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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三章

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第七十七話 男爵の想い人

「あら」


 扉を開けて出てきた(ひと)に、アドリアンは思わず固まってしまった。


 決められた修練と雑用を終えて、いつものごとくオリヴェルの部屋へと向かったアドリアンとオヅマだったが、オヅマは途中で下男の一人に呼ばれて行ってしまった。


「先、行っといてくれよ。すぐ行くから」


 軽く言い置いて行ってしまったが、正直、オヅマがいないならアドリアンがオリヴェルの部屋に行く理由などほとんどないのだ。

 部屋の主は相変わらず、敵対心もあらわだし、アドリアンの方でも年下の子供の相手などしたことないので、どうすればいいのかわからない。


 ようやっと最近になって、三人で駒取り(チェス)の総当たり戦(現在、第二期節(セカンド・シーズン)第一期節(ファースト・シーズン)はアドリアンが優勝)をやったりするようになったが、対戦している間もオリヴェルがアドリアンに話しかけることは皆無だった。


 だから今も正直行きたくなかったが、行かないと行かないで今度はマリーがむくれるらしい。


「だって、三人だとお兄ちゃんとオリヴェルが駒取り(チェス)始めたら、私、やることないんだもん」


 マリーはあれでけっこうおしゃべりなのだが、話が激しく前後するので、かなり根気よく聞いてやらないと意味がわからない。

 オヅマはハナから聞く耳を持たないし、オリヴェルはいちいち指摘しては話が止まってしまうので、マリーとしては、とりあえず黙って、時々相槌をうってくれるアドリアンは格好の話し相手なのだった。


マリー(あいつ)が怒ったら一番始末が悪い」


と、オヅマは言う。

 もっともアドリアンからすると、オヅマもオリヴェルもマリーに滅法甘くて、ご機嫌を窺っているように見えるが。


 ということで、アドリアンはやや憂鬱になりつつオリヴェルの部屋の前まで来て、ノックした。

 そこで扉を開けてくれたのが、いつものマリーでなくミーナであったのだ。まともに薄紫色の瞳と目が合って、思わず騎士達の話を思い出す。



 ―――――男爵が…好意を寄せる相手がいるってことですか?


 ―――――ミーナだ…



 やっぱり、美しい。

 アドリアンは再確認する。


 相手に安心感を与えるふわりとした上品な微笑み。

 ヴァルナルはきっとミーナの容姿だけでなく、穏やかで優美な雰囲気に惹かれたのだろう。


 二人のことを考えると、アドリアンはどういう顔をしていいかわからず、下を向いた。ミーナは特に何か気にする様子もなく朗らかに尋ねてくる。


「いらっしゃい、アドル。珍しいのね、一人?」

「あ…オヅマはちょっと用があって呼ばれて…すぐに来ると思います」


「あら、そう。ごめんなさいね。若君とマリーも、今は温室に花を見に行っているのよ。なんでも珍しい花が咲いたらしくて…あなたも行ってみる?」


「いえ」


 アドリアンはすぐに断った。

 オリヴェルがマリーのことが好きなのは明らかなので、そんなところに行ったら、殺されそうな勢いで睨まれた挙句、嫌味の一つ二つじゃ済まない。


「そう? じゃあ、中で待ってて頂ける? すぐに戻ると思うわ。私はおやつの用意をしてきますね」


 ミーナは扉を大きく開いて、アドリアンを招き入れる。

 なんとなくアドリアンは断るきっかけを掴みそこねて、そのままおずおずと中に入った。


 いつもは四人で騒がしい部屋の中はシンとしている。

 曇り空が見える窓は差してくる日の光も弱く、昼間だったがランプが灯されていた。


 アドリアンはいったん、ソファに座ったものの、なんだか落ち着かなくて立ち上がる。

 ふと、隅の方に置かれた三脚が目に止まった。イーゼルようだが、なぜだか壁の方にむかってキャンバスが置かれて、上から布が被せられている。

 

 アドリアンは少し迷った。

 オリヴェルが、自分とオヅマの剣舞の絵を描いているらしいことは、マリーから聞かされていた。ただ、


「オリヴェルったら、絶対に誰にも見せないのよ。私はちょっとだけ見れるんだけど、お母さんにもお兄ちゃんにも絶対に見せないの。下手だからって。そんなこと全然ないの。すごく上手なのに……」


と言っていたので、オリヴェルがアドリアンに見せないであろうことは確実だった。


「…………」


 しばらく考えてから、アドリアンは布を取った。

 どうせ一生見せてもらえないなら、今見ておくしかないだろう。あのオリヴェルが自分をどう描いているのかも、実はかなり興味があった。


 イーゼルを持ち上げて、キャンバスをこちらに向けてから、アドリアンはその絵に言葉を失った。


 雪を蹴り上げて舞う二人の姿。

 白い月の光。

 篝火の炎。

 閃く剣の鋭さすらも、伝わってくる。


 九歳の子が描いたとは思えぬほど、上手な絵だった。自分(アドリアン)のことも、案外ちゃんと描いてくれている。手前のオヅマに比べると、細かな表情は描かれていないが。


 思っていた以上の完成度に、アドリアンはすっかり見入っていたのだろう。

 扉が開いたことにも気付かなかった。


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