能性もある」


「なんで面倒だってわかってる仕事に手を出すんだよ」

「………うまくいきゃあ、大口の取引先になるかもしれん。しかも、この先ずっとな」


 エラルドジェイはしばらく黙り込んで、首を右、左にカクンカクンと動かして、ニーロの思惑を探る。それから渋い顔になった。


「おいおいおい…勘弁しろよ、オッサン。公爵家に恩売って、取り入ろうってのか?」


 ニーロは自分の思惑を探り当てたエラルドジェイを見て、ニヤリと笑った。


「エラルドジェイ。皇家でなくたって、この国の貴族…大貴族ともなりゃ、そりゃあ…色んな輩が集まってくるんだろうぜ。うまいこと立ち回りゃあ、()()()()()恩が売れる。選ぶのは俺らだ」


「そう上手くいくかねぇ…?」


 ニーロの思惑としては、天秤にかけて()()()()と手を組みたい…というところだろう。


 今回の依頼をしてきたダニエルの背後には、おそらく現在の公爵家に敵対する勢力がある。公爵の跡継ぎであるアドリアンを始末すれば、彼らには有利になるのだろう。詳細は不明としても、現公爵を狙うよりは、小さな後継者を狙う方がやり易いと思うのは当然だ。


 だが、問題は奴らがさほどに()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだ。

 本当に小公爵を片付ける気でいるのなら、自身で優秀な暗殺者を仕立てるはずだ。

 公爵の逆鱗に触れて婚約破棄された、およそ頭がいいとは言い難い甘ったれたお坊っちゃんに、いかな子供とはいえ公爵の継嗣をどうにかできるはずもない。

 ダニエル自身もそれがわかっているから、ここに頼みに来たのだろう。


 その上で、ニーロとしては、もし今回の誘拐が失敗した場合には、誘拐した小公爵を助けた(てい)で、公爵家への取っ掛かりを持ちたいわけだ。


「『紅玉(ルビー)』と『翠玉(エメラルド)』は一緒に取れない(*二兎追う者は一兎も得ず、の意)って言うぜ」


 エラルドジェイが言うと、ニーロはフッと笑った。


「まぁ、そうだな。昔なら尻込みしてたかもしれん。けど、もう俺の人生の折り返し地点はとうに過ぎてんだ。勝負に出るなら、今かもしれん」

「何言ってんだ、アンタ」


 巻き込まれるエラルドジェイはたまったもんじゃない。吐き捨てたが、じっと見つめてくるニーロの目に負けた。


「俺はそんなに器用に立ち回れるかわからんぜ」

「逃げる時にゃ、全速力で逃げな。俺も、そうする」

「……ったく。なんだってここへきて勝負に出るかねぇ、オッサンは」

「オッサンにはオッサンの浪漫があるのさ。若造にゃ、わからんて」


 そう言って、ニーロはいつものように無精髭を撫でさする。その楽しそうな様子を見て、エラルドジェイはため息まじりに腹をくくった。


 奴隷として売られ、気まぐれな主人の折檻で半殺しにされ、汚泥の中で死にかけていたエラルドジェイを拾って育ててくれた恩人だ。まともなことは教えてくれなかったが、それでも無事に十八になるこの年まで生きてこれた。

 このまま捨てて逃げても、きっとこの男が文句を言うことはないだろう。だが、恩人を捨て去るような薄情者に自分はなれない。

 そう育てたのも、この男だ。


「仕方ねぇ。とりあえず、あの馬鹿若様を連れて、レーゲンブルトまで行くさ」


 言ってから、エラルドジェイの頬に皮肉な笑みが浮かんだ。

 よりによってレーゲンブルトとは……。

 苦い気持ちが胸を刺す。

 とうの昔の、逃げ惑う少年の日々が一瞬過ぎていった。

次回は2022年7月3日21:00の更新予定です。

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