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昏の皇子  作者: 水奈川葵
第三部 第一章
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第四百四十三話 グレヴィリウス寮の面々(1)

 レーゲンブルトからひと月以上かかってようやく帝都に着いた小公爵一行は、ひとまずは帝都の公爵邸で旅の疲れを癒したが、そこから更に引っ越しせねばならなかった。


 帝都はヤーヴェ湖の半島にある皇宮(こうぐう)を中心として、三日月型に大きく弧を描いた隔壁によって守られている。一番内側にある最も古い隔壁は、白剛石という硬石を積み上げて作られた外観から白楼壁とも呼ばれ、都市機能は概ねここに集中している。この白楼壁内がいわゆる都で、主立った貴族らの屋敷があるのもこの中だ。当然ながらグレヴィリウス公爵邸も郭内の、貴族区画であるメンセ川北岸に最も広大な邸宅を構えている。

 帝都の隔壁は、その都市の拡大に伴って二重、三重になっていったのだが、アカデミーは一番新しい三番目の壁 ―― 通称、赤楼壁を少し歪ませるような形で、ぎりぎり隔壁内に建っている。というのも元々アカデミーは帝都の郊外にあったのだが、先代のシェルスターゲ皇帝の時代に、猛威を振るう伝染病を堰き止めるためという理由で、新たな隔壁が作られることになり、無理やりアカデミーを郭内に入れ込む形で造成されたのだった。

 ちなみに白楼壁内を白郭(フェムト)、その次にある青楼壁内を青郭(ヴァーゼント)、赤楼壁内を赤郭(ミァント)と通称する。

 この赤郭(ミァント)の端にあるアカデミーに、白郭(フェムト)にあるグレヴィリウス公爵邸から通えないこともないが、直線距離でもおよそ七里近くあるため、毎日通学するのは難しい。そのためグレヴィリウス家では、公爵継嗣用の寮を特別にアカデミー内に作った。(無論、そのために莫大な寄付を行ったのは言うまでもない。)

 アドリアンを始めとする近侍らも、そのグレヴィリウス寮へ入らねばならない。


「でも、継嗣用だったとしたら……前に公爵閣下が卒業してからは、ずっと空き家だったってことか?」


 向かう途中、カイルに騎乗して進むオヅマの問いに、隣で馬に乗って歩いているマティアスがいつものように鹿爪らしく答えた。


「継嗣が不在の場合においても、グレヴィリウス家門の子弟であれば入寮できることになっている。公爵家から特別許可を受けた給費生などもいる」

「じゃあ、先客がいるってことか」

「客じゃないだろ。先輩だよ、どっちかというと……」


 アドリアンが背後から声をかける。

 今回は持ち馬を連れて行くこともあって、テリィ以外は全員騎乗して、寮に向かっていた。テリィも最初は騎乗していたのだが、振り落とされそうで危なっかしいという理由で、自分が持って行く大量の荷物と一緒に馬車に押し込められている。

 それはさておき。

 マティアスはアドリアンの言葉に頷いてから、説明を続けた。


「現在、グレヴィリウス寮を取り仕切っているのは、アルテアン侯爵の五男、ヘルフリッド・ペルヴォ・アルテアン公子だ。確か年は十七歳……」

「十七? え? 年明けて十七歳ってことか?」

「いや、来年には十八になられる……はずだ」

「成人してんじゃん。なんでいるんだよ、その人」


 通常、アカデミーに入る貴族子弟は十三歳で入学し、十七歳の成人を迎えるまでに、アカデミーを卒業することとされている。もちろん相応の成績を修めないと卒業できないので、中には落第する者もいたが、その場合はアカデミーから在籍証明書だけもらって自主退学するのが通常であった。

 ちなみにエーリクは来年で十七歳になるが、近侍として入学する場合、扱いは『学友待遇』となるため、アドリアンを基準として考えられる。この場合、成人で卒業という慣例は当てはまらない。

 要はヘルフリッド・アルテアンがまだアカデミーに残っている理由は……


「なに、そのヘルフリッドとかっていう奴、馬鹿なの?」


 あけすけに尋ねられても、マティアスは迂闊に答えられなかった。

 四年の在籍で卒業要件を満たせず、まだアカデミーに居座っているというのは、いわば『馬鹿』だと自ら認めているようなものだ。マティアスにもヘルフリッド・アルテアンが何を考えているのかわからなかった。自分であれば、恥ずかしくて早々に退学願を出している。


「どういうつもりなんだろう? マティ、ヘルフリッド公子に会ったことは?」


 アドリアンも腑に落ちない様子でマティアスに尋ねた。


「いえ。それが、一度も見たことがありません。この数年、僕はグレヴィリウス家の夜会に参加しておりましたが、アルテアン侯爵の子息で見たことがあるのは、その五男以外です」

「単純に(パーティー)が嫌いなんじゃねぇの? 俺も行きたくないし。お前もそうだろ? アドル」


 オヅマの問いに、アドリアンも深く頷く。

 グレヴィリウスの夜会であろうが、他の貴族家の園遊会であろうが、なにせ出るとなれば準備に手間がかかる上に、(パーティー)そのものは退屈極まりないのだ。行かなくて済むなら、行きたくないというのが本音のところだが、グレヴィリウス公爵家の継嗣の立場上、すべての宴に欠席することもできない。今年はアカデミーの受験ということで特別に免除されたが、来年には参加を命じられるだろう。


