第四百四十六話 グレヴィリウス寮の面々(4)
「え?」
「は?」
突拍子もない申し出に、アドリアンもオヅマも呆気にとられた。
最初から「お願いします!」と言ってきたヘルフリッドに、アドリアンもオヅマも、何かしら特別待遇を要求してくるのだろうと思っていたのだが、まさかの展開にしばし言葉を失う。
「……冗談ですか?」
ややあってアドリアンが問うと、ヘルフリッドは顔を上げてブルブルと首を振った。
「まさか! 本気ですよ!!」
「ヘルフリッド公子。貴方はアルテアン侯爵の子息ですよ。ご自分の身分はわかっておいでですよね?」
通常、近侍となるのは伯爵以下の子弟であり、侯爵家の子が近侍となることはない。侯爵家ほどの家格となれば、嫡男は近侍を持つほどなのだ。五男ともなれば、さすがに近侍はつかないにしろ、公爵家に次ぐ名門という面目もあって、侯爵家から近侍を出すようなことはしない。
しかしヘルフリッドは平然としたものだった。
「勿論、自分のことはよぉくわかっております。将来的には母方の親戚に娘ばかりの家がありますから、おそらく婿入りでもして、適当に子爵あたりを継ぐことになるんじゃないかと思っていますが……ま、ですから実質的には子爵の息子みたいなもんですよ。テルン公子と同じ」
「そんな無茶な……」
呆れ返って言葉も出てこないアドリアンに対し、オヅマはずっぱりと指摘した。
「なんだよ。だったら、とっとと卒業して、結婚して、子爵にでも何でもなりゃいいだろ」
「いや、はは。それは、ソレ。なかなかに卒業させてもらえませんで」
ヘルフリッドは情けなさそうに頭をポリポリ掻く。オヅマはさらに追及した。
「マティが言ってたけど、成人してもここにいるってのは恥ずかしいことなんだろ? 普通は在籍って証明書をもらって、出て行くらしいじゃねぇか。アンタ、恥ずかしくないの?」
あけすけに問われて、ヘルフリッドはたまらないように、ハッハッと大笑いした。
「いやー。オヅマ公子にはかないません。ま、正直なところ、厚顔無恥でおれば、ここの生活は快適ですよ。適当に勉強して、実家からそこそこの小遣いをもらって、自由に過ごせます。私もこう見えてまだまだ若い身ですのでね。気の強い妻の尻に敷かれて子爵で縮こまって過ごすのなら、少しでも猶予期間を延ばしたいわけです」
「ふぅん。成程ね。で、小公爵様の近侍になれば、学友待遇で在籍期間が延びるってワケだ」
ヘルフリッドが十三歳で入学したとして、来年十八歳となれば、既に五年。
アカデミーは七年の間に卒業要件を満たさないと、強制的に退学させられる。だが近侍になれば、特例として、アドリアンの卒業まで共に在籍が認められるだろう。
無論、それが建前としての理由であるのは見え透いているが。
「そんな理由で近侍になるなんて、アルテアン侯も認めないでしょう」
アドリアンがあきれたように言うと、ヘルフリッドは余裕の笑みを浮かべた。
「そこは、ソレ。入学試験を控えてお忙しい小公爵様をわずらわせることのないようにと、あらかじめ父には手紙を送りました。一応、子爵家の方にもね。どちらからも、随意にせよ、と返事をもらってます」
「どっちかつーと、勝手にしろ、じゃねぇの。アンタ、侯爵家からも婿入り先からも見放されてるだろ?」
「バレましたか?」
遠慮のないオヅマの質問にも、ヘルフリッドはまったく恥じらうこともない。
アドリアンは困惑しつつ、ヘルフリッドに尋ねた。
「そうまでして、ここにいたい理由は?」
「そりゃ勿論。遊ぶためです」
「…………はい?」
聞き間違えたのかと思ったが、ヘルフリッドはそれこそ滔々と、まるで舞台役者の独白のように語った。
「一度きりの人生ですよ、小公爵様。しかも体の自由がきいて、耳も目も頭もシャッキリしている期間というのは、案外短いもんです。心身ともに凜々と、充溢した人生の最盛期を、思う存分、心ゆくまで、楽し~く過ごすのは、人として生まれた義務のようなものです。『遊び給え、人生。それこそが人なる姿ぞ』と、詩にもあるでしょう?」
アドリアンはもはや何も言えなかった。
今まで真面目一辺倒に生きてきたアドリアンからすると、ヘルフリッドは別種の生物に見えた。オヅマもフザけたりはするが、基本的には勉強でも訓練でも、真面目に取り組んでいる。テリィも時にサボったりするが、そういうズルをした自分にやましさを感じるだけ、まだマシと言える。
