第四百五十四話 アドリアンの心配事(4)
「え? どうして?」
妙に深刻そうな様子に、アドリアンはキョトンとしてしまった。
オヅマの眉間に神経質な皺が寄る。
「……お前の立場上、ある程度、仲良くしなきゃいけないのはわかってるけど、皇太子とはなるべく距離をとったほうがいい。たぶん」
「オヅマ。君、皇太子殿下と会ったこと……ないよね?」
「ないけど、なんか……嫌な感じがするんだよ」
かすかな嫌悪を滲ませるオヅマに、アドリアンはふと忘れていた疑問を思い出した。
「そういえば君、以前に皇宮のことについて話していたけど、どうして知ってるんだ?」
「は……? なにが?」
「前に……君がズァーデンへ修行に行く前だよ。帝都の話になったときに、北宸宮の話をしていたじゃないか。どうして君、知っていたんだ?」
皇宮の中でも、最もプライベートな空間である北宸宮に、足を踏み入れられる人間はごくごく一部。ほとんどの人間は、その宮の名前すら知らない。
その時にはまだ帝都に行ったこともないはずのオヅマが、やたらと帝都や皇宮について詳しく語ることに、アドリアンはひどく違和感を覚えたものだった。今、思い出して、また疑問が再燃する。
だがオヅマの反応は鈍かった。
「そんなこと話したっけな? 覚えてない」
「魔除けの花のことだって、言ってたろう?」
「知らん」
あまりにもずっぱりと言い切るオヅマに、アドリアンは唖然となった。あそこまで言及しておいて、知らないわけがないだろう、と言いたかったが、オヅマは鬱陶しげにその話については打ち切った。
「ともかく俺としちゃ、あんまり皇太子殿下には近付かないほうがいいと思う、ってだけだ。その宮殿とかにも、一人で行かないほうがいい」
「それは……わかってるよ」
アレクサンテリについて『嫌な感じがする』のは、アドリアンも同様だった。
感情の読めない紺青の瞳同様に、何を考えているのかわからない。そのくせこちらについてはすべてご存知といわんばかりの態度で、アドリアンをおちょくってくる。警戒しないはずがない。
「相手はいっても皇太子殿下なんだから、そうそう気安くなんかできないよ。一人で会うといっても、向こうには常時お付きの人が控えてるんだ。見える場所にも、見えない場所にもね」
安心させるために、いつもアレクサンテリと会うときの状況を説明したが、オヅマの顔は晴れなかった。
ボソリと、陰気につぶやく。
「…………そんなのは意味ない」
「え?」
「いや。まぁ、エーリクさんも一緒なら、あの人がお前を一人になんかさせないだろうし、心配してないけど。あ、それよりヨナーシェクさんのことだ。俺、これからあの人と月に一回、飲みに行くから」
「はあぁ??」
いきなり話が変わって、アドリアンは目を剥いた。思わず大声で聞き返す。
「ヨナーシェクと飲みに行く? ……どういうことだ!?」
「休校日があるだろ。その前日の夜にダモスダ(*帝都で有名な盛り場)で酒を奢ることになってさ。ま、ハヴェルの話とか色々聞きたいこともあるし、ヘルのオッサンも出掛けるらしいから、あの人とも話そうと思って。酒が入ると、たいていの人間はよく口が滑るからな」
「……情報収集ってこと?」
「そんなもんだ。そうじゃなくても、普通に親交を深めるのは悪いことじゃないだろ」
「普通に親交を深めるなら、寮でだってできるだろう」
「ハッハー! ま、そこはそれ。下々の者たちなりの、仲良くなる方法ってのがあるんだよ」
「ヘルフリッド公子は貴族だろ」
「あのオッサンは例外。お前だってよくわかってんだろ」
「それは……そうだけど」
否定できなかった。
ヘルフリッドが少々、貴族の枠組みから外れた人間であるのは、話すたびに感じることだ。オヅマも警戒しつつ、なんだかんだとヘルフリッドと話すのは楽しいのだろう。
だが……
「……君、酒を飲む気か?」
アドリアンが心配するのはそこだった。
レーゲンブルトでの騎士見習い時代、多くの二日酔いの騎士たちを見てきた。飲酒に対しては、あまりいい印象を持てない。
(ちなみに帝国において未成年の飲酒禁止は明文化されておらず、同席・提供する大人の良心に任されている)