「でも、もしそうなら、話が合わないこともない、のかな?」


 アドリアンがそこはかとない希望を滲ませて言うと、隣に並んでいたエーリクが固い声で進言した。


「しかし警戒はしておく必要はあります。アルテアン侯爵といえば、先年、小公爵様の命を狙ったダニエル・プリグルスと縁のあった者です」

「あの野郎と?」


 オヅマは思わず振り返ってエーリクを見た。

 剣呑たる光を帯びるのは、自らがその男の首を斬ったことよりも、マリーとオリヴェルを誘拐したことを思い出したからだ。

 だが当事者の一人であるアドリアンは冷静に言った。


「アルテアン侯爵自身があの事件と関わりのないことは、調査で明らかになってる。縁があったと言っても、娘の婚約者だったというだけのことだし、その娘も絶縁したという話だから、おそらくヘルフリッド公子に関わりはないだろう」

「わかるかよ。その娘ってのは、ヘルフリッドにとっちゃ姉だろ?」

「異母姉だよ。アルテアン侯爵は正妻の他に側室を三人持っておられるからね。子供の数は十人を下らなかったはずだ。愛人に生ませた庶子も含めたら、もっといるんじゃないかな?」

「…………ご熱心なことで」


 オヅマがあきれかえって溜息をつくと、マティアスがまた渋い顔で咎めた。


「そういう破廉恥なことを考えるんじゃない」

「破廉恥ってな……お前が、勝手に想像して赤くなってるだけだろ」

「なっ、だ、誰がッ……想像なんかしてないッ」

「耳まで真っ赤にしておいて、何言ってんだよ。っとに、このムッツリスケベが」

「おっ、おっ、オヅマあぁぁーッッ」


 アドリアンとエーリクはいつものごとく始まった喧嘩に、もはやいちいち反応しなかった。


「エーリクは、会ったことは?」

「ございません」


 目の前の騒がしい光景そっちのけで、話を続ける。

 アドリアンは軽く嘆息した。

 グレヴィリウス寮では継嗣のいない間、家門の中で一番高位の爵位を持つ家の子弟が、寮内の自治を監督することになっている。ヘルフリッドが通常の入学時期に入ったとすれば、およそ五年間は寮を取り仕切っていたことになる。


「反発されるかなぁ……?」


 ただでさえグレヴィリウス家門の中で、アドリアンの地位は不安定だ。

 ハヴェルのように有力貴族の後ろ盾を持たない上、唯一の拠り所といっていい父公爵までもが息子を忌避しているのだから、当然(あなど)られる。まして母の実家の風聞(*外祖父が皇室費横領罪で逮捕)もあって、近侍らが来るまでの間、アドリアンと親しくなろうなどという貴族子弟は家門に限らず、ほぼ皆無だった。彼らは口さがない大人達の噂話を信じて、アドリアンを自分たちより下の人間と見做したのだ。

 しかし入寮すれば、当然ながらアドリアンが寮長となる。自分よりも年上の人間であろうと、時には注意もせねばならないだろう。果たして彼らがおとなしく言うことを聞くのかどうか……。

 アドリアンの懸念を見透かしたように、オヅマが振り返って言った。


「グダグダ言うようだったら、マティがそれこそネチネチと言い返してくれるさ。それでもうるせぇことホザくなら、俺とエーリクさんで()()()()()言い聞かせてやるよ」

「……刃傷(にんじょう)沙汰は御免なんだけど」

「あとが残らないようにすりゃいいんだろ」

「…………エーリク、オヅマをちゃんと見張っててくれ」

「御意」

「おいっ! なんでそうなるんだよ。俺は励ましてやってるってのに!」


 文句を言うオヅマに、またもマティアスが叱りつける。


「お前が不穏なことを言うからだろうが! だいたいネチネチとはなんだ!? 小公爵様に対して不敬に接していれば、注意するのは当たり前だろうが」

「なんだよ、皆して。あっ、そうだそうだ。こういうときこそブルッキネン方式だ。最初が肝心ってな。どうせ向こうについたら、寮の奴ら集めて挨拶するんだろ? そのときに一発カマしてやれ」

「一発……カマす?」


 アドリアンは聞き慣れないが、どうもあまりよろしくなさそうな気配のする言葉に眉をひそめた。同じようにマティアスも苦い顔になる。


「どうしてお前はそういう汚い表現を」

「うるせぇなぁ。お前がやってたことだろ、マティ。例のアレだ、アレ。『僕はマティアス・ブルッキネン。ブルッキネン伯爵の息子で、グレヴィリウスの鉄の(くわ)……』

「『グレヴィリウスの青い(ほこ)』だーッ! 一番大事な部分を間違えるなーッ、この馬鹿!!」

「あぁ、それそれ。そういうの。お前もやりゃいいんだよ、アドル。俺はグレヴィリウスの正統なる後継者だーっ、て」

「…………まぁ、普通にするよ」


 アドリアンは曖昧に笑って受け流した。

 一発カマすというのは措くにしろ、それなりに威厳を持って接さないと、おそらく途端にナメてかかってくるだろう。

 グレヴィリウス家門内で、侯爵家は二つ。

 ハヴェルのいるグルンデン侯爵家と、アルテアン侯爵家だ。

 公爵家に次ぐ威勢を誇る家門の人間であれば、公爵家の継嗣が相手であろうが、そう簡単に膝を屈することもないはずだ……。


 緊張と覚悟にアドリアンは身を固くして、いざアカデミー内のグレヴィリウス寮へと向かったが、待っていたのは予想外の事態だった。


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