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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第一部 第一章
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第五話 ヘルミ山の黒角馬

 ヘルミ山の黒角馬(くろつのうま)


 そのことを思い出したのは、武人であるクランツ男爵に取り入るための材料を、頭の中で必死で考えているときだった。


 ふっと、また()で見た光景が脳裏によみがえる。

 帝都の大通り。砂塵(さじん)をたてて歩く、黒い角の馬。騎乗しているのは、きらびやかな鎧をまとった騎士達。その行進を群衆の中から、無表情に見ていた自分。

 その黒い角を持つ馬は数年前に発見され、調教の末に皇軍(こうぐん)の第一・二騎士団に配されたらしい……と、誰かが訳知り顔に話しているのを、()の中でオヅマはぼんやり聞いていた。興味がないようだった。

 だが、今のオヅマにとっては、とても重要な情報だった。


 オヅマは何度かヘルミ山に行ったことがあった。

 そこには貴重な薬草が生えていて、年をとって取りにいけなくなった薬師(くすし)のお婆さんに採取を頼まれたからだ。

 その時に何度か、この一風変わった馬の群れを見ていた。

 角があるのは基本的には(おす)であるようだった。

 黒い(ねじ)れた角が左右に一本ずつ生えていて、毛並みは白や黒葦毛(あしげ)が多かった。馬といえば多くは栗毛だったが、不思議とこの黒角馬に関して栗毛を見たことはなかった。

 角以外に特徴的なのが縮れた長い(たてがみ)だった。

 首を覆うほどに長く、毛量も多い。

 これは山羊(ヤギ)からの血統なのだろうか。

 お婆さんによると、おそらく大昔に山に棲んでいた古代種の山羊と野生馬が交雑したのだろうとの話であったが、正確なところはわからない。

 古代種の山羊はとうの昔に姿を消したが、相当に大きかったというから有り得ない話でもない。


 いずれにしろオヅマにとって、その馬は多少風変わりなだけの馬であったのだが、おそらくそのうちに価値を見出す人間が現れ、この馬は軍馬として珍重(ちんちょう)されることになるのだろう。

 だが今はまだ誰もその価値に気付いていない。


 不思議なことに、あれは()なのだと思いつつ、それが()()()()()()()なのだという確信がオヅマにはあった。(そう。父の時と同じように…)

 であればこそ、丘の上で思い立って、そのままここまでやって来てしまったのだ。

 途中で村の大工のおじさんに会ったので、母への伝言は頼んでおいたのだが、きっと心配しているだろう。

 マリーを連れてここまで来ることはないだろうが、一言、話しておくべきだったかもしれない。

 急に心細くなって身を縮めていると、バタンとドアが乱暴に開いた。


「おい、メシだぞ」


 騎士にしては柔和(にゅうわ)な印象の、けれど右眉から耳にかけて生々しい傷跡のある男は、持ってきたスープ皿とパンを無造作に机に置く。

 少しだけスープがこぼれたのをオヅマはもったいなく思いつつ、おずおずと椅子に座った。


 ヴァルナルはオヅマを一応、小さな珍客として扱うように部下に命じたらしい。

 とりあえずオヅマは兵舎の物置小屋の一隅(いちぐう)に案内され、家では考えられないような暖かそうな毛布と、やや埃っぽいものの、シミひとつないシーツに覆われたベッドの上で寝るように指示された。

 オヅマの家全部よりも広いその物置小屋には、使わなくなった家具などが白い布に覆われて置かれていたり、古びた甲冑(かっちゅう)が並んでいたりした。


 オヅマはこんないい部屋に宿泊させてもらえることに、心底驚き、感謝した。

 マリーがここに来たら、隙間風が一切吹いてこない室内で喜び踊ることだろう。 

 今だって目の前に置かれたパンとスープを見て、オヅマは目を丸くする。


「あ、あの…これ…」

「なんだよ。文句言わずにとっとと食え」

「食べていいの?! 本当に?」


 思わず声が大きくなったオヅマを、男は(いぶか)しげに見た。


「あ、あぁ……食え」


 オヅマはスプーンを取ると、スープに浮かんでいた茶色い物体をすくって、おそるおそる口に運んだ。

 噛みしめて、ジュワリとあふれた肉の味に感動した。


「に、肉だぁ」

「は?」


 男はポカンとオヅマを見た。

 ゆっくりと食べて肉を飲み込むと、今度はオレンジ色の人参のかけらを食べる。それからパンをちぎれば、外は固いが中はほんわりと柔らかい。必死になって咀嚼(そしゃく)せずとも、パンがするすると飲み込めてしまう。