「ヨナーシェクさんがどれくらい飲むのか知らないけど、君がつき合って具合を悪くしたらどうするんだ」
「俺は飲まねぇよ。心配しなくっても、俺だって騎士連中の酒飲みにつき合ってきたんだ。酔っ払いのあしらい方は心得てるさ」
オヅマの言葉に、アドリアンは不承不承ながら頷いた。
実際、オヅマと一緒に騎士らに誘われて酒場に行ったこともあるが、酔っ払いに絡まれても、オヅマは上手くかわしていた。二日酔いの騎士には、薬草を煎じて飲ませたりして、介抱したりもしていた。
「月に一度……か」
アドリアンはそれでも慎重だったが、自身の状況を思い返してハタと気付く。
そもそも休校日には、自分もまたランヴァルトに会おうと考えていたのだ。オヅマの申し出は、むしろ奇貨とすべきなのかもしれない。
「わかった。まぁ、君もずっと寮にいるのも気詰まりだろうしね」
アドリアンは了承した。
オヅマの為ではなく、自分の為に。
今はアドリアンが会いに行く『友人』が皇太子であると勘違いしているようだが、時々鋭いオヅマのことだ。少しの違和感を嗅ぎ取って、自分も行くと言い出すかもしれない。そうならない為には、オヅマの不在時に行くというのが一番良い。
一方、オヅマもまた、別の理由でホッとしていた。
「おぅ。勉強ばっかしてたら、体がムズ痒くなってきて、大声上げそうになるからな。息抜き、息抜き」
軽口を叩きながら、素早く算段を組む。
ヨナーシェクの飲みにつき合って、いい頃合いで別れ、適当な安宿を見つけて毒を服んで一泊、できれば二泊。月に一度だから、体がなれるまでには時間がかかるだろうが、これでひどい禁断症状が出ることはないだろう。
―――― 毒がなれるまでの間は、最低でも月に一度は毒を取り入れること。
夢で、化け物道化が言っていた。
脳裏に浮かび上がる忌々しい老人の姿は、エラルドジェイに結びつく。
あの夢を見たあと、エラルドジェイに事情を聞きたかったが、生憎と仕事で不在だった。ラオも詳しくは知らないようだったが「帝都に向かったから、向こうで会えるんじゃないか?」と言っていたので、帝都方面ではあるのだろう。ヨナーシェクにつき合って夜街をうろついていたら、どこぞの娼館の前ででも、バッタリ出くわすかもしれない。……
オヅマの思惑など知らず、アドリアンは釘を刺す。
「うん。でも、入学してからだ。一般の試験が終わってから。どうせ今月は休校日はないはずだろう?」
「あぁ。俺らは一般の入学試験だし、ヨナーシェクさんたちは年末考査だろ。っとに、どいつもこいつも血走った目しちゃってさ。俺、アカデミーって、もっとのほほーんとしてると思ってたのに、なんか殺伐としてるよな。あの出歯鼠公子(=オットー)も、最近じゃ嫌味言う気力もないみたいだしさ」
寮に来たときから、何かしらアドリアンらに突っかかってくるニーバリ伯爵家のオットーも、差し迫ってきた大考査と課題提出で忙しいらしい。馬鹿にしていた小公爵が、貴族試験で文句なしの一位という結果を出し、かなり驚いたようだ。
そんな大層頭のよろしい小公爵様は、クスリと微笑んで、少しだけ気の毒そうに肩をすくめてみせた。
「浄闇の月は試験ばかりだからな。それでもまだマシさ。夜会に出ることに比べたら」
「夜会?」
「そろそろグレヴィリウスの夜会が開かれる頃だ。ティアからも手紙が来てた。公女としてお披露目があるみたいだ……」
「そういやそうだったな……お前、やきもきしてんじゃねぇの? ティアが鬱陶しい奴らにいじめられるんじゃないか、って」
オヅマは少し茶化して言ったが、アドリアンはふっと柔らかな微笑を浮かべた。
「……いや。あの子は僕より数倍、賢い子だ。きっと上手くやるさ」
アドリアンはティアの姿を思い浮かべながら、窓の外に青く広がる空を眺めた。
数ヶ月前は、初めて会う異母妹に戸惑うばかりであったのに、既にアドリアンの中で、ティアはたった一人の大事な妹となっている。
「ティアは優しくて、毅い子だ」
その声には妹への確かな信頼があった。
オヅマは思わず目を細めた。
どうやら不器用な兄と妹は、本当の家族になれたようだ……不器用な父を除いて。




