第八十話 春祭り(2)
季節は春に向かっていた。
大帝生誕月に入り、領府では五日市に合わせて祭りが行われる。
レーゲンブルトの領民にとっては、一年の中で、なんであれば新年の祝いよりも待ち遠しい早春の祭り。
大帝生誕祭。
オヅマ達は、先日、五日に行われた前祭りにヴァルナルとミーナ、警護の騎士達と共に、四人の子供達全員で出かけたのだ。
この時期になると大雪が降ることもなく、祭りの前ということで街の人々や騎士団総出で雪かき作業が行われることもあり、オリヴェルも車椅子に乗って出掛けられた。
こうしてオリヴェルは生まれて初めて、毎年領府で行われていた春祭りに参加することができたのだった。
去年までは遠くから聞こえてくる楽しげな音に肩を落とすだけだったのに、今年は父もいて友達までもいる。その実感にオリヴェルは泣きそうになりながら、笑って過ごした。
中央の広場には、祭りに合わせて特別に許可された様々な露店が並び、四人の子供達はそれぞれに楽しんだが、大帝の雪像を中心に周りを囲んで円舞が始まると、ぼんやり見ていたオヅマとアドリアンを同じ年頃の少女達が誘った。
「いいじゃないか、行ってこい」
と、ヴァルナルに言われて二人は最初、戸惑いながら踊りの輪に加わったが、すぐに周囲の振りを見て覚えたオヅマに対して、アドリアンはなかなか覚えられないようだった。
一周してもまだ足元が覚束ないアドリアンは早々に輪から出たが、オヅマはどんどん早くなっていく音楽に合わせて、器用に踊っていく。
最終的に輪が小さくなって、十人ほどになって音楽が止むと、それぞれが大人子供関係なく残った自分たちを称え合って別れた。
「天才って言われたー!」
と、嬉しそうに頬を上気させて戻ってきたオヅマは、気まずそうなアドリアンを見て薄ら笑った。
「早々と逃げ出しやがって。もうちょっと粘れよ」
「仕方ないだろ。僕は君と違って、ここは地元じゃないんだ」
「俺だって今日が初めてだよ。村じゃこんな踊りなかったし」
「そうだとしても、見たことくらいはあるんだろ。地の利は君にある」
「たかだか祭りの踊りに地の利もクソもあるか。やる気の問題だろ、やる気。どこぞの誰かさんが、剣舞の時にさんざ人をシゴキまくって言ってたよなぁ」
アドリアンはジロッとオヅマを睨みつけた。
「剣舞と祭りの踊りはまったく違うだろ!」
「体動かすのは一緒だろうが」
「剣舞は剣技として役に立つけど、祭りの踊りは別に踊れなくたって問題ない」
ツンと言い返したアドリアンに、ヴァルナルは苦笑しつつも、それとなく指導する。
「オヅマのように、早く踊る必要はないが、自分の身体を自在に動かせるようにしておくことは重要だぞ、アドル。踊りは柔軟性と俊敏性を育てる。決して、無駄にはならない」
アドリアンは憮然となってつぶやいた。
「……覚えろってことですか?」
「これは命令じゃない。助言だ。お前が必要ないと思うなら、無理強いはしない」
「…………」
黙り込んだアドリアンに、余計な一言を言わずにおれないのがオヅマだった。
「おぅ。無理すんな。お前に出来ないことがあったって、別に問題ないから~」
―――――斯くして。
アドリアンはオヅマに次の本祭(十五日)までに踊れるようになるため、特訓を受けているのだが、教官は見て覚えろの一点張りだった。
「もー、しょうがないなぁ」
マリーは椅子から立ち上がると、「ちょっと待ってて」と部屋を出て行った。しばらくすると、母のミーナを伴って戻ってくる。
「私と一緒に踊ろ、アドル」
マリーが手を出しながら言った。アドリアンは目を丸くする。
「君と?」
「そ。お兄ちゃんほどじゃないけど、だいたい覚えてるから。ゆっくりやれば、アドルなら簡単に覚えられるわよ。それにやっぱ音楽がないとね。お母さんが笛を吹いてくれるから」
言われて、ミーナははにかんだように微笑む。
「久しぶりだから、うまく出来るかわからないけれど…」
そう言って、色褪せた朱色の袋に入っていた笛を取り出した。
蔦の浮き彫りが施された象牙色の横笛。村祭りで使用されるような、粗末な木の笛ではなく、専門の職人の作ったものとすぐにわかる。
「横笛が吹けるのですか?」
アドリアンは驚いた。
趣味として楽器を楽しむ人は貴族に多いが、その中でも横笛は音を出すことすらも難しくて、手を出す人は少ない。
アドリアンも一応、四弦琴を習ってはいるが、音楽にあまり興味がないせいで、他の習い事からするとあまり捗々しくなかった。そもそも、レーゲンブルトに来てからはまったく手もつけてない。
しかし、その笛に興味を持って見ていたのはアドリアンだけではなかった。
いつの間にかこちらに来ていたオヅマは、興味というにはあまりに切羽詰まったような顔で、ミーナの手にある横笛を凝視していた。
「……その笛…」
オヅマはつぶやいた。
「お兄ちゃん、知ってるの?」
マリーがきょとんとして訊くと、ミーナも笑いながら尋ねてくる。
「オヅマ、覚えているの? 小さい頃、何度か吹いてあげたけど…」
だが、オヅマの脳裏にあるのは、母がその笛を吹いている姿ではなかった。
夢が、また訪れる。
一人で……母も亡くし、妹からも離されて、一人ぼっちにされたオヅマの手にあった家族の欠片。
どうしようもない孤独の中で、唯一あった安らぎの時間は、母の遺したこの笛だった。誰に習うこともなく、ただ必死に音を鳴らして、懐かしい曲を奏でた。
あの頃は、それが死んだ母との会話だった。………
「お兄ちゃん?」
「オヅマ、どうしたの?」
目の前で静かに泣いているオヅマに、マリーもミーナも驚いた。無論、アドリアンもオリヴェルも。
「………なんでもない……」
オヅマは乱暴に涙を拭うと、足早に部屋から出て行った。