 半分まで食べたところで、オヅマは男に尋ねた。


「あの、このパンって、持って帰っちゃ駄目かな?」

「あぁ? 持って帰ってどうするんだ?」

「妹に食べさせてやりたいんだ。こんな柔らかいパン初めてだから」


 男は唖然となると、深い溜息をついて目を閉じた。

 眉間を揉んでから、厳しい顔になってオヅマに言った。


「いいから、そのパンは食え。妹には明日、焼いたのを持たせてやるから」

「本当? 本当に!?」

「あぁ。ちゃんと食って、明日には領主様をヘルミ山まで案内しろ」

「ありがとう!」


 オヅマは大きな声で礼を言うと、また一匙(ひとさじ)スープをすくう。

 このスープもまた、じゃがいもやブロッコリーなど大きな具がゴロゴロ入っている上に、汁そのものがしっかりと塩気があっておいしかった。

 男はしばらく立ったままオヅマの様子を見ていたが、軽く溜息をつくとオヅマの寝る予定のベッドに腰掛けた。


「にしても…ヘルミ山に馬なんぞ本当にいるのか? お前、嘘だったら大変なことになるぞ」

「嘘なんてついてないよ。わざわざ領主様のところまで来て、嘘を言う理由ってなに?」

「しかしあんな何にもないところに…」


 男が言うのも無理はなかった。

 ヘルミ山はラディケ村から続く、北の森を北西に抜けた先にある。

 年間通じて山頂から吹き下ろされる冷たく強い風によって、木々は大きく育たず、低灌木(ていかんぼく)と岩の間にへばりつくような草がわずかに芽吹く程度だった。(そんな厳しい環境であればこそ、効能の高い貴重な薬草が育つのだと薬師のお婆さんは言っていたが)

 そのため動物もあまりいない。不毛の地とされていた。


木樵(きこり)だってあの山には行かないんだぞ。(まき)にできるだけの木もない…って」


 オヅマは頷きながら、パンを一生懸命、咀嚼する。

 男は片手を上げて言った。


「いいから、ゆっくり食え。わざわざ返事しなくていい。……そう、それにだ。裏崖(うらがけ)って言ったら、岩場ばっかりの場所だろう? あんな場所に馬がいるのかねぇ……」


 裏崖と呼ばれるのは、ラディケ村からは見えない山の北側部分。

 まだ南向きの尾根(おね)には小さな草花が咲いていたりもするが、北向きはやはり太陽の日差しがあまり届かないのか、雪解けも遅く、草花もあまり成長しないのだ。


「裏崖の中腹に水飲み場があるんだ。その周辺には草もわりとあるから…」

「へぇ? そんな場所があったのか?」

「岩の影に隠れてて、普通の道だと見えないんだ」

「お前はなんでそんなところがあるって知ってるんだよ?」

「薬草を探してて、偶然。でも、上から見えただけだよ。実際にそこに行ったわけじゃない」


 スープを最後まで飲み干して、オヅマは満足気なゲップをする。

 男はフッと笑うと、皿を持って立ち上がった。


「すまないな。もっと食べさせてやりたいが、もう鍋が空になってるから……食堂で一緒に食べた方が良かったかもな」


 オヅマはブルブルと首を振った。


「ぜんぜん! お腹いっぱいだよ。久しぶりだよ、こんなに食べたの。おいしかった!」


 男は目の前の少年に申し訳なくなった。騎士達の多くは「まーたシチューかよぉ」と、文句たらたらだったのだ。

 自分だって一時はその日の食べ物を確保するのも大変な境遇だったというのに、すっかり現状に慣れてしまって、まだしも十分な食事が食べられることに感謝することを忘れてしまっていた。


「じゃ、よく寝ろよ」


 立ち去りかけた男を、オヅマは呼び止めた。


「ありがとう! …あ! 待って。名前は?」

「……マッケネンだ」

「ありがとう、マッケネンさん」


 オヅマが激しく手を振るのに負けて、マッケネンは扉が閉まる直前に軽く手を上げて振り返した。

 食堂へと歩いていきながら、久々に遠くで暮らす弟に手紙でも書こうかと思った。

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