だが、ヘルフリッドはもはや堂々と、自らの快楽を追求することを宣言して憚らない。
アドリアンにとっては未知の人間だった。
「それで、僕が認めると思いますか?」
アドリアンが半ばあきれて尋ねると、ヘルフリッドは心外とでも言いたげに「駄目ですか?」などと反対に聞き返してくる。
軽く頭痛がしてきて、アドリアンは眉間を揉んだ。
「……僕が認めたとしても、公爵閣下がお許しになるかどうかはわかりませんよ」
実際、自分の一存で決められることではない。だが、ヘルフリッドは平然としたものだった。
「まぁ、大丈夫でしょう。ちょうど近侍の一人が抜けたと……さっきも話が出てましたね。欠員補充ということで、侯爵家の厄介者を一人抱える程度であれば、そうそう目くじらたてられることもないですよ、たぶん」
「厄介者って、自分で認めちゃうんだ」
オヅマが皮肉めかして言うと、ヘルフリッドはまた軽く肩を竦めた。
「そう思いたい者に、そう思わせるだけのことですよ。相手も自分も、それが一番心安らかに過ごせます」
「ふぅん。成程ねぇ」
オヅマは頷いてから、意地悪く言った。
「生憎こっちは一人程度の欠員が出ても、さほどに困ってなくてね。だいたい、会ったばっかのアンタのために、なんで小公爵様がわざわざ公爵閣下に頭下げて頼まないといけないんだよ」
ヘルフリッドはおそらく正攻法で近侍になる ―― 家令や補佐官などによって選ばれる ―― ことが無理だから、アドリアンからの要望という形で進めようとしているのだろう。確かにそうした例がないわけでもない。ヴァルナルも元々はただの騎士見習いであったのが、クランツ家の養子となった後に近侍待遇となっている。
だが ―――
「近侍になりたけりゃ、アンタが直接、公爵閣下に願い出れば?」
オヅマはあっさりとヘルフリッドの希望を砕いた。そもそも会ったばかりの男をヴァルナルと同等に扱えるわけがない。
「ツレないことを言わんでくださいよぉ~、オヅマ公子」
さっきまで、ふてぶてしいほどの態度であったのに、オヅマに痛いところを衝かれた途端に、ヘルフリッドは哀れっぽく訴えてきた。
「公爵閣下の怒りを買って、銀山とられて、それでなくとも女にしか興味のない色ボケジジィと、親父と似たり寄ったりの嫡男のせいで、すっかり落ち目の侯爵家の五男ごときが、雲の上の公爵閣下に会えるわけがないでしょぉ~」
「アンタの事情は知らん。こっちだって、受験間近で忙しいんだ。近侍の増員を願い出るなんて面倒くさいことをしている暇はないんだよ。だいたいアンタを近侍にしたって、アンタが得するだけで、俺らにゃ何もメリットがないだろ」
「ふぅ……む」
ヘルフリッドは渋い顔になって考え込む。
「つまりは、小公爵様が私を欲しがるくらいの、何かしらの理由が必要だということですか?」
オヅマは頷いたが、アドリアンは曖昧に笑って言った。
「欲しがる……ほどでなくとも、少なくとも側にいてもらうのであれば、最低限の信頼関係は必要だろうと思いますよ」
「うーん……信用を築け、ということですか」
「会ったばかりの人間の言うことを簡単に聞くような相手だったら、貴方は僕を内心で馬鹿にするでしょう? ご自分の父上や兄上に対しても、大いに思うところがおありのようだし」
アドリアンの皮肉に、ヘルフリッドは苦笑した。それは会ったときから慇懃な仮面を被っていたヘルフリッドが、初めて見せた素顔に近かった。
「ハハッ! うっかり口を滑らしておりました。いや、確かにその通りでございます。ま、卒業期限までには小公爵様の信頼を勝ち取れるよう、励みましょう」
言いながらヘルフリッドは立ち上がる。
アドリアンはすぐに釘を刺した。
「まずはきちんと勉強をすることですね、公子。僕がアカデミーに来たのは公爵家を継ぐために、十分な知識を積む必要があるからです。近侍らもそれぞれに事情は違っても、皆、勉強するためにここに来たのです。ヘルフリッド公子が僕の近侍になりたいのであれば、きちんと勉学に勤しむことを約束してください。そうでなければ、僕は認めません」
「真面目な方でございますね、小公爵様は」
ヘルフリッドはニコリと笑うと、恭しくアドリアンに頭を下げた。
「小公爵様の御心のままに。不肖、ヘルフリッド・ペルヴォ・アルテアン。この毬栗頭に誓って、小公爵様のおられる間はきちんと勉学に励むことを誓いましょう」




