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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三章

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第七十二話 母と領主様(1)

「………だから、無理強いをしているなら、謝る。はっきり断ってもらって構わないが…………駄目だろうか?」


 オヅマはヴァルナルが母に向かって、まるで何か許しを乞うかのように尋ねている姿を見て、胸が詰まった。

 同時に、オリヴェルの言っていたように、ヴァルナルが母のことを好いているのだとはっきり認識する。


 だが、母は以前に言っていた。

「そんなことは有り得ない」と。

 だから、きっと断るだろうと思ったのに。―――――


「私などはただ話を聞くだけでございますが…領主様の助けとなるのであれば、喜んで話し相手ぐらいは承ります」


 オヅマから見て、母は後ろを向いていたが、笑っているようだった。

 随分と打ち解けた様子の二人を見て、オヅマはひどく動揺した。

 呆然としている間にも、二人は楽しそうに喋って、母は背伸びしてヴァルナルの肩にショールなんて掛けている。


 オヅマはそれ以上見ていられなくて、足早にその場を立ち去った。一旦、建物の中に入ってから、宿舎に戻ってくる二人と鉢合わせすることを避けて、元々向かっていた本殿の方へと多少遠回りしながら黙々と歩いていく。


 何だか…裏切られた気分だった。

 母にも、ヴァルナルにも。


 さっき剣舞を舞った境内には、夜半に少し降った雪が積もっていた。

 オヅマは柔らかな新雪を蹴った。苛立ちのまま無茶苦茶にに蹴りつけて、境内を歩き回っていると、不格好な木剣が落ちていた。見物客が忘れていったのだろうか。


 オヅマはその木剣を手に取ると、ブン、ブンと素振りを何度かしたが、一向に脳裏から先程の光景が消えない。いや、嫌なのはあの二人の仲良さそうな姿ではなく、それを見ている自分の気持ちだ。どうしてもモヤモヤする…。


 ギリリと歯軋りして、オヅマは苛立ちと一緒にザクリと木剣を地面に刺した。そのまましゃがみ込んで、静かに息を潜める。


 自分が何をしようとしているのか…オヅマにはわかっていなかった。

 シンと冷えた夜の静寂に溶け込んで、オヅマは自分を追い払いたかった。何も考えたくなかった。


 首を項垂れて、内へ内へと意識を沈めていく。

 うなじがピリピリしてきて、ゆっくりと神経が伸びていく感覚。

 背に、肩に、足の裏からも、神経の根が周囲に張り巡らされてゆく。………


 急にオヅマは木剣を掴んで跳躍した。


 なんの気配もなくそこにいたヴァルナルめがけて、木剣を突きつける。


「……………眠れないか?」


 ヴァルナルはいきなり自分に向けられた切先に、驚いたようではあったが、それでも悠然と笑って問うてきた。


「…………」


 オヅマは黙っていた。

 何を言えばいいのかわからない。なぜか体が固まってしまって、剣をヴァルナルに向けたままだ。


「オヅマ…?」


 ヴァルナルは硬直したオヅマをしばらく見つめてから、やれやれと笑った。


「武者震いならぬ、武者強直(きょうちょく)というやつか。緊張しすぎだ…」 


 ヴァルナルはオヅマの持つ木剣をバシリと手刀で打った。

 元々木剣に適さない木で作られていたのだろう。あっけなく折れてモロモロと崩れていく。


 オヅマは手の中で形を失った木剣の屑を凝視していた。まだ、体の強張りがとれない。


 ヴァルナルはオヅマの両肩をガシリと掴むと、「ハッ!」と気合を入れた。途端に力が抜けて、オヅマはヘニョリと雪の上に膝をつく。

 ヴァルナルは倒れそうになったオヅマの腕を掴んだ。


「無茶をするからだ…一体、誰に聞いた?」

「………え?」

「全方位の索敵(さくてき)術など…そうそうやっていいものじゃない。見よう見真似でやろうとしても、相当な修練を積まねば……」

稀能(キノウ)…?」


 オヅマがつぶやくと、ヴァルナルはふっと笑った。


「そうだな。だが、まだお前には無理だ。今、立ってもいられないのだから」

「領主様はできるんですか?」


「私か? 私は…多少は使えるが、稀能と呼べるほどのものでない。達人ともなれば、そう…この森一つ分程度であれば、すべての敵を感知して全滅させることも可能だろうな。『千の目・(まじろぎ)の爪』と言ってな…」


「『千の目』……」


 その言葉を聞いた途端、オヅマの胸がザワザワと蠢く。

 また()が襲ってきそうで、オヅマはブンブンと頭を振った。


「オヅマ?」

「……なんでもないです。離してください」


 ヴァルナルは怪訝に思いながらも、オヅマの腕を離す。

 オヅマはふらつきながら立ち上がると、ヴァルナルをチラとだけ見て、すぐに目を伏せた。


 「オヅマ…お前は……」


 ヴァルナルが言いかけると、オヅマは遮るように問うてきた。


「騎士は…気配を読むんだって…聞きました」


「あぁ。それは騎士としての修練を積めば、多少なりと身に入ることだ。その中で特に鋭敏な者であれば、より特殊な修練を積むことで覚知(かくち)していく」


「覚知?」


「そうだ。稀能は特殊な人間が持つ力じゃない。皆、それ相応の能力を秘めている。自身でそれを覚知し、発現させ、制御できるかどうかだ。能力だけが突出して、使いこなせない者は悲劇的な末路を迎えるからな」


 言いながら、ヴァルナルはオヅマの能力に密かな危惧を抱いた。


 甚だ未完のものではあるが、今、オヅマは確実に全方位索敵術――通称『千の目』――を発現させようとしていた。その上、ヴァルナルの気配を感知して襲いかかってきた、あの速度。まさに『(まじろぎ)の爪』と言うべき敏捷さではないか。


 まだ、騎士としての訓練を受け始めて一年にも満たず、わずか十一歳の子供が使用していい能力(ちから)ではない。このまま勝手をさせれば、確実にオヅマ自身の身体に影響を及ぼすだろう。


 明らかなる素質を認めながらも、ヴァルナルは喜べなかった。

 まだ早い。早すぎる覚醒は、本人にも周囲にも害となりかねない。


 目の前の無自覚なオヅマに、ヴァルナルの眉間の皺は深く憂いを帯びた。


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