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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三部 第一章
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第四百六十二話 夜会にて ― 貴婦人たちの応酬(2)

 アポレナの言い分はまったくもって一方的だった。

 ミーナは反論したかったが、夫が目の前で堂々と他の女を口説く姿を見せられたアポレナはすっかり激昂してしまい、まともな話し合いもできそうになかった。


 弁明しようとするミーナの背後から、粘りつくような高い笑い声が響いた。


「ホ、ホ、ホ! まぁ、アポレナ様。そのように一方的な言い方をなさるものではございませんわ」


 ミーナはものすごく嫌な予感がした。振り返るまもなく、隣にやってきた貴婦人を見て、息を呑む。

 上品な微笑みを浮かべて立っていたのはグルンデン侯爵夫人ヨセフィーナだった。

 先程ミーナへのわかりやすい嫌味を言ってきたオデル子爵夫人も、再び取り巻きの列後方に控えている。


 ヨセフィーナは狡猾に歪んだ口元を扇で隠しつつ、眉を寄せてアポレナを見つめた。


「アポレナ様。貴女(あなた)もう少し、クランツ男爵夫人を見習って、学んだほうがよろしくてよ。彼女の結婚式でのこと、お聞きになっておられないのかしら?」

「生憎、(わたくし)、クランツ男爵の結婚に招待されておりませんの」


 ツン、とアポレナが言い返すと、ヨセフィーナはニコニコと笑ってたしなめた。


「まぁ。それは当然のことでしょう。辺境の片田舎の領主の、しかも二度目の結婚式に、知り合いでもない小侯爵夫人を()ぶなんて不作法なことを、クランツ男爵夫人がなさるわけがございません。それともアポレナ様は招待していただきたかったのかしら? 確かにあの地にはかの有名なるレーゲンブルト騎士団もおりますし、ねぇ?」


 ヨセフィーナの言葉に、周囲の女性たちはクスクスと陰湿な笑みを浮かべた。

 夫のルーペルト小侯爵が節操なく浮名を流すのに対抗するかのように、アポレナ・アルテアン小侯爵夫人の騎士狂いは有名な話だった。彼女はアルテアン家に仕える騎士だけでなく、果ては騎士でもない傭兵すら寝所に呼ぶと専らの噂であった。

 無論、そんなことを知らないミーナは当惑するだけだったが。


「な……失礼な」


 真っ赤な顔で睨みつけてくるアポレナに、ヨセフィーナはパチリと扇を閉じると、冷たい表情で告げた。


「失礼はそちらですよ、アポレナ様。ご存知でないようですから、お教え致しましょう。ミーナ・クランツ男爵夫人の結婚式における真珠の髪飾りは、亡き公爵夫人のものです。公爵閣下が特に、と彼女に貸し与えることをお許しになりました」


 途端にザワザワと周囲がザワつき始める。アポレナは思わぬ事実に愕然としていた。

 貴族の結婚式において花嫁が身に付けるものとして、真珠の髪飾りは最も重要なものであった。新調して作るにしろ、貸してもらうにせよ、その真珠の髪飾りを()()()受け取るのか……というのが、花嫁の後ろ盾を示すものとして重要視されたからだ。


「つまり彼女の後ろ盾となっているのは亡き公爵夫人、ということです。貴女、亡き公爵夫人(リーディエ)様に逆らうおつもりかしら?」


 ヨセフィーナはリーディエの影をチラつかせて、アポレナに婉曲な恫喝を与えた。  

 彼女の取り巻きがまた次々に追随する。


「リーディエ様は何も言わずとも、公爵閣下は妻を侮辱されてそのままに……とはいきませんでしょうにねぇ」

義妹(いもうと)のプリシラ様の恥知らずな婚約者が、公爵閣下のお怒りをかったのを、もうお忘れなのかしら?」

「アルテアン侯は銀山まで差し押さえられたと聞きますのに。またご不興を買うようなことになれば、いったいどうなることやら」


 もはや劣勢明らかなアポレナを庇う者などいなかった。

 彼女はワナワナと身を震わせると、ギロリとミーナを睨みつけてから足早に立ち去った。


 残されたミーナは唖然とするしかなかった。

 アポレナが自分に対して怒る理由もわからなかったが、今、ヨセフィーナに庇われたようになっている状況もまた不可解でしかない。だが、相手はグレヴィリウス公爵の妹であり、アルテアン侯爵と並ぶ名家・グルンデン侯爵家の女主人である。無視はできなかった。


「お初にお目にかかります、グルンデン侯爵夫人。ヴァルナル・クランツが妻、ミーナと申します。御一同の集まる夜会にて騒ぎを起こし、申し訳ございません」

「騒ぎたてたのは、アポレナ・アルテアンの方でしょう。良いわ。顔をお上げなさいませ、クランツ男爵夫人」

「いえ……」


 ミーナは慎重であった。グレヴィリウスにおいては、前公爵夫人リーディエの影響で、この古くからある『一度の許しによって顔を上げる非礼』はなくなりつつある風習であったが、ここで下手に気安い態度をとれば、礼儀知らずの成り上がりと揶揄(やゆ)してくるのは目に見えている。


