第六十四話 招かれざる客(1)
「あーあ…この後、なんもできねぇじゃねぇか」
オヅマはぶつくさ言いながら、アドリアンの手首に薬草から作った膏薬をべったり塗りつけて、手ぬぐいを割いて巻いていく。
アドリアンはなれない膏薬の臭気に眉を寄せた。
「くさい…」
「我慢しろよ、それぐらい。っとに、いちいち軟弱な野郎だな」
「くさいって言っただけだろう」
「そういう文句を言うのが軟弱なんだよ」
「………」
アドリアンは黙り込んだ。
確かに、いつもであれば我慢できそうなものだ。どうしてこの少年を前にすると、文句をつけたくなるのだろう…?
「よし、終わった!」
最後にキュッと結んでから、オヅマはバチンと思い切り患部を叩いた。
「………痛い」
「おまじないだろ。治るように、っていう」
「君のはそういうのじゃない」
ジロリとアドリアンが睨むと、オヅマはへーへーと気のない返事をして立ち上がる。
「ほら、行くぞ」
「どこへ?」
「挨拶しに。領主様の息子に」
「は? どうして?」
「領主様に紹介してやってくれって頼まれたんだよ。いいか、オリー……オリヴェルは体が弱いからな。無理させないでくれよ。でも、体が弱いってのをやたらと言うのは禁止だ。あいつ、プライド高いから」
アドリアンは眉をひそめた。
自分はともかく、オヅマはあくまでレーゲンブルト騎士団の一見習い騎士じゃなかったろうか? にもかかわらず、領主の息子を名前で呼び捨てにするなんて…どうしてこんな無礼をヴァルナルは許しているのだろうか。
「君、領主様のご子息と知り合いなのか?」
「友達だ」
「………え?」
「何だよ、その顔」
「いや…」
友達? 領主の息子と? 見習い騎士が?
混乱するアドリアンを見て、オヅマはイライラと怒鳴りつけた。
「早く! いいから行くぞ。っとに…いつまでそんな萎びたリンゴみたいな顔してんだ」
「萎び…って……君は、どうしてそういうおかしな誹謗をしてくるんだ!」
「ひぼー? 難しい言葉使いやがって…平民にゃわかんないねー。言っとくがな、これはただの悪口。怒るんだったら、もうちょっと気の利いた返ししてこいっての」
「………」
言っている間にもオヅマは小屋から出て、さっさと歩いて行く。
アドリアンは甚だ不本意だったが、ついていくしかなかった。とりあえず、今はここでの暮らしに慣れるまで、オヅマのそばから離れたら何をすればいいのかわからない。
領主館に入っていくと、オヅマは勝手知ったる様子で、時々すれ違う使用人達に気軽に声をかけながら進んでいく。
いつも修練場へと向かう廊下を途中で折れて、東棟の奥の階段を上がると、よく磨かれたドアの前で、朝見たオヅマの妹が立っていた。かたわらには茶器やお菓子を載せたワゴンがある。
「おう、マリー」
オヅマが声をかけると、マリーと呼ばれた妹がこちらを向く。パッと振り返った顔が明るくて、向日葵を連想させた。
「お兄ちゃん! それに…えーと…アドル! だったよね?」
アドリアンが頷くと、マリーは屈託なく笑った。
「ちょうど良かった。お兄ちゃん達が昼の休憩になったら来るって聞いてたから、今、お茶とお菓子用意したところ」
「ウォ! ピーカンパイだ。やった! 食おう食おう」
オヅマはワゴンの上の、ナッツのごろごろ乗ったパイを見るなり、小躍りした。アドリアンのことなどすっかり忘れた様子で、ドアを開けて入っていく。
オヅマよりも小さいマリーが、まるで母親のようなあきれた溜息をつくのが、アドリアンには少し滑稽だった。思わずクスリと笑ってしまって、マリーが見上げてくる。
「あ…ごめん」
「どうして謝るの? だって、おかしいでしょ、お兄ちゃん。いっつもあんなになるの。ピーカンパイ大好きで。あ、ごめんだけどドア開けてくれる?」
本来であれば小公爵である自分を顎で使うなど考えられることでなかったが、今はその身分を隠すようにと言い含められている。だが、たとえそうでなくとも、不思議とアドリアンは抵抗を感じなかった。
自然にドアを開けて、マリーを通してやる。それから中に入っていいのか、少し逡巡して立ち止まった。
「どうしたの? 早く中に入って、アドル。一緒にパイ食べましょ」
マリーの笑顔に許された気分になって、アドリアンはおずおずと中に入った。
だが、すぐに自分が招かれざる客であると知る。




