第四百五十話 グレヴィリウス寮の面々(6)
「さっきの彼は、給費生か?」
アドリアンが尋ねたのは、いつの間にか消えていたヨナーシェクのことだった。
平民出であるのに、この寮に入っているのは、グレヴィリウス家から学費や生活費の援助を受けて、アカデミーに通う給費生だ。
数年に一度、グレヴィリウス家が援助する私塾や、既にアカデミーに在籍する成績優秀者の中から一~二名が選出され、卒業までの学費、生活費の援助が受けられる。基本的に返還義務はないが、卒業後はグレヴィリウス公爵家で一定期間、働かねばならない。無論、この条件が受け入れられなければ、給費を断るのは自由であったが、グレヴィリウス公爵家という名門で働くこと自体、よほどのコネがないと難しいために、断る者はほぼいなかった。
グレヴィリウス家でも、将来的に優秀な実務家を手に入れられるため、彼らのことは寮内においても、貴族子弟同様に扱うこととされている。ただ、先程のヨナーシェクの態度からして、その原則が空文化しているのは明らかであった。
「ハァ……まぁ、ハイ。急遽、そういうことになりました」
ヘルフリッドはアドリアンからの問いかけに、どこか思わせぶりな態度を示す。すぐにオヅマが反応した。
「なんだよ、意味ありげだな。急遽、ってなに?」
「いや、ハハ。ヨナーシェクはこの寮とは縁の深い人間でして。元々はアルビンの勉強手伝いという名目でこの寮に入ってきたらしく」
「は? アルビン?」
すぐに思いつかないオヅマに代わって、マティアスが険しい顔で尋ねた。
「アルビン・シャノルのことですか? ハヴェル公子の乳兄弟だとかいう」
ヘルフリッドは、うーん? と首をかしげた。
「あれを乳兄弟と呼ぶのかな? 彼は正しくはハヴェル公子の乳兄弟の兄で、純然たる乳兄弟とは言い難いような。ま、それについては措くとして。アルビン・シャノルが、ハヴェル公子の最も近しい取り巻きであるのは間違いないですね」
「アルビンの勉強手伝い、ってどういうことです?」
アドリアンが不思議そうに問うと、ヘルフリッドはフフッと鼻をならした。
「いやね。小公爵様と同様に、ハヴェル公子も近侍の方々 ―― あ、いや近侍みたいなもの? かな? ―― ま、取り巻き連中と一緒に寮に入ってきたワケです。その中にアルビンもいたわけですが、コイツがまぁ……さほどに頭が良くなかったようで、どうにも成績が振るわなかったんでしょうね。で、このままだと落第。主であるハヴェル公子の面目丸つぶれということで ―― ホラ、小公爵様もそうでいらっしゃるでしょうが、近侍らがあまりに成績が悪いと、主の監督責任云々かんぬんと、うるさく言う輩もいるでしょう? ま、そんなわけで、勉強相手としてヨナーシェクを連れてきたわけですよ」
「じゃあ、ヨナーシェクはハヴェル公子らと面識があったのか?」
アドリアンが一番気になることを訊くと、その場にピリッと緊張がはしる。それを知ってか知らずか、ヘルフリッドはナラタケをしがむように食べながら、のんびり答えた。
「そうですね。元々ヨナーシェクはアルビンと幼馴染みだったようです。なんでも亡くなられたグレヴィリウス公爵夫人が設立した私塾で一緒だったとかで。ヨナーシェクが優秀であるのを知っていて、アルビンが呼び寄せたんでしょうな」
「で、勉強相手って……何をするんだい? アルビンにつきっきりで勉強を教えてたってこと?」
「ハ……ま、表向きはそうです」
「実質は?」
鋭く問うオヅマに、ヘルフリッドはケロリと答える。
「アルビンの代わりに宿題をしたり、論文を書いたり。最終的にはアルビンに化けて試験を受けていたこともあったとか、なかったとか……」
「なんだそれは!」
アドリアンが声を荒げた。「ただの身代わりじゃないか!」
「まったく、あきれた話だ」
「そんなことしたって、自分に学力がつかなければ意味がないじゃないか」
マティアスはため息をつき、テリィですらももっともなことを言う。
しかしヘルフリッドは肩をすくめて言った。
「ヨナーシェクにも全く実利がなかったとは言えませんよ。奴さんは奴さんで、アカデミーに入学するのは夢であったわけですから。生徒としてでなくとも、勉強手伝い名目で、アカデミー内に入ることは可能でしたからね。まぁ、それも誰ぞがたーんまり袖の下を利かせたんでしょう……おそらく。その分の対価として、少々お頭に問題が多い公子方々の面倒もみる羽目になって、いろいろ苦労したようです。その頃から酒を飲むようになったみたいでね。今じゃ、ダモスダ(*帝都の盛り場の一つ)では、そこそこ名の知れた飲んべえ三勇士の一人です。ちなみにあとの二人は ―― 」
「それでハヴェル公子に認められ、彼が卒業した後に給費生になったと?」
ヘルフリッドのお喋りに流されるまま話が逸れそうになって、アドリアンは遮って尋ねた。
しかし、オヅマがすぐさま否定する。
「違うだろ。さっきも言ってたじゃんか。『急遽、そういうことになった』って。つまり、最近になって給費生ってやつになったんじゃないのか?」
オヅマの疑問に、ヘルフリッドは大きく感心したように頷いた。
「そういうことになります。ま、ハヴェル公子らが卒業した後にも、彼は下男として寮に残ったんですよ。色々面倒はあっても、グレヴィリウス寮はアカデミーの敷地内に……まぁ、校舎からは多少……いや、かなり? 離れているとはいえ、一応敷地内にあるわけで、そこは奴にとっても憧れの地ですから、できるならば近くにいたいと……それにこの寮にある大量の本をタダで読めるというのも、まま魅力的な環境だったんでしょう。いってもグレヴィリウス寮の図書室というのは、なかなかに有名ですからね。それこそかの老公・ベルンンハルド様が権力と財力に物言わせて蒐集した稀書や標本なども様々にございますから。そうそう標本といえば……」
また話が逸れそうになるのを、アドリアンは冷静に元に戻した。
「じゃあ、ヨナーシェクは最近まで下男であったということですか? でもそれだと……」
給費生は基本的にはアカデミーにてある程度の成績を修めた後、自己申請して、グレヴィリウスの係官の面接を経て選抜される。そのため、一年目から給費生になるということは稀だ。それこそ先程話に出てきたグレヴィリウスに由縁のある私塾などで、塾長などからの推薦状などを得て、必ずアカデミーの試験に合格できるという確証が得られない限り、初年度から給費生として認められることはない。
ヘルフリッドはうんうんと頷いて、いかにも残念そうに話を続けた。
「いや、まったく。ハヴェル公子も罪な御人ですよ。ヨナーシェクには『いずれ給費生にしてやる』なんて安請け合いしていたようなんですよ。しかし、待てど暮らせどなんの連絡もなく……」
ヘルフリッドはヨナーシェクの心情を表すかのように、いかにもしょぼくれたようにうつむいてみせる。しかしやにわに顔を上げて傲然と言い放った。
「で! 最終的には私が追い出したんですよ。いつまでもハヴェル公子の口約束なんて待ってないで、自分で試験を受けてアカデミーに入んなさい、ってね。学費やら試験費用については、民間でそういうのを援助する団体 ―― なんて言いましたかね?『あなたの手』? 『みんなの手』? いや、何かお願いするみたいな……『願いの手』だったかな?」
またぞろ話が逸れそうになってきて、アドリアンがうんざりしていると、オヅマが静かに合いの手を入れる。
「『祈りの手』」
「おぉ! そうそう!『祈りの手』でした。それね、それ。なんとも奇特な団体もあったもんですよ。ま、そんなところもあるぞと紹介してやったんです。当人もハヴェル公子らに忘れ去られたと半ば諦めておりましたから、もう自棄っぱちで、ここを出て、試験を受けて、めでたく合格! 正真正銘のアカデミー生ですよ。いやー、奴さんの晴れ晴れした顔、あのとき初めて見ましたよ。その日は祝いということで、ビールの大樽買って居酒屋の客にも大判振る舞いしちゃって、後で実家からこってり叱られまして ―― 」
ハハハと豪快に笑っているヘルフリッドの話を遮って、アドリアンは生真面目な顔で尋ねた。
「つまりヨナーシェクは一度、寮を出たわけですね? それでアカデミーに合格して、舞い戻ってきたということですか?」
「いや、いや。正直、ヨナーシェクにとってはこの寮はあまりいい思い出はないですよ。本がしこたま読めたという以外は。それにアカデミーに入ったとなりゃ、またぞろアルビンみたいなのが、奴さんを頼ってくるかもしれないじゃないですか」
「ヘルさん筆頭に?」
「いや。私は別にいい成績を取るつもりがございませんので……。というか、オヅマ公子。今の “ヘルさん” というのは、もしかして私のことですか?」
「そうだよ。ヘルさんか、オッサンか、どっちがいい?」
思わぬ二択に、ヘルフリッドはすっかり弱り切った様子でアドリアンに助けを求めた。
「小公爵様ぁ~。オヅマ公子はちょーっと意地悪じゃないですか~」
「ヘルフリッド公子。オヅマが渾名で呼ぶのは、ある意味、親愛の証だと思ってもらうとよろしいですよ。ちなみにブルッキネン公子は『怒りん坊マティ』で、テルン公子のことは『泣き虫テリィさん』と呼んでます」
澄まし顔で説明するアドリアンにヘルフリッドは呆気にとられ、マティアスは苦虫を噛み潰し、テリィは恥ずかしそうに身をすぼめつつ、また泣きそうな顔になる。
オヅマは最後まで残していたニンジンのグラッセを口に放り込むと、もぐもぐと咀嚼しながら勝手に決めた。
「ま、ヘルのオッサンでいいか」
「オッサンとはひどい……」
「エーリクさんも最初は老け顔だと思ってたけど、アンタにゃかなわないよ。年相応になるまでに二十年はかかりそうだ」
「やれやれまったく。口減らずな小鬼が来たもんだ」
ヘルフリッドはペシペシと自分の毬栗頭を叩いて溜息をつく。
アドリアンは笑みをこらえながら、再びヨナーシェクについて尋ねた。
「それで一度はこの寮を出たヨナーシェクが急遽、戻ってきたというのは?」
「はぁ、さて。どういうことだか、今頃になってハヴェル公子が昔の口約束を思い出したようですよ。ヨナーシェクの成績が優秀であることを認めて、給費生に推薦したから、寮に戻るようにと。例の慈善団体から借りていた学費も、すぐにグレヴィリウスの方から返済されたようでしてね。ヨナーシェク当人も急なことに目を回している間に、あれよあれよと事が運んで、気付いたら寮に戻ってくる羽目になった……と」
「つまりヨナーシェクは、ハヴェル公子の送り込んだ我らの監視役ということか」
マティアスが重い口調で言うと、ヘルフリッドはまたうーんと首をかしげたが、否定はしなかった。
「ま、そこのところは一度ヨナーシェク当人と話してみるとよろしかろうと思いますよ。但し、彼が小公爵様らに対して素直に応じるとは限りませんが」
「そりゃ、ハヴェル公子側なんだったら、僕らに対して素直であるわけがないさ」
プンと口をとがらせるテリィに、ヘルフリッドは曖昧に笑った。
「……さて。どうかな……?」
小さなつぶやきを聞いたのはオヅマだけだった。なんとなく気になりつつも、その時は聞き流した。おそらく意味を問うたところで、ヘルフリッドはとぼけて答えないだろう。
それからしばらく、ヨナーシェクについては様子見となったのだが ――― 。
思わぬ形で、オヅマはヘルフリッドの言葉の真意を知ることになる。