 ヨセフィーナはフフと目を細めて、もう一度呼びかけた。


「一応、まともな礼儀は身につけられたようですわね、クランツ男爵夫人。よろしいのよ、顔をお上げなさいませ。(わらわ)はまだ、貴女の顔を覚えておりませんのよ」


 二度目の許しによって、ミーナがおずおずと顔を上げると、口元を扇で隠したヨセフィーナと目が合った。ヨセフィーナは感情のわからぬ瞳でミーナをじっと見つめた後、ニコリと笑った。


「ホ、ホ……まぁ確かに。クランツ男爵はまことに美しい奥方を(めと)ったものですわ。先の奥方は()()()()グレヴィリウス累代の騎士の娘ではありましたけれど、容姿はまぁ……あなたとは比べようもございませんもの」

「そのようなことは……」


 ミーナは謙遜しつつ、チクリと刺してきたヨセフィーナに警戒を強めた。やはりただアポレナの癇癪から助けてくれた……という訳ではないらしい。

 案の定「でも……」と声が低くなって、いよいよヨセフィーナは本性を見せ始めた。


「容色を誇り、覚えたての作法を見せつけて、衆人の前で女同士、意見を戦わせるなど、あまり美しからぬ光景です。年末(としすえ)の家門の親交を深める場において、あのような殺伐たる仕儀。誠に残念です」


 いかにも沈痛とした表情で肩を落とすヨセフィーナに、取り巻きの女性たちが口々に励ます。


「お可哀相なヨセフィーナ様」

「公爵夫人亡き後にはグレヴィリウスの貴婦人を纏める立場として、和やかなる夜会となるよう、尽力されておられましたものを……」

「ブルッキネン伯爵夫人はああした人ですから仕方ありませんけど、クランツ男爵夫人はご身分からいっても、初めての夜会であることも考えれば、もう少し(わきま)えられるべきでは?」


 厳しい口調でミーナをとがめたのは、さっきミーナに言い込められたオデル子爵夫人だった。彼女はあの失態を挽回すべく必死のようだ。

 しかしこのときオデル子爵夫人に対して異を唱えたのはミーナではなかった。


「公女様の世話人として、クランツ男爵夫人を推挙なさったのは、リドマン伯爵夫人ですよ」


 割って入ったのはハンネだった。

 思わぬ伏兵にオデル子爵夫人が戸惑っている隙に、ハンネはズイと出てきて、居並ぶ婦人らに問いかける。


「オデル子爵夫人も、ソワール男爵夫人も、ご機嫌麗しいグルンデン侯爵夫人も、彼女の門下生でいらっしゃいますわよね? ちなみに私も現在、月に一度だけご教授いただいておりますの」


 リドマン伯爵夫人ヘリヤは家令ルンビックの姉であり、公女の世話人選出の際にミーナを選定した元皇宮女官。グレヴィリウス家門の貴婦人らの多くが、彼女から礼儀作法の教えを受けていた。


「初めての夜会で慣れぬ男爵夫人に心配(こころくば)りするようにと、先生より()()仰せつかっておりますの。皆様も仰言(おっしゃ)っておられたように、先程()()ブルッキネン伯爵夫人との舌戦もありましたし、さすがにお疲れのようですわ。しばし休息をとるべきだと思われますわよね? ()()()()()()()であれば、そうした配慮があって当然だと思いますわ」


 立て板に水とばかりにハンネはまくし立て、ミーナに寄り添った。

 ハンネの援護に、ミーナはニコリと笑ってから、再びヨセフィーナらに静かに頭を下げた。


「オデル子爵夫人の仰言(おっしゃ)る通り、慎みのないことを致しまして、さぞ皆様におかれては不快にも、不安にも思われたことでしょう。そのことについては謝罪致します。申し訳ございません」


 一度、自分の非を認める。女たちの溜飲が多少なりと下がったのを見計らって、ミーナは顔を上げると、しっかりとヨセフィーナを見つめて言った。


「ですが、あの場において公女様の威光を傷つけるがごとき物言いをされて、世話人として見過ごすことはできません。かつてグレヴィリウスの公女でもあられたグルンデン侯爵夫人であれば、よくおわかりのことと存じます」


 ヨセフィーナはもはやこの場において、ミーナに優位を示すのは得策でないと理解したのだろう。撤退は早かった。


「えぇ……もちろん! クランツ夫人の憂慮は十分に理解致しましてよ。公女のことをよくよく考えた上での立ち居振る舞い、見事なものです。では、ごきげんよう」


 扇の上から覗く目だけはにこやかに、ヨセフィーナは取り巻きを引き連れて去っていった。


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