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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三部 第一章
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第四百六十三話 夜会にて ― 貴婦人たちの応酬(3)

「あーーーーー」


 ハンネが長大な溜息をつくと、ミーナはクスクスと笑った。


「もう、ハンネったら……普段の三倍は早口じゃなかった?」

「あら、そう? さっき潤滑油代わりにワインを飲んだせいかしら? それとも先に舌の準備運動をしていたからかしらね?」

「舌の準備運動?」

「そう。私も公爵閣下のご挨拶が終了したら、すぐにでもあなたに合流しようとしていたのよ。それなのに鬱陶しいのがチョロチョロとついて回ってくるもんだから『しつこい男は嫌い』って……」


 憤然として話すハンネに、ミーナはあらあら、と微笑んだ。


「そりゃあ、あなたのような妙齢の可愛らしいご令嬢がいらっしゃったら、声をかけないではいられないでしょうよ」

「冗談! この夜会で私にすり寄ってくるような男は、たいがいお兄様への橋渡し目当てよ」


 ハンネはいかにも苦々しく吐き捨てたが、彼女の立場であれば仕方のないことでもあった。

 夜会において騎士の多くは警備に当たったが、上級騎士の位を持ついわゆる士爵の者などは、客として出席していた。彼らはこうした夜会に参加し、貴族家の令嬢や有閑夫人と接点を持つことで、自らの更なる栄達であったり、或いは実質的な利益(=金銭など)を得ようと考える者が大半だった。

 ハンネの兄であるルーカス・ベントソンは、身分上は彼らと同様に士爵(上級騎士)でしかなかったが、公爵の右腕であり公爵家の騎士団を掌握する立場にある。その妹のハンネに近付いてルーカスと(よし)みを結ぼうと考える者は、騎士に限らず多くいるようだ。


「十七歳のときに初めて出席したときには、チヤホヤされて浮かれていたわよ。でも、すぐに彼らの目的が私じゃないってことに気付いて、それからはグレヴィリウスの夜会に来るのは避けていたの。でも、今年はね。公女様のことも心配だったし、マリーにも頼まれたし」

「まぁ、マリーが? あの子ったら、いったい何を……」

「いいの、いいの。私も今回は行きたかったから。お陰で、ミーナの雄姿も見ることができたわ。マリーに早速、手紙書かなきゃ」

「まぁ、やだわ。あんな口幅ったいこと……」


 二人でキャアキャアと笑い合っていると、言ったそばから着飾った男が二人、声をかけてきた。


「楽しそうでいらっしゃいますね。折角の夜会に来て、美しい方々が隅に隠れておられるのはよろしくない。あちらでご一緒に踊りませんか?」


 着ているものからして、おそらくは騎士か、准男爵といったところであろう。女二人が仲睦まじく話しているのを見て、これ幸いと話しかけてきたらしい。彼らの背後にも、幾人かの男共が興味津々と様子を窺っていた。

 ハンネとミーナは目を見合わせた。ここで受ければ、男達から次々にダンスを申し込まれ、つまらないお世辞を延々と聞く羽目になるだろう。となれば、答えは決まっている。


「申し訳ございません。先程、さんざ踊って足を痛めてしまったんですの」

「申し訳ございません。田舎者ゆえ最近の流行に疎くて……」


 二人はニッコリ笑って、きっぱり固辞した。それでも食い下がろうとする男たちに、ハンネはギロリと睨みつけて、冷たい声で忠告した。


「厚かましい男性は嫌われましてよ。それにミーナ様に声をおかけになるのなら、愛妻家のクランツ男爵に腕の一本程度ひねり折られても仕方ないとお思いなさいませね。おわかり? クランツ男爵ですよ、クランツ男爵。黒杖(こくじょう)の騎士にして、レーゲンブルトの狼軍団の首領、()()クランツ男爵を敵に回すおつもり?」


 男達があわてて逃げて行くと、追っ払ったハンネはフンと鼻をならした。


「さっきのブラジェナ様との悶着を見てなかったのかしら? ミーナがクランツ男爵の妻だと気付かなかったのかしらね?」

「大勢の方が集まっていらっしゃったから、後ろだと見えなかったのかも」

「まったく。感謝して欲しいわね。この場にクランツ男爵がいたら、全員明日には修練場に呼びつけられて、地獄を見ることになるわよ」

「まぁ、ハンネったら大袈裟よ。ヴァルナル様はお優しい方なんですから、無茶は言わないわ。少しばかり注意はするかもしれないけど」

「…………少しばかり、ね」


 ハンネは意味深につぶやいてから、軽く溜息をつく。まったく……知らぬは当人ばかり、だ。

 不思議そうに小首をかしげるミーナに、ハンネは尋ねた。


「ところでミーナは踊らないの? やっぱり最初はクランツ男爵と?」

「そうね……でも私、やっぱり最近のダンスはあまりよくわからないのよ。あなたにレーゲンブルトでいくつかステップを教えてもらったけど……」


 ダンス ―― 男女一対になって踊るという習俗は、現皇帝ジークヴァルトの最愛の妃であったセミアが流行らせたものだったが、十数年を経て今ではすっかり定着し、貴族の(たしな)みの一つとなっている。

 ミーナも初歩的なものを少しだけ学んではいたものの、長く踊っていなかったこともあり、毎年のように新たなステップが出てくる昨今では、もはや追いつくのは諦めていた。


「私はともかく、公女様はこれから皇宮(こうぐう)に招かれることもあるでしょうから、覚えておかれたほうがよろしいと思うの。だからダンスを教えてくださる方をルンビック様にお願いしようかと思っていて……ハンネは誰か適任の方、存じ上げない?」

「ダンス教師ねぇ。それこそ流行に合わせていくのなら、帝都にいる人にあたった方がいいかと思うけど」


 またおしゃべりを始めた二人に、今度は一人の女性が声をかけてきた。


「あの、クランツ男爵夫人」


 ミーナは振り返って彼女を見て、少し戸惑った。

 女性の顔はまるで決死の覚悟を決めたかのように強張っていた。呼びかけてからゴクリと唾を飲み込む様子も、相当に緊張しているらしいことが(うかが)える。


「はい。私はヴァルナル・クランツの妻、ミーナと申しますが……失礼ながら貴女様は?」


 問いかけながら、ミーナは素早く女を観察した。

 じっとりとこちらを見つめる青い瞳と、耳の前に垂らした茶色の巻き毛に、誰かの印象が重なってくる。なんとなく懐かしいような、妙な親しみのようなものを感じる自分が不思議だったが、彼女が意を決して名乗り出ると、その理由がわかった。


「初めまして、ミーナ……さん。私は、エディット・パレンと申します」

「…………」

「オリヴェルの、母親です」


